「無線の向こう側」
「無線の向こう側」
物資が枯渇していく。
不安が広がる。
祐次が伝えたALの注意が、子供たちをより不安にさせる。
祐次と会話したエダだけは祐次の救援を支持するのだが……。
じょじょに、状況は悪いほうに転がり始める……。
***
ALは依然キャンプ場内を徘徊している。その数は凡そ20体ほど。
ALについて、重要な情報を祐次はいくつか伝えている。
1 ALとコミュニケーションは取るな。奴らにそんな知能はない。
2 向こうが気づかない限り手を出さず見つかるな。会話など交信しあったりしないが集合意識のようなものをもっていて一度見つかれば周囲全てのALが反応する。習性は蜂や蟻のほうに近く、一度認識されると遠く離れるか殲滅するまで攻撃は止まない。
3 タイプは1から5。1は脅威ではないが3と5は脅威。3を見たら必死に逃げろ。
4 真水が弱点で水を浴びれば破裂する。ただし雨が降れば粘液で体を守る。刺しても倒せるが、体液の強酸を浴びる危険がある。炎はまったく効果がない。
5 雨が本降りになればその間は活動が低下する。ただし雨上がりは逆に一気に凶暴性が増す。
6 音、動くものに反応し襲ってくる。
7 大きな町ほど多くいる。
ペンシルバニア州モンゴメリー郡ボワナ湖州立キャンプ場は霧雨が降っていた。
そのせいか、周囲をうろつくALたちはあまり活発ではなく、人を探すわけでなくまるで生きる屍のように徘徊していた。
祐次からの指示は待機だ。
当然、その方針だ。子供たちにもそう説明し、できるだけ静かに過ごさせている。
だが状況はそう優しくはない。
食料は二日分。これはB棟の中にある量だ。C棟にいければもう少し増える。しかしそれでも最大4日。
ガスは調理や最低限のお湯だけならば一週間はもつ。水は井戸水がありこちらは心配いらない。
銃弾は全て合わせて60発ちょっと。
問題はガソリンだ。ガソリン用緊急用発電機は動いているが、できるだけ節約しても2日だ。
つまり食料と電気は二日で無くなる。どちらも通常より消費を抑えればもう一日二日は伸びるかもしれないが逆に半日くらいしか伸びないかもしれない。
このことを知っているのは、教師のフィリップと年長の14歳組であるトビィ、バーニィー、ジェシカ、そしてエダだけだ。だから今のところ混乱はなく、静かに昼食を終えた。缶詰一つずつ。後はクラッカー五枚、チョコ一欠けらだ。食べ盛りの少年たちには足りないが贅沢はいえない。
「ところで一つ疑問なんだけどさ? 世界がおかしくなったのって昨日でしょ? 何でユウジさんはそんなにいろいろ詳しいの?」
昼食後、周りを気にしながらジェシカがエダに聞いた。トビィやバーニィーも近くで聞いている。
「ええっと……<ハビリス>? なんかそういう不思議なエネルギーが関係していて、あたしたちは時間を飛んだみたい」
「飛んだ?」
トビィは首を傾げる。
「ユウジさんは、半年前に世界の崩壊を知ったって言っていたの。これはバラバラで、よくは分かっていないみたいなんだけど……でも、裏付けになるかどうか分からないけど、おかしいことがあるの」
そういうとエダは上着のポケットからスマホを取り出した。
「あたしもさっき気づいたんだけど、みんな、スマホの日付けはどうなってるかな?」
言われて四人は自分のスマホを取り出し確認する。そして異常に気づいた。
「8月18日?」とバーニィー。
「俺のは10月だぜ?」とトビィ。
「私は6月になってるわ」とジェシカ。
「あたしの時間は4月19日。今日は3月26日……だよね? 本当なら」
「つまり時間がグチャグチャになっているって事?」
「詳しくはあたしもわからないけど、ユウジさんの話では時間が乱れるのは珍しくないし、正確な時間はもう分からないからどうでもいいって言っていたの」
「いや……確かに3月末にしちゃあちょっと暖かい気がする。もっと例年は寒いぜ? 夏じゃねぇーと思うけど5月くらいの気温だ」
本当に世界は滅茶苦茶になった。
「本当にロンドベルの町には一人もいないのか? フィラデルフィアも全滅か? 100万人以上いるんだぜ?」
「それはユウジさんも分からないよ。ユウジさん、大西洋にいるんだし。でも、フィラデルフィアで誰か生き残っていたら無線は繋がるんじゃない? 軍とか警察のヘリコプターとか飛んでると思うんだけど」
「もし町でも助かった人がいるとしたら……今頃避難しているかしら?」
「学校か、病院か、役所か」
「ユウジさんとやらがここまで辿り着けるかどうかの保障もねぇーしな。あの人だけをアテには出来ない。最悪俺たちだけで生き抜く方法を見つけないといけないだろう」
「それって何だよ? トビィ」
「ロンドベルに帰るしかない。もっと安全で備蓄もあって情報も集められるところに移動するほうがいいかも。ここで待っていて全員餓死だなんて笑うに笑えない」
「…………」
それは一理ある。祐次が無敵のアメコミのヒーローでない限り、祐次が救援途中に殺される可能性だってある。その時は自分たちで生き残る方法を見つけるしかない。
現実問題、食料と電気は二日で尽きる。元々キャンプということで食料の半分以上はバーベキュー用の生肉や野菜で、ALが徘徊する今、野外で調理は出来ないし、派手な調理も難しい。
「なんだかゾンビの世界だな」とバーニィーは嘆息する。
「ゾンビの世界だと、定番の避難先はショッピング・モールに学校に病院ってトコね」
「雨が降っているとき、ALの活動は低下するなら……その時が偵察のチャンスかもしれないな。町がどうなっているか見ておいたほうがいいし、ここから脱出するのだって足はいるからな」
「足? 車?」
「12人も乗せるとしたらバスとかじゃねぇーと乗らない。ま、俺かバーニィーなら運転できるだろう。無免許だけど」
問題はこのボワナ湖州立キャンプ場からロンドベルまで18kmほどあることだ。
遠いが、走っていけない距離ではない。
「天気次第だ。とりあえず明日の昼までは静観だ」
今のところ、静かにしているしかなさそうだ。
***
午後も天気は小雨が降り静かだ。
とはいえ特に何かできるわけではない。ALは依然周囲を徘徊している。
トビィやバーニィー、ジェシカの14歳組と一部の13歳組の男子、そして教師のフィリップはそれぞれ持ち場を決めて外の警戒の仕事があったが、他の子供たちはやることがない。この状況下で騒ぐ元気もなく、ただただ黙って座っている。
そんな中、エダだけは特別な仕事があった。
14時を過ぎたとき、エダは意を決し無線機を取った。相手はむろん祐次だ。
周波数や音量調整は祐次の側でセッティングしているので電源を入れればすぐに繋がる。
祐次はすぐに出た。
『何かあったのか?』
「いえ……あの、特に何かあったわけじゃないですけど……ああ、男の子の止血は出来ました。今は寝ています。でもちょっとしんどそうなのが心配です」
『止血が終われば、体は回復に向かう。その際発熱する。多分今夜はしんどいだろう。水だけはしっかり与えて。スープかジュースがあればそれを。本当はお粥がいいんだが米国じゃあ難しいだろう』
「お粥か……お米があったら作れたのに」
『君、米炊けるの? 鍋で炊ける?』
「あ、はい。何度か炊いたことがあります。土鍋が一番ですけど、普通の鍋でも炊けますよ?」
米国でも米は食べる。日本人のように主食ではなく、どの家庭にも炊飯器ではないので、必要なときは普通に鍋で炊く家も多い。エダの家には炊飯器があるが、鍋での炊き方も習った。炊飯器常備が常識の日本人よりむしろ鍋で炊く方法は慣れているかもしれない。
それを聞いた祐次の声がこれまでになく弾んだ。
『早く君に会いたくなったよ。ここしばらくまともな温かい米の飯を食べてないんだ。米と漬物だけを腹いっぱい食いたい』
祐次の心からの嘆きに思わずエダは吹き出した。これまでの冷静で大人っぽい雰囲気とぜんぜん違う。そして祐次の言葉で、日本人の<異常な米好き>を思い出し懐かしくなった。思えば日本はすごく平和で楽しかった。
そんな日本の思い出話をしばらく交わした後、ふとエダは本題に会話を戻した。
「今ユウジさんはどのあたりですか?」
『変わらず海の上だ。ぜんぜん陸地は見えない。こっちの無線は高性能でかなり遠距離でも拾うんだ。ヨットで速度もそんなに速くない。計算では明日には北米大陸に着く予定だが、どこに着くかだな。海岸線には大都市が多くてALも多いから飛ばしていけるわけでもない』
「そうなんですね……」
『大丈夫。心配しなくてもちゃんと行く。絶対に、だ。それに銃も弾も十分持っているから、君たちを助けに行くくらいは問題ないし、助けに行ったはいいが逆に俺がピンチになるってことはないよ。もう半年以上生き抜いてきたし知識だけは役に立つ相棒もいる。1000発くらいは持っているからな。安心していい』
「はい」
『米を持っていくから、行ったら白米楽しみにしているよ』
「はい。あの……こちらは小雨なんですが、やっぱり危険ですか? もう食料と電気は明日までしか持ちそうになくて……ユウジさん、ALは雨だと動きが鈍いって仰ってたから、今なら少し補給しにいけますか?」
『子供たちばかりか……押さえきれそうにない、か?』
「正直そうです。それに不安もいっぱいで……」
『基本的には薦めない。食わなくても三日は大丈夫だ。可能なかぎり待っていて欲しい。ただ、雨が降っていて、昼間のうちに慎重にちょっと取りに行くくらいならできるかもしれない。ただし行くときは一人だ。そしてその人間は、もし見つかればそこには帰らず一人で町まで行ける行動力と生き抜く勇気がある優秀な奴だけだ。だが。子供じゃ無理だぞ。もちろん君は駄目だ。その人間は、見つかれば犠牲になる……その覚悟があるならだ。後、夜は駄目だ。ALは夜目が利く。あいつらにとって夜は昼間と変わらない』
「…………」
『言い過ぎた。だけど一人見つかれば全員見つかる。その時は全滅だ。それだけは駄目だ。そのことは忘れないでくれ』
「はい」
『もしそういう緊急事態になったら相談してくれ。俺のほうでも何か考えるから』
「はい」
『忘れるな。希望はある』
……希望……。
『いつでも連絡をくれ。どうせ海上にいる間は忙しいわけじゃない。こっちでも雨雲が見えたら連絡する。その時は近づいたって事だからな』
祐次との会話はこれで終わった。
祐次の力強く明瞭な言葉に勇気づけられるのか、現状祐次の存在だけが心の拠り所だからか、それとも日本人ということに安心を感じるのか、こうして祐次と喋っていると不思議と沢山のしかかっている不安が少し軽くなる気がした。無線を置いたエダは自分でも知らずに笑みを零していた。
ふと……顔を上げると、トビィがしかめっ面で立っていた。
「どうしたの? トビィ」
「女は長電話が好きだな。こんな状況なのに楽しそうだな」
「長電話じゃなくて、アドバイスを聞いていたんだよ? 今あたしたちにとって一番の頼りはユウジさんなんだから」
「その肝心の日本人は本当に来るのか?」
「うん。ユウジさんは来る。だってお医者さんだもの。お医者さんは患者を見捨てないものだよ?」
「医者が戦えるのかよ」
「こらトビィ! エダに八つ当たりしないで」とジェシカが間に入る。トビィは面白くなさそうにその場を立ち去った。
「こんな時にジェラシーなんて面倒くさい奴」
「ジェラシーって……」エダは苦笑する。「ユウジさん、大人だよ? 若いオジサンって言っていたから30歳くらいじゃないかな?」とエダは答える。
「それならお互い恋愛対象外ね」とジェシカは笑った。
「それより、さっきトビィとフィル先生とで相談していたことがあったんだけど……一応エダにも教えておこうかと思って来たんだけど」
「何?」
「セナリー先生やウォルターたちの収容しようって話なんだけど」
「…………」
「ユウジさんに相談はした?」
「うん、した。……ほっておけって」
「でもほんの30mほど先だけど」
「あたしだってあのままじゃあ可哀想だし、家の中に入れてあげたいって思う。でもユウジさんが言ったの。7人の遺体を収容するには14人全員が力を合わせないと無理だし時間もかかる。しかもそれは人の死体に慣れた人間であることが前提で……子供たちだけならきっとパニックを起こす。その時ALに見つかったら最後だ……って。それを聞いて……あたしも無理だと思ったの。きっと……あたしも悲しくて耐えられない……」
「そっか。……成程、そうね。ユウジさんの判断のほうが正しいわね。少なくともフィル先生よりは」
「フィリップ先生は、優しい先生だもの」
同じ<先生>でも教師と医師は違う。教師は感情面を大事にし、医師は現実面を優先する。そして今子供たちの中で多数決を採れば全員遺体を収容するほうを選ぶだろう。トビィとバーニィーが反対している。この二人……そしてエダは遺体の惨状を知っている。ただでさえ不安と恐怖で情緒不安定な子供たちが、友人たちの無残な遺体を見て冷静でいられるはずがない。
だがエダたちの不安は的中した。
一時間後……フィリップは遺体の収容を提案した。
祐次は言っていた。
「無知と正義感が、一番危険だ」と……。
「無線の向こう側」でした。
段々、不安が広がっていく子供たち。
そして祐次の支持を無視し動き出してしまう子供たち。
こうしてさらに悲劇の階段をのぼっていきますが、エダではどうにもなりません。
まあ、ほとんどの子供たちは怖さは分かっていないですしね。
実際警告している言葉を聞いているのはエダだけです。エダは日本語が分かるから、祐次の語気で深刻度は分かるけど他の子は分からない。祐次は英語が喋れるのに……こういう行き違いが第一章ではいくつもあります。
次回は遺体収容に動き出す子供たちです。
悲劇はじょじょにスピードを上げていきます。
これからがサバイバル+アクション+悲劇です。
どうぞこれからも「AL」をよろしくお願いします。