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太陽と灰  作者: 東堂 燦
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01

宮廷薬師のイーディスが女王に呼び出されたのは、ある昼下がりのことだった。

「面おもてをあげよ」

 伏せていた顔をあげて、イーディスは玉座を見上げた。ガレン国を統べる女王は、年齢を感じさせない艶やかな笑みを浮かべていた。

「久しいな、イーディス・ティセ・ディオル。お前が王立学院に入学したとき以来か? お前の評判はよく耳にするよ。優秀な薬師だ、と。学院に推薦した私としても喜ばしい限り」

「勿体なき御言葉ですが、まだ薬師としては至らぬ身です」

「謙遜は要らないよ。お前が使えることは、私も認めている。そこで、だ。此度、その働きを評価して私から異動を命じたい」

 思わず、イーディスは眉根を寄せてしまった。女王自ら当事者を呼び出し、異動を命じることなどあり得ない。まして、イーディスは一介の薬師であり、彼女の寵臣ではない。

「お前をライナス・レト・エレン・シルファ・ガレン第五王子の侍女に。王子が成人を迎えるまでの一月ひとつき、よろしく頼むぞ」

 頭が真っ白になって、イーディスは瞬きを忘れた。

「嬉しいだろう? かつての級友、この二年間会うことも叶わなかった第五王子の隣に戻れるのだから」

「薬師に侍女など勤まりません! ……何を、お考えなのですか」

「何故、私の考えをお前になど話さねばならぬ。不満があるなら申してみよ、灰はいの民」

 有無を言わさぬ口調には、たしかな悪意が込められていた。はじめから、イーディスの意思など関係ないのだ。

「謹んで拝命いたします」

灰の民であるイーディスは、決して女王に逆らうことができない。

「よろしい。二心なく我が息子に仕えよ」

 震える手を握りしめて、イーディスは首こうべを垂れた。


    ◇◆◇◆◇


 清々しい風が一日のはじまりを告げる。

 早朝の宮廷では、すでに侍女や騎士たちが仕事をはじめている。いつもと変わらぬ光景だったが、イーディスの心は穏やかではなかった。

 昨日までのイーディスは、ひたすら薬を精製するだけで良かった。しかし、第五王子ライナスの侍女となるからには、今までのように過ごすことはできないだろう。

 外廊下に出たとき、春風が大きく吹き抜けた。長く伸ばした赤い髪が視界を舞う。踊るように揺れる毛先に視線を遣って、イーディスは自嘲する。灼熱の炎のような赤い髪は、昔と異なり、毛先が灰色に染まっていた。

 かつて、赤を好きだと言ってくれた人がいた。まだ毛先に灰色が混じっていなかった頃の話だ。

「ライナス」

 第五王子ライナス・レト・エレン・シルファ・ガレン。女王が今は亡き伯爵との間に設けた王子である。

 彼との出逢いは、遡ること六年前、王立学院に入学した日だった。イーディスが十歳、ライナスが十四歳のときである。

 隣の席になったことが、ライナスとの最初の記憶だ。それから王立学院を卒業する日に縁を切られるまで、イーディスはいつも彼の隣にいた。

「何の用だ」

 過去を振り返っていたイーディスは、現実に引き戻される。

 いつのまにか第五王子の住まいである離宮に着いていた。門前に立つ騎士が、冷めた目でイーディスを見下ろしていた。

「あいかわらず愛想がないのね、スタン」

 彼は、ライナスの護衛として学院に在籍していた者だ。イーディスの学友でもあった。昔と変わらない不愛想な態度に苦笑して、イーディスは異動の旨が記された書面を掲げる。

「陛下の命よ。通してくれるでしょう?」

「お前が新しい侍女だったのか。……突き当たりの部屋だ」

 スタンは舌打ちしてから、イーディスを離宮に通した。すれ違う使用人たちに挨拶をしながら進んで、突き当たりにある部屋で足を止める。

 扉は開け放たれており、室内には人影がひとつある。

「イーディス・ティセ・ディオル。ただいま参りました」

 逸る鼓動に気づかぬふりをする。名乗る声が震えていないか、怖くて堪らなかった。

「いらっしゃい。会いたかったよ、イーディス」

 振り返ったのは、太陽のように美しい青年だった。艶やかな金の髪と瞳が、褐色の肌によく映える。彫りの深い端正な顔立ちには、溢れんばかりの命の輝きがあった。

 かつてイーディスが恋焦がれた人に、あの頃の幼さはなかった。もう、彼はイーディスの知る少年ではないのだ。

 時の流れは残酷だ。ライナスから一方的に縁を切られ、二年もの月日が流れたことを思い知る。

「お久しぶりです。ライナス殿下」

 イーディスは精一杯の虚勢を張って、恭しく首を垂れた。覚悟して来たつもりだったが、彼を前にすると胸が痛んでしまう。

「嫌だな、堅苦しい言葉遣いは止めてよ。昔のように話してほしい」

「私のような灰の民が、殿下に生意気な口を利くわけにはいきません。昔のことは忘れてください。愚かだったのです」

 ライナスはわずかに顔をしかめる。

「そう。それなら、命令するよ。昔のように話しなさい。君にそんな態度をとられるのは不愉快だからね」

 命令。二年前までの彼は、イーディスを無理やり従わせることはしなかった。

 イーディスは拳を握って、この場から逃げ出したい気持ちを押し殺した。たった一月ひとつきだけ我慢して侍女として仕えれば、もとの生活に戻れるのだ。

「二年ぶりね、ライナス」 

「ああ、王立学院を卒業してから、もう二年も経つんだね。懐かしいな、せっかくだから思い出話でもする?」

「あなたと話すような思い出なんて、何処にもないわ」

「冷たいなあ。やっぱり怒っているの? 王立学院の卒業の日。君を呼び出しておいて、約束を守らなかったこと」

「会いたくなかったのでしょう? 下賤な灰の民になど。卒業してすぐ縁を切るくらいだもの」

 忘れもしない。卒業の日、ライナスは伝えたいことがあるからと言って、イーディスを学院の庭に呼び出した。されど、いつまで経っても彼は訪れなかった。

 そうして、イーディスのもとには一通の手紙が届いた。ただ一言、イーディスとの縁を切る、という内容の文だった。

 訳も分からず一方的に突き放されて、当時のイーディスは立ち尽くすしかなかった。

 宮廷薬師となったイーディスは、彼と連絡をとろうにも手段がなかった。学院にいた頃ならばいざしらず、外に出てしまえば互いの身分が邪魔をする。

 手紙の真意を問いただしたくとも、第五王子として公務に取り組む彼は、あまりにも手の届かない人になっていた。

「昔はずいぶんと慕ってくれていたのに。いまは嫌われちゃったみたいだね」

 イーディスは苛立ちを隠さず、ライナスを睨みつけた。

「……っ、それだけのことをした自覚はあるでしょう!」

「そうだね。君の期待と気持ちを裏切ったのは、僕だから。でも、嬉しいな。僕のこと嫌いになったみたいなのに、侍女の話は受けてくれたんだね」

 悪びれる様子もなく、彼は優しげな笑みを湛えたままだった。

「陛下の命令よ、断れるはずがない。――本当に、陛下は何をお考えなの? あなたの侍女になりたい人なんて、たくさんいるはずよ」

 ライナスは性根こそ曲がっているが、ガレン国の第五王子であり、成人したときには伯爵であった父親の領地を継ぐことになっている。そのうえ、王立学院を卒業後は、魔力を研究する学者として、それなりの地位を築いていた。

 彼のもとで働きたいと願う者は数多くいるはずで、その者たちはイーディスより侍女として相応しいはずだ。

「君たち灰の民でなくては、意味がないよ」

「灰の民にしか、薬が作れないから?」

 ライナスは頷いた。

「灰の民は、この国で唯一薬を作れる特別な存在だ。母上もそろそろ良いお歳なのに、次の王位継承者は発表されていない。僕も来月には成人だし、愚か者が僕を害する可能性はある」

 ライナスの言葉は的外れではない。

 ――第五王子ライナスは、女王が最も愛する王子だ。

 ライナスの父親は、唯一、女王自ら選んだ夫だった。他の夫は臣下からの薦めで婚姻を結んだ者たちだが、ライナスの父親である伯爵は、女王が恋した男だ。

 だからこそ、女王はライナスに固執する。亡き伯爵との息子であるライナスを、幼い頃から甘やかし、好き勝手させていたことは周知の事実だ。

 ライナスが次の王になるのではないか、と昔から臣下はうわさしている。

「母上に愛されている自覚はあるからね。それを気に入らない者たちがいることも知っている。薬師さえ傍にいれば、不測の事態が起きても大事には至らないだろう?」

「いっそ、毒でも盛られて苦しめば良いわ」

「ひどいなあ」

 軽口を叩いたライナスは、次の瞬間、目を鋭くさせた。彼の視線の先には、毛先が灰色に染まったイーディスの髪がある。

「思っていたより、灰化(はいか)が進んでいるみたいだね」

「……もう十六だもの、当然よ」

 イーディスはドレスの袖をまくった。指先から肘までが魔力を失ってしまい、気味の悪い灰色をしている。

 灰化と呼ばれるこの症状は、魔力の喪失が原因で起こる。

「私たち灰の民は、十四を過ぎれば末端から魔力を失い、灰化が進む。……だから、あなたの言うとおり薬が精製できる」

 この国で使われる薬は、魔力を帯びた薬草が元になっている。だが、困ったことに、それらの薬草は一定以上の魔力を持つモノが触れると、効能を失ってしまうのだ。

 魔力とは生命力の一種である。故に、命あるものは皆、魔力を持つ。花や虫ならばいざ知らず、人間は薬草をあつかうには魔力を多く持ち過ぎた。

 だからこそ、普通の人間には、薬草から薬を精製することができない。

 薬の精製が可能なのは、徐々に魔力を失っていく灰の民だけだ。灰の民ならば、薬草の効能を失うことなく薬を作ることができる。

「まるで、他人事ひとごとのように言うんだね。悲しくはないの?」

「……仕方のないことよ。そういう運命の下に生まれてしまったのだから」

「昔の君からは、想像もできなかった言葉だね。あれほど灰の民であることを嫌がって、いつも泣いていたのに」

「昔とは違うわ。宮廷薬師にもなった、もう子どもじゃないのよ。簡単に泣いたりしない」

「そうなの? それはそれで寂しいね。泣いている君を慰めることが、僕はとても好きだったのだけど」

「私が泣こうが喚こうが、あなたには関係ないでしょう」

「関係はあるよ。これから一月ひとつきは共に過ごすのだから。君は女王陛下に逆らえない。僕が成人するまでの間、ずっと傍にいるんだよ。どんなに嫌がっても、ね」

 何を考えているのか分からないのは、女王だけではない。この王子とて、いくら女王の命令とはいえ、どうして今になってイーディスを受け入れたのか。

「あいかわらず、性格が悪い」

「誉め言葉かな? またよろしくね、イーディス」

 イーディスは、ライナスの微笑みから視線を逸らした。


    ◇◆◇◆◇


 ライナスの視界では、鮮やかな赤が揺れていた。慣れない様子で御茶の用意をするイーディスを眺めながら、ライナスは堪え切れずに笑った。

「あいかわらず一生懸命で可愛いよね。昔みたいに笑わなくなっていたけど、お人好しなところは変わらない。こんなバカげた命令、嫌なら無視すれば良かったのに。今回ばかりは、母上だって赦したと思うけれど」

 机に両肘をつきながら、ライナスはうっとりと目を細める。護衛として控えていたスタンが重たい溜息をついた。

「今さら、どういうつもりだ」

「イーディスのこと?」

「陛下は、お前とあいつが一緒にいることを苦々しく思っていただろう。新しい侍女をつけるにしても、あいつだけは選ばない」

 スタンの言葉は正しい。女王は、ライナスが灰の民であるイーディスと一緒にいることを認めない。だからこそ、王立学院を卒業したときも、彼女は圧力をかけてきた。

「そうだね。今回のイーディスの異動は、僕の我儘の結果。母上は不満だらけだよ」

「二年前、お前はあいつと縁を切った。俺は正しい判断だったと思っている。甘ったれのガキだったお前に、同じように現実を知らない子どもを守ることなんてできるはずがない。二人とも倒れるだけだ」

「否定はしないよ。あの頃の僕は、今よりもずっと夢見がちな子どもで、彼女を傍に置こうにも力なんてなかった」

 二年前のライナスは、イーディスと過ごしたあたたかな時間も、繋いだ彼女の小さな手も、失われることなど想像しなかった。周囲の事情や思惑など気にかけることもなく、自分の望みは、すべて叶うのだと信じていたのだ。

 愛されていたが故に、我儘で、どうしようもない子どもだった。本当に望んだものが、どれほど手に入りにくいものだったのか気づかなかった。

「どうして、今さらイーディスを引っ張りだした。……あの髪と手を見ろ。たとえ、もう一度傍に置くことができたとしても、長くは一緒にいられない。お前を置いて死ぬぞ」

 イーディスはすでに魔力の喪失――灰化がはじまってから二年も経っている。

 髪は毛先だけで済んでいるようだが、腕は肘までが灰色に染まっていた。黒いブーツに隠された足も、同じように灰化が進んでいるだろう。

「だから、きっと、これが最後の機会だ」

 彼女がすべての魔力を失う日は、それほど遠い未来ではない。魔力の喪失は、すなわち生命力の喪失。イーディスの命の灯は、すでに終わりに向かっている。

「母上と賭けをしているんだ。――来月、僕の成人を祝して、式典を執り行うのは知っているだろう? 母上は、そこで重要な発表をしたいんだって」

「まどろっこしい。賭けの内容は?」

「すごく簡単なこと。式典に臨む日までに、イーディスが僕を選んでくれたら、僕の勝ち」

「お前が選ばれなかったら、負け、か? 賭けに負けたとき、お前は何を女王に差し出すつもりだ?」

 ライナスの我儘に応じてくれた女王が出した条件は、ただ一つ。

「僕の未来」

「ばかだな。あいつがお前のもとに戻るなんて、あり得ないだろう。二年前、ひどく傷つけたことを忘れたのか」

「忘れてなんかいないよ。でも、もう諦めたくないんだよ」

 ライナスの記憶には、いつだって泣きたくなるほど鮮やかな赤い少女がいた。はじめて出逢ったときから、その心を独り占めにしたかった。

 二年前、彼女はライナスの掌から零れていった。

 もう一度、この手に抱くことができるならば、二度と離しはしない。

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