時を越えた元青年⑥
崖下の坂を登りきり、森へと入ってどれくらい経っただろうか。
木の葉に隠れて見えづらいが、太陽はほぼ真上に来ている。少なくとも数時間は経っていると見ていい。とすれば、恐らくこれは⋯⋯。
「ここに来て盛大に迷ったな」
踏み締める地面見ると、胸ほどに伸びる草だらけな上に若干湿った腐葉土が足を掬おうと滑って行く。
山の方角は恐らく間違えてはいないし、むしろかなり傾斜が付いていてもはやこれは登山だ。
にもかかわらず山麓にある道が見当たらなかった。記憶が正しければ、崖から山に向かえば山沿いを通っている道は必ず見つかるはずだ。
だが、道どころか昔道だった様な場所すら見つからない。一体どういうことなんだ。と木を背に腰を下ろし、小休止するジル。
「考えられるとすれば、迷って別の山に行ったのか⋯⋯。そうだとすれば、遭難して終わりだぞ⋯⋯なんてな」
山での遭難は命取りだ。森の中では周囲を見渡すこともできず、方角すら分からない。知らなければ食べるものもなく、水も無くなれば一週間と持たないだろう。仮に水場を見つけても、火を起こせなければ容易に水すら飲めない。延々に彷徨った挙げ句、餓死するのが一般的だ。
ジルは、つい口から遭難と言葉が出てしまったが、内心は特段これといったということもなく、平穏である。
というのも、一般からすれば山での遭難など命の危機だが、森の中で三年も暮らしていたジルからすればむしろ森の中の方が居心地がいい。
森全体が我が家とても言いたげなほどだ。⋯⋯比喩では無い。
だが、いくら森での活動が得意だからといっては妹を探す目的が果たせる訳でも無い。三年も待たせているんだ、あの森から出れた以上これ以上待たせる訳にはいかない。
「仕方ない、登るか」
ジルはそう呟くと、足腰に力を入れて真上に跳躍した。とんだ先を目で見据え、自重を支えられそうな太い枝をしっかと握ると、一気に体を引き上げで枝を蹴り、また真上に飛んだ。
これを数回繰り返し、大樹の天辺に到達すると一息ついて周囲を見渡す。同じような背丈の樹木が並ぶ中、山の中腹程だろうか。まだ位置が高い木が山の尾根に伸びている。
反対側を見れば、視界の奥では切り立った崖に削られるように真一文字に樹木の鋒が途絶えている。あそこのどこからかにジルが登ってきた坂道があるはずだが、最早それを探すのは困難だろう。仮に同じ場所に行ったとして、消えた坂なぞ探した所で、だ。
ともあれ、山の方角ははっきりしたし、もう少し登って同じ様に木に登れば何かしらの痕跡があるはずだと、木から降りようとした時。
「あれは、煙か?」
丁度崖と山の中間、更にその奥からうっすらと白い煙が上がっている。
僅かに昇る細い糸の様な煙だが、間違いない。
「山を登ろうか迷ったが、煙を目印に行けばそこに人がいるかも知れん」
木登りしていなければ見つけられなかっただろうその細い煙を見据えると、見失うわけにはいかないと木から木へ飛び乗って移動する。
側から見たら人間技ではないが、ジルにとっては簡単なことだった。ただ、いちいち木を登って方向を確認しながら移動するのが面倒というものぐさな理由ではあるが。
ともあれ、白く細い煙の出る付近にまでやってきたジルは、木から飛び降りて大元に近づくのだった。