「小さな医者」
「小さな医者」
住民たちの避難、始まる。
しかし全員が一斉に避難できるわけではない。
少しずつ生活を縮小していく中ALに襲われる事件が。
その手当てをしたのは……エダだった!
***
コロンビア大学 午後2時54分
「…………」
エダは、じっと集中していた。
ここは祐次の診察室だ。
ジョナサン=モーリーという農場をやっている30代の男と、デズリーがこの部屋にはいた。
モーリーは足を負傷していた。傷口は三箇所で、二箇所は軽い擦り傷だったが、一つは皮下の白い脂肪まで見えるやや深い傷だ。牧場で作業中にALに襲われて負傷したらしい。ALに掴まれたとき爪が掠った。ALの爪はカミソリのように鋭いから、掠っただけでも人体は大きく切れる。たまたまデズリーが近くにいて、ALを倒し、彼を病院まで運んできたのだ。
祐次は外出中ということで、止血の処置はエダが行った。
それほど深くなく血は圧迫していうちに止まったが、傷口は大きく、放置すれば傷口から感染症を起こすかも知れず、早く治す為には縫合する必要があった。
まだ祐次が帰るまで時間があった。だからエダが縫合することになった。
人生初めての処置だ。
だが、こんな日がいつか来る事はエダも知っていた。この日のため祐次はエダにほとんどの患者の助手を任せてきたし、外科処置の方法も教えてきた。その練習も、自宅や病院で何度か行った。そして筋肉まで切られていない、大きな血管も切れていない、軽度の傷ならばエダの判断で縫合していい……と祐次も許した。筋組織や神経や太い血管の損傷があると医者でなければちゃんと手当てできないが、軽度の外傷の縫合であれば、誰がやっても構わない。
局部麻酔の注射をして縫合し、感染症予防の注射をして、ガーゼを当て包帯を巻く。
一応祐次がそれぞれ適量一回分の注射セットの用意はしていた。
エダは、最後の一針を縫い、結んだ。
終わった。
エダは顔を上げ微笑むと、消毒液が染み込んだガーゼで傷口の周りの血を綺麗に拭った。
傷口は見事に縫合されていた。
「出来た。よかった……出来ました、モーリーさん!」
「ありがとう、お嬢ちゃん。痛くはなかったよ! すごいな!」
「エダすげぇ! もう医者じゃん!」
デズリーが思わず声を上げた。
エダは苦笑しながら、横においてある注射を二本取った。
「まだ終わりじゃないですよ。これ、痛み止めと感染症予防の注射です。後はよく消毒して、包帯で固定しますね。傷口が膿んだら祐次に診て貰わないと駄目です。五日間はシャワーを控えてください」
エダは手際よく注射をして包帯を巻き終えた。そして痛み止めと化膿止めの抗生剤の錠剤を一週間分モーリーに渡し、彼の処置を終えた。
モーリーは帰った。だがデズリーは残っていて、後片付けをするエダを楽しそうに眺めていた。
「すげぇーよな、エダは。もう医者じゃん?」
「これくらいは簡単だよ。祐次だったら5分もかからずやっちゃうもの。12針縫うのに、15分もかかっちゃった」
「大したもんだ。将来、いい医者になるぜ」
「ありがと、デズリー。うん。お医者さんは少ないし、あたしが覚えたら祐次の負担は減るし」
……あくまでこの娘の世界の中心は、あのドクターかよ……。
エダはデズリーをいい友達だと思って受け入れてくれているが、異性としては見ていない。それがデズリーにはちょっと悔しいし面白くなかったが、ここまで気持ちよく一途な姿を見ていると腹は立たなかった。アリシアが言っていたとおり、あのドクターは特別なのだ。そして、今のデズリーではどうやっても彼には叶わない。
「祐次は確か3時過ぎには戻ってくるっていっていたから……他の患者さんは祐次が看てくれるよ。でも準備はしておかないと」
モーリーは今日来た最初の患者で、傷の具合からエダでもなんとかなると判断し、思い切って処置することにしたのだ。その後患者が増え、デズリーと一緒に応急処置をした。応急処置は、もうエダの判断と知識でもできる。
「まだ患者は6人いるぜ?」
「あとは応急処置で止めとく。……あたしじゃあ無理そうだし、やっぱり重傷の人はあたしじゃあ怖いもん。止血と怪我の把握はしっかりやろう」
病院の待合室には、まだ患者が6人いた。皆ALに襲われたものだ。重傷というほど酷くはなさそうで、皆止血で耐えているが、モーリーは早く運ばれてきた分、出血と感染症が怖かった。だから処置を決めた。さすがに大きな怪我を素人が手を出すのは二次被害に繋がる可能性が大きく、少し待たせるくらいであれば祐次が戻るのを待ったほうが患者のためにもいいのだが、出血が止まらなければ命に関わる。それに患者が多いと時間もかかる。
予定では、もうじき祐次は帰ってくるはずだ。
すでにALは凶暴期に入った。
マンハッタンを取り囲む全てのALが凶暴期になったわけではなく、凶暴期になったALの一部がバリケードを超え、マンハッタンに侵入するようになった。まだ溢れかえるほどではないが、街を見渡せば、視界のどこかに入るくらいは増えた。エダの感覚では、丁度ロンドベルの町にいた時のALの密度と同じくらいに思える。普段ならば駆除するが、もう限がないし、こっちから攻撃することでALは集まってきて増えるし凶暴さも増す。ALも人を見つけたら必ず襲ってくるわけでもない。
つまり、ぱっと見渡すだけで100から300は目に入るくらいだ。
これだけ出てくると、自警団やその予備隊だけでは対処しきれない。
だから、今マンハッタンに残っている住人の半分ほどは拳銃を携帯しているし、各作業チームのリーダー格や責任者はショットガンや自動ライフルも携帯している。自動小銃やSMGは自警団と警護隊が持っている。
デズリーですら、普段は隠し持っているM1911ミリタリーを軍用M7のショルダーホルスターに入れて、堂々と下げている。病院で活動するエダも、ショルダーホルスターにアリシアのM1911カスタムを入れ、レッグホルスターにUSPコンパクトを付け、いつも持ち歩くリュックの中にはステアーTPHと予備のUSPコンパクト、S&W M10・3インチを入れている。NYがこうなった以上、エダも十分に武装しなければ何が起きるか分からない。エダは祐次の相棒だから、他の住人より武装は豊富に渡されている。祐次に至っては、銃と弾の持ち出しは無尽蔵に許可されている。
未成年でこれほど武装を持っているのはエダだけだ。エダは祐次とセットだから特別なのだ。
最早マンハッタンは戦場だった。
それでも、まだ全員は避難できない。
農場や牧場の整理。収穫物の収穫と保存。飼育している動物たちの世話と約10日分の飼料の用意。運営も食料や備品の輸送手配、食糧や銃、物資の保管、避難計画の調整など寸前まで仕事がある。それに一気に避難すれば大なり小なり騒がしくなり、ALに勘付かれないとも限らず、焦れない。だからリーダーであるベンジャミン、警備と自警団の隊長になったガブス、医者の祐次は最後まで残らなければいけないのだ。
「デズリーやミレインはいつ避難するの?」
エダは外で待っている患者の症状を思い出し、使う薬を用意しながらデズリーのほうを見た。
本来18歳以下の未成年は今日の昼の便で全員避難する、と祐次から聞かされていた。
が、デズリーは残っている。
「俺とミレインは自警団の見習いとしてベンを助けるため最終便に乗ることにしたのさ。仲間たちは今日の昼、避難していったよ」
「危険なのに」
「エダもだろ?」
そういうとデズリーは無邪気に笑った。
嘘である。
元々はデズリーとミレインも今日の昼に避難する予定だった。だが、今日になって祐次とエダが最終便まで残る事を知った。
それでデズリーはベンジャミンに
「アリシアからエダのこと頼まれてンだ。エダのお嬢ちゃんが無事避難するまで何でもやる! 戦闘でも病院の助手でも!」
と猛烈に強訴して、ベンジャミンを折れさせた。絶対にベンジャミンか祐次の指示に従う事、基本コロンビア大学にいることが条件だ。そしてデズリーだけでは不安、ということでミレインも残った。
祐次とJOLJUは何か計画していて留守にすることがあり、ベンジャミンもエダだけを大人の中においておくことに多少不安がないではなかったから、ある意味丁度が良かった。
「小さな医者」でした。
エダ、初患者担当!
まぁ縫っただけですし。
でも応急処置は全員分、完璧です。
このあたりは祐次の薫陶ですね。もうそれを覚えてしまったエダも結構すごいですが、エダはアリシアの世話をしていた関係もあって病院で活動する時間が多く、実は制式には看護師ではないですがほぼ医療関係者として認識されています。
デズリー君……だんだんエダに接近中(笑
次回祐次が戻ってきて、現状説明会です。
今はクライマックス前の嵐の前の静けさです。
動きだせば後は怒涛のクライマックス編!
ついに前半部の山場です。
これからも「AL」をよろしくお願いします。




