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16 過去


 Σ


 俺たちは母屋の一階にある、大食堂へと移動した。

 食堂、と言っても、もう長い間使った様子はなく、カビの臭いがして埃が待っていた。

 がらんとした室内は、他の部屋よりずっと寂しさを感じた。


 調度品などはほとんど置いてなかったが、頭上には豪華なシャンデリアが設えてあり、それだけがかつての栄華を想わせた。


「私の父はかつて、騎士ナイトの称号を持った貴族でした」


 と、セシリアは言った。


「しかし、以前に仕官していた国が破れ、父と母は流浪するように生きました。父は腕の立つ剣士であったので、傭兵をしたり、用心棒をしたり、またある時は仇討ちを肩代わりするなどしたりして、どうにか糊口を凌いでおりました。しかし、根無し草の素浪人にそのような仕事が再々あるはずもなく、農家仕事を手伝ったり、時にはどぶさらいのような仕事までして、とても苦労したそうです。そうしてこの土地に辿り着いたころ、母は私を身籠りました。父はこの土地を治める領主様に繋がりがありました。ですから、父は職を求めてここを目指していたのです」

「領主、というのは、ラティス公爵のことか」

「いえ。現在の公爵様の、前の領主様――バリエント=グエン卿です」


 セシリアは遠くを見るように目を細めた。


「グエン様は父が元居た国の出身に近親者がいたため、国に尽くしていた父の事を大層、可愛がってくれました。すぐに騎士ナイトの地位を与え名誉を回復させ、こうして住む場所と、仕事を与えてくれました。しかし、それをこの土地の人たちはよく思いませんでした。それもそうですよね。父と母は余所者ですから。急にこのような豪邸を与えられて、地元の人間が面白いはずがありません。父がグエン様に気に入られていたから誰も直接文句は言ってきませんでしたが――内心、快く思っていなかったはずです」


 セシリアは小さく息を吐いた。

 それから「そして」と言い、少し笑った。


「そして、私が生まれました。今思えばそれが私たち家族の最も幸せな時でした。束の間でしたが、優しい父と、美しい母。お金にも余裕があって、私は何不自由なく暮らしていました。しかし、ある日を境に、全てが反転しました。国に――革命が起きたのです」

「革命?」

「ええ。帝国の皇帝様が腹心からの裏切りにあい、首を斬られたのです」


 セシリアはきゅっと眉を結び、静かに息を吐いた。


「劇的な政変です。その影響は地方都市であるこのピリアまで及びました。グエン様は前皇帝の寵愛を受けていましたから、一族もろともに国から追い出されてしまった。その代わりに、現在のラティス公爵様が領主となったのです」


 なるほど、と俺は頷いた。


「つまり、あんたの父親は前領主側の人間だったために、ラティス公に仕事を奪われたと」

「いえ。その辺りは、地方は中央よりも融通が利いたようで、領主様以外はほとんどの貴族が地位を剥奪されませんでした。最も、これはある意味で当然の話でした。地方分権の自治ではそうしないとこの都市が機能しませんので、よほど反抗心のある貴族以外は、そのまま職を続けられました。父もラティス公の慈悲により、しばらくは仕事を続けることが出来ました。父は優秀な男だったので、最初はもしかすると慈悲というよりは実用的な理由だったのかもしれません。ともかく、グエン様ほどではないにしろ、ラティス公も父を重宝してくださいました。そういうわけで、私たち家族は依然とさほど変わらない生活をすることが出来ました」


 セシリアは一気に話すと、きつく口を閉じ、唇を噛んだ。

 いっそ痛みに耐えているかのような、痛々しい顔つきだった。


 しかし――とセシリアは続けた。


「しかし、最初に申し上げたように、父は余所者であり、もともとこの土地に住んでいた人たちから嫌われておりました。グエン様の御威光がなくなると、市井の人間たちは私たち家族に牙を剥きました。私たちはあらゆる嫌がらせを受けました。突然、窓ガラスを割られたり、動物の死骸を放り投げられたり、歩いているだけでいきなり殴られたり。私は悲しくていつも泣いていました」


 俺は心が痛んだ。

 もしかすると、とても酷なことを強いているんじゃないか。

 そんな気になった。


「しかし」

 と、セシリアは続けた。

「しかし、父は決まってこう言いました。人を恨むんじゃない。この土地は決して裕福ではない。みな苦労して暮らしているのに、他所から来た私たちがこのような大きな屋敷に住んでいては、地の人間はいい気はしまい。これは移民である我らに課せられた試練なのだ。そして、最後には決まってこう言いました。笑うんだ、セシリア。人を恨んで生きるのは、辛いことだぞ、と」


 セシリアの父は立派な男であったのだろう。

 もしも俺が同じ立場なら――そのように正気を保てていただろうか。


 だけど、とセシリアは声を低くした。


「だけどある日――父は、最後には、何者かから闇討ちにあい、死んでしまった。捜査をした自警団からは、決闘であったと聞かされました。しかし、あの父が、まともな戦いで誰かに負けるなんて信じられませんでした。後に、父は複数人に待ち伏せされて斬られたのだと知りました」


 セシリアはそういうと、両手で顔を覆った。

 彼女は泣いていた。

 思い出すだけでも辛い記憶だ。


「私が、13の時でした」


 セシリアは気丈にも、さらに続けた。

 声が震えていた。

 理不尽な仕打ちに対する怒りなのか、父を失った悲しみなのか。


 俺は思わず息を吞んだ。

 なんという苛烈な人生だと思った。


 ともかく、これ以上は見ていられなかった。


「セシリア。すまない。辛いなら、もうこれ以上話す必要はない」


 俺が言った。

 するとセシリアはゆっくりと首を振り、「思った通り」と言って微笑んだ。


「思った通り?」

「はい。ルルブロさんは、思った通りいい人だ」

「そんなことはどうでもいい」


 俺は短く首を振った。


「悪かったな。辛いことを思い出させた」

「いいんです。正直、ここまで話したら、ちょっとすっきりしました。今まで、ずっと心の奥に押し込めていたから」

「大丈夫なのか」

「はい。今度は私からお願いします。話させてください」


 セシリアは俺の目を正面から見据えて、そう答えた。

 わかった、と俺は頷いた。


「父がいなくなると、私たちの暮らしは途端に苦しくなりました。父は施しを行っていたので、ほとんど蓄えを持っておりませんでした。さらに悪いことに、そのころから、母の病気が悪くなってきました。心労が重なったこともあったのでしょう。重い肺の病にかかってしまった。わずかにあった遺産は父の葬儀と母の薬代ですぐになくなってしまいました。しかし、救いもありました。不憫に思ったラティス公から、私は職を頂きました。そのおかげで、ギリギリながら私たちはこれまで生きていけました。ですから、私たちはラティス公にだけは足を向けて寝られないのです」

「ちょっと待て」


 俺は口を挟んだ。


「おかしいじゃないか。あんたはラティス公に今回、町外れに巣食う強大なモンスターを討伐するように命令されたんだろう。そのような優しいラティス公が、なぜあんたにそのような仕打ちを」


 そうですね、とセシリアは少し困ったように眉を下げた。


「正確には、今回の命令を私たちに課したのは、ラティス公ではないんです」

「どういうことだ?」


 俺はほとんどない首を傾げた。


「ラティス公には、一人娘がいるんです」


 セシリアは言った。


 そして、乾いた笑みを浮かべた。

 その横顔は、母であるイザベラによく似ていた。



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