「哀しい二人」
「哀しい二人」
アリシアの病室を訪ねる祐次。
祐次は答えを求めていた。
そしてアリシアの決断。
それが祐次と、そしてエダを哀しみに落とし込む。
まさかの展開に。
***
10月26日 午後21時13分
NY ヘルス病院
すでに消灯時間になり、来客は皆帰った後だ。
アリシアは室内灯で、読書をしていた。
その時だ。ドアがノックされて、一人の男が現れた。
「あら? どうしたの? ドクター」
そこにいたのは、祐次だった。一人だ。
「追加の診察? 大丈夫よ。ちょっと頭痛がするだけ」
「ちょっと時間、いいか?」
アリシアは微笑むと祐次を招きいれ、椅子を奨め、本を閉じた。
「いい話? それとも悪い話?」
祐次は椅子に座る。
アリシアは祐次の強張った顔を見て悟った。悪い話だ。
「悩んでいる」
「アナタが? 珍しいわね」
「本当は患者にする話じゃないんだが、アリシアに言うしかない」
「何?」
「アリシア。生存確率が30%くらいまで上がるかもしれない」
「…………」
いい話ではないか。だが祐次の表情は険しい。
「その代わり……ベンジャミンの作戦の成功率は下がり、俺の旅の目標は遠ざかる」
「…………」
「はっきり言う。今の俺の医学で、完治させることは困難だ。ALの大襲来がなければなんとかなったかもしれないが、一ヶ月ほどで奴らは来る。その間治療はできないし俺がここにいるかも分からない。ほぼ不可能だと思う。唯一の方法は、JOLJUと他の異星人の力を借りて治すことだ。だがJOLJUはともかく、それを行えば異星人は俺を見下す。それだけなら構わないが、ベンジャミンの計画にも関係していて影響がある。ただ、そっちはまだ他に手がないわけじゃないし、他の手を考える時間もあるし他の選択肢も考える余裕はある。失う信頼も、挽回する事ができる。だがアリシアには他の選択肢がない」
「それで悩んでいるのね」
「ああ。これが10%なら俺も悩まないが、30%なら賭ける価値はある。影響はあるが、そっちはアリシアと違って、打てる手はまだ他にあるかもしれない」
だが、祐次の顔は優れない。その理由はアリシアには分かった。
祐次の心は、もう8割は決めたのだ。
最後の一歩が踏み出せないだけだ。
だから、アリシアがその背を押した。
「ドクター、ありがとう」
「…………」
「アンタの気持ちだけで十分、嬉しいわ。もう、その苦痛から開放してあげる」
「…………」
「私を捨てて」
「…………」
アリシアは、何事もなかったかのように笑った。
「最初に言ったでしょ? 私は死を受け入れた。後悔はないわ。皆……アンタやベンの足手まといになりたくはないの」
「…………」
「頭痛だけって言ったのは嘘。かなりしんどいし、全身の痛みもあるの。今日、リチャードがくれた薬……栄養剤って言っていたけどモルヒネだったわ。私、警官だったから、ドラックは匂いで分かる。もう、先はない」
処方したのはリチャードだが、その事を祐次が知らないはずがない。
アリシアのガンのマーカーは、悪化している。
「患者の意思よ。ベンの作戦に協力して。貴方の力がきっと必要なはず。避難計画もあるでしょ? その頃はもっと忙しくなるはず。だから、そうね……その前に、私を楽にして」
「いいのか?」
「いいも何も、私は最初にそう言ったでしょ? 自分で選ぶ……って。丸坊主にはしたくないし、宇宙人の船に入るのも怖いし」
「…………」
ああ、このドクターは、こういう点がまだ若いのか。
医者として完全に冷酷にはなれない。
可能性がゼロでない限り、その運命に抗いたい。自分の能力に自信があり若いからこそ、諦めるということが中々出来ない。それがこの若者を苦しめている。
他人が聞けば、誰でも分かる結論だ。
アリシア一人より、NY共同体全員の命や祐次が目指す人類の希望のほうが、はるかに大きいではないか。
アリシアには分かる。
ALの大襲来の困難を乗り切るには、祐次の力が不可欠だ。ベンジャミンも内心そう考えている。アリシアもそう思う。この男が特別なのは、医者としてより、対ALの専門家としての知識と戦闘力だ。この男はALの群れの中でも突破できるし、地球外の知識もある。他にこんな人間はいない。
「このまま治療を止めたら、私はいつまで?」
「ガンは未知数だ。余命一ヶ月は見込みでしかない。二週間持たない場合もあるし、三ヶ月までもつ時だってあるが……モルヒネを使い始めれば、もう先は長くない」
「じゃあ……ベンが今企画している計画が上手くいくのを見届けたら……後の事は貴方に託す。私は天国に旅立つわ」
「アリシア」
「いいの。そこが潮時かな? 避難が始まれば私は邪魔になるし、迷惑もかける。ベンの作戦が成功して、皆に希望があるのを見届けたら、十分。二週間くらいね、私の残りの人生は」
「アリシア」
「勘違いしないで、ドクター。貴方の力不足じゃないし、貴方の責任でもない。私の人生を、私が決めただけよ。その代わり……他の皆を守って」
「…………」
「特にあの小さい、可愛い私たちの<天使>を。それだけが貴方の責任よ。他はベンの仕事。でも、あの子を守る事だけは貴方の仕事。自分の仕事だけは、目を逸らさないで」
「……分かった……」
「じゃあ、私はもうちょっと読書してから寝るわ。このシリーズだけは完結まで読んでおきたいの」
そういうとアリシアは祐次から目を外し、本を広げた。
祐次は立ち上がった。
そして、黙って部屋を出て行った。
***
アリシアの部屋を出て、すぐだった。
そこに、エダがいた。
無言だ。
その鎮痛な表情を見て、祐次は今の会話が全て聞かれていた事を知った。
祐次に言葉はない。かける言葉も説明する言葉も見つからない。黙って立ち去ろうとする。
その祐次の服をエダは掴んだ。
そして叫んだ。
「アリシアを見殺しにするの!?」
「……本人の希望だ」
「30%あるんでしょ!? 祐次とJOLJUならなんとかできるんでしょ!?」
「その代わり、ここに住む全員が危険になる」
「それくらい、皆は乗り越えられるよ! アリシアの命のほうが大切だよ!! 英雄探しなんかより、ずっと!!」
祐次は黙る。
そこが一番祐次の痛いところだ。
そう。いるかいないか分からない英雄探しのため見殺しにするのか……それが祐次の中で一番最後に残っていた棘だった。
だが、祐次は決めた。
祐次だけが、アリシアの生死を握る最後の抵抗だった。その祐次が諦めた瞬間、アリシアの運命は決まる。
そして、その裁断は下された。
アリシアの運命は、<死>だ。
「本人の意思だ」
「祐次ならなんとかできるよ!!」
「できない。無理だ」
「見捨てるの!?」
「ああ」
祐次は殊更感情を殺して言った。そうでもしなければ祐次だって耐えられない。
エダの叫びは、本当は祐次の心の叫びだ。だが祐次はもう決意した。
決意した。
……その分だけ、祐次は大人で、エダはその点だけ、まだ子供だ。
「見捨てないで!」
「無理だ」
エダは涙を零しながら嘆願する。だが祐次は振り向きもしない。
思わず……エダは言ってしまった。
「そうやって見捨てるんだ!! トビイみたいに!!」
エダは思わず叫んだ。
その言葉が、祐次の心と感情を貫いた。
祐次にとって、もっとも触れてはいけない傷だ。
「煩いっ!!」
祐次は思わず力いっぱいエダを引き剥がすと、思わず拳を上げた。
凄まじい表情を浮かべていた。これまで、誰にも見せた事のない、本気の怒気だ。
拳を振り上げたところで、祐次は苦しそうに踏みとどまった。
いくら激昂しても、女の子は殴れない。
エダの代わりに、力いっぱい壁を叩いた。
祐次の拳の肉が裂け、血が飛び散った。
「黙れ!! 二度と口を出すな!!」
「…………」
エダは祐次を睨むと、アリシアの部屋に飛び込んでいった。
部屋の中から、エダの号泣する声が聞こえた。
「…………」
祐次は舌打ちすると、踵を返し、去っていく。
一度も振り返らなかった。
拳から流れる血が、点々と床に残った。
「哀しい二人」でした。
アリシアの決断!
これによってアリシアの運命は決まりました。
彼女は死にます。
どっちにしても、祐次にとっては、アリシアの死も心の十字架になるでしょう。でも、それも医者として成長するための過程です。医者は何人も患者の死を乗り越えなければならないですから。
しかし家族は違います。
分かっていても絶えられない。
それが今回のエダでした。
エダは聡明な少女ですが、感情をもつ、まだ11歳の少女です。祐次やアリシアの領域までまだ心は成長していません。そして思わず感情的になって、ついに言ってはいけない事を口にしました。
トビィの死の責任。
祐次の医療ミスです。
だけど、祐次もどうすることもできないことでした。
そして今、どうすることもできないアリシアの死が確定した時、一番言われたくないエダから言われた一言で、ついにあの祐次が切れました。エダを殴らなかったのはさすがというべき理性です。
しかしこれで亀裂が入ってしまったエダと祐次。
完璧な関係だと思った二人はこれからどうなるのか!?
ちなみに次回はJOLJUとベンの話で、それが終わると前半終了で拓編、と、エダと祐次の喧嘩は後半まで引っ張ります。
これからも「AL」をよろしくお願いします。




