芳野君の誤解
◇◇◇◇◇
その会話を聞くことになったのは、偶然だった。
忘れ物を取りに教室に戻ろうとした途中で、空き教室から聞こえてきた声に、俺は足を止めた。そして、最終的には隣の教室のベランダに座り込んで聞き耳を立てる羽目になった。
「美希、あんた、芳野君と付き合ってるんでしょ?それでそんな適当でいいの?やる気ないの?」
話し声は、最近知り合った桜井華さんだ。そして、美希と呼ばれたのは、付き合って一ヶ月の俺の彼女、美希さん。
そう、話題になっている芳野は俺のことだ。
「えー、華も知ってるでしょ、やる気もないし、興味もないよ」
言葉通り気だるげな声に、愕然とする。
確かにまだ付き合って日は浅いけど、それなりに仲良くなれてると思ってたのに……!
というか、俺のベタぼれ度が上がりまくってる最中に聞くには痛すぎる……!
「もっと言えばどうでもいいし」
美希さんが追い討ちを掛けてくる。
「どうでもよくはないでしょ。女子に生まれたからには最重要課題よ」
桜井さんは割と派手目の女子で、男子の友達も多く、恋愛関係の噂もちょこちょこ聞く。男子の間では恋愛系女子に分類されていた。
そうだそうだ、桜井さん、もっと言ってやってくれ!
「華にはね。私は無理。そもそも、華が言うから一ヶ月も付き合ってるんじゃない。もうやめていい?」
華が言うから。
一ヶ月前を思い出す。クラスメイトの友達だった桜井さんに呼び出されて、行った先に美希さんがいたのだ。桜井さんに急かされながら「付き合って欲しい」と小声で呟いた美希さんのかわいさにノックアウトされてOKし、その後も美希さんのかわいさに敗戦を続けている俺なわけだが、あれはもしかして、桜井さんに言わされていた、のか?
「ダメ。美希は、知識も実践も足りなさすぎ。一ヶ月やそこらでやめてどうすんの。ぐいぐい行きなさいよ」
「えー」
桜井さんは、美希さんにダメ出しを続けている。
え、これあれか?お付き合い経験のない美希さんに経験を積ませるために、桜井さんが無理やり俺を紹介したってこと?
美希さんは俺のこと何とも思ってなくて、早く別れたいって思ってる?
ベランダで涙を堪えている間も、会話は続く。
「そもそも、美希は意思がなさすぎるのよ。ぜーんぶ芳野君に合わせてばかりで、全然美希らしさがないじゃない」
桜井さん、やめて、それ、胸にぐっさり来るから……。
「だって、ほんとに興味ないのよ。興味ないんだから、相手に合わせるのがいちばん手っ取り早いじゃない」
美希さんはどっちかというと大人しいタイプで、あんまりこうしたいとか言わない感じだった。彼女が話すよりも、俺が話をして、彼女が聞いてくれることの方が多かった。
あれは、面倒だから俺に話を合わせてただけ?
ほんとは俺の話に興味なんてなかった?
だって、桜井さんと話してる美希さんは、気怠げだけど、ぽんぽんとよくしゃべっていて、いつもの物静かな様子とだいぶ違う。
美希さんとはクラスが違うから、こんな風に友達と話してる様子をあんまり知らなかった。
つらいけど、めちゃめちゃつらいけど、ストレートに話す美希さんもかわいくて好きだ。振られるの確定してるけど。
「そんなだから、美希はちっとも成長しないのよ。いつまでも中学生みたいなんだから」
「いいのー、私は中学生のままで。誰にも迷惑かけてないでしょ」
「芳野君が可哀想なことになってるよ。美希一人の問題じゃなくなってるから、こうして時間取ってるんでしょ」
やっぱり俺、可哀想なのか……。
桜井さん、意外と面倒見いいんだな。でも、ことの発端は桜井さんだけどな!
「華には感謝してなくもないけど、もういいよ。芳野君には謝るよ。ごめんって。これ以上はほんと無理だから」
美希さんの声は暗い。
が、俺の心も真っ暗だった。
ほんと無理。
彼女の口から言われて、これほど胸に刺さる言葉があるだろうか。
ダメだ、俺の心はもう血だらけだ……。
「そっか。分かった。美希、あたしがついていながら、なんとかしてあげられなくて、ごめんね。あー、吉野君にもほんと申し訳ないなぁ。私の力でラブラブの予定だったのに!名プロデューサー華さんの初の汚点だわ」
「ラブラブは関係ないし。別に、華のせいじゃないでしょ。私がとことんそういうのに向いてないってだけよ」
最後まで美希さんの切れ味は衰えない。
チクショー、俺は美希さんとラブラブしたかったよ!あんなことやこんなこともしたかったけど、美希さんは無理なんだもんな……。
「じゃ、明日、お弁当一緒に食べるんでしょ?そのときに話しましょ」
「一人で大丈夫だよ」
「いやまぁ、けじめとしてね。私にも責任あるし」
「華、顔に似合わず真面目だねぇ」
「失礼な」
俺は、明日別れを切り出されるという最終通告に、さすがに一発ノックアウトで、脳みそがふらふらだった。
彼女たちの会話を思い出して自分の盛大な勘違いに気づくなんて余裕は全くなかった。
◇◇◇◇◇
ほとんど眠れなくて寝不足だったけど、決戦(負け戦確定だけど)の昼休みまで、何とか意識を保っていた。
クラスの友達に心配されたが、事情を説明するわけにもいかない。
まさか、付き合いたてほやほやの彼女が実は俺に興味なくて、無理で、今日の昼休みに振られるんだとか、さすがに言えない。
心身共にボロボロ状態で旧校舎裏のベンチに向かう。
そういえば、ここは美希さんから告白(偽疑惑)をされた場所で、その後は二人で弁当を一緒に食べる場所だった。
まだ外でデートしたのは数回だから、美希さんとの思い出が一番多いのはこの場所になる。
そこに今日、振られるという思い出が足されるわけか……。
弁当を広げる気にならずにベンチに座っていると、美希さんと桜井さんが連れ立ってきた。
美希さんは不機嫌そうにしていて、桜井さんが申し訳なさそうに眉を下げている。
桜井さんが美希さんをつついて、美希さんが渋々と口を開く。
あ、なんかデジャヴ。
「あの、今日は吉野君に謝りたくて。あの、今まで嫌な思いさせててごめんね。でも、たぶん私直せないから、ごめんなさい」
訥々と話す様子は、いつもの美希さんだ。
俺の前だから猫かぶってるのかな。最後くらい、素の美希さんを見たかったなぁ。
「いや、嫌な思いなんかしたことないし」
ちょっと言葉の意味が分からないながら、かろうじて言葉を返す。
「ほんとに?やっぱり芳野君は優しいなぁ」
ここで優しい判定は、泣くべきか、怒るべきかな。
「じゃあ、華の言うことは気にせずに、自由にしていい?」
美希さんはほっとしたように爽やかに笑っていた。
自由にしたいって言われて振られるの、きっついなぁ。
返事をしようとしたら、先に桜井さんが割り込んだ。
「芳野君、甘やかしちゃダメよ。ちゃんと芳野君も言いたいこと言わないと、困るのは芳野君だからね」
ん?甘やかすと俺が困る?美希さんの別れたいって希望を叶えると、間違いなく俺は困るわけだけど、美希さんにここまで言われて嫌だとは言えない。男のプライドにかけて。
「今までは私が裏で手伝ってきたから気づいてないだろうけど、美希のセンスはひどいから」
だから、代わりに華さんが俺を選んだってことか?
「横に並べないレベルだから」
え、桜井さんが選んでおいて、俺、そこまで言われんの?
さすがに泣く。怒ってもいいよな。
「ほんとこの手のことに興味なくて、ほっとくとずっと学校指定ジャージだから。デート、ジャージで行こうとして、必死に止めたのよ。ちゃんと服買えって言ったら、芳野君に全部選んでもらって丸投げだし」
ん?なんか思ってた展開とちょっと違う?
ジャージ?服?なんの話だ?
「いいじゃない、私は興味ないんだから、芳野君の趣味で選んでもらうのが一番いいでしょ」
あれ、なんか聞き覚えがあるぞ、このフレーズ。
「確かに芳野君センスいいけど。本人の格好は手堅い癖に、女子の服選びがハイセンスとか、納得いかないけど」
そういえば、桜井さんは、おしゃれ女子としても有名だった。
あれ、もしかして、あれ、ファッションの話だった?
「この子、きっと彼氏が来ても家ではジャージよ?デート服も、着回しなんて器用なことできないから、同じ服ローテしてくるわよ?しかもその内面倒になって、部屋着でデートに来ちゃうわよ?芳野君、隣に立てる?」
あ、そういう意味ね!そういう意味か!
徐徐に見えてきた真相に、光明が差してくる。
「そんなの、全然気にしない!デート服だって、俺、選ぶし。ジャージ姿だって見てみたいし!」
「そう?それならいいんだけど。ごめんなさいね、私の力ではここまでだったわ……」
無念とばかりに肩を落とす桜井さん。真面目だなぁ。
「よかったぁ。じゃあ、もう華に言われた特訓は終わりね!やっと自由だー」
桜井さんは呆れ顔だが、美希さんは晴れやかだ。
「じゃあ、私はここまで。後は二人で上手くやってちょうだい。じゃ」
桜井さんがすたすたと裏庭から出て行く。
俺の隣に座って、いそいそと弁当の包みを開け始めた美希さんに、どうしても一つだけ確認しておきたくて、勇気を振り絞った。
「あの、美希さん」
なに?とこちらを見る美希さんはいつもの美希さんで、俺が無理なようには見えないが、俺はまだ安心できていない。
「俺、美希さんのこと、好きなんだけど、美希さんはどう思ってるの?」
心臓はバクバクだ。
美希さんが真っ赤になった。小さな声で、もごもごと返事をくれる。
「告白、したよね?」
「付き合ってって言われたけど、好きかどうか聞いてなかったから」
眉を八の字にして困っている美希さんは可愛いが、俺の心の平和のために、何としても聞いておきたい。
なぜか、美希さんは弁当を包み直し始めた。
それから、俺の目を見て、すぐに顔を俯けて、
「好きだから告白したに決まってるでしょ!」
言うなり、立ち上がって走り去っていく。
俺は、感動で動けずにいた。
美希さんは俺が好き……!
安心と喜びで、俺は不覚にもちょっと泣いた。寝不足で涙腺が緩んでいたんだと言い訳させて欲しい。彼女に告られて泣くとか、高二にもなって恥ずかしすぎる。
美希さんがとても照れ屋で、俺の前だと口数が減ってしまうんだと知ったのは、しばらく後のこと。
それ以来、照れる美希さんを見る度、彼女がかわいくて仕方がない。
◆◆◆答え合わせ◆◆◆
この一ヶ月、私は毎週この空き教室で、華の集中講座を受けている。
「美希、あんた、芳野君と付き合ってるんでしょ?それでそんな適当でいいの?やる気ないの?」
華は、びしびしと言ってくる。
「えー、華も知ってるでしょ、やる気もないし、興味もないよ」
華には悪いけど、ほんとに全く興味はない。
机に上半身をぺたりとつけて、だらだらと返事をする。
「もっと言えばどうでもいいし」
華が怒ったように腰に手を当ててこちらを見下ろしてくる。
「どうでもよくはないでしょ。女子に生まれたからには最重要課題よ」
華は、ファッション命なおしゃれ女子だ。
恋愛系女子と見せかけているが、華が楽しんでいるのはモテファッションであってモテではない。
「華にはね。私は無理。そもそも、華が言うから一ヶ月も付き合ってるんじゃない。もうやめていい?」
『付き合うなら制服とジャージ以外の服を着なさいよ。ほっとくと美希は何もしないだろうから、特別レッスンしてあげるわ』
と華が言うから、渋々参加しているが、全く楽しくない。こんなことに時間を取られるくらいなら、芳野君と話していたい。芳野君は運動部だけど話上手だ。
緊張すると話せなくなる私とは正反対だ。告白するときも、一人だと話せる気がしなくて、華に付き添ってもらって何とか告白できた。そこは、華に大感謝している。
「ダメ。美希は、知識も実践も足りなさすぎ。一ヶ月やそこらでやめてどうすんの。ぐいぐい行きなさいよ」
「えー」
ぐいぐい行くほど、着るものに情熱はない。
「そもそも、美希は意思がなさすぎるのよ。ぜーんぶ芳野君に合わせてばかりで、全然美希らしさがないじゃない」
「だって、ほんとに興味ないのよ。興味ないんだから、相手に合わせるのがいちばん手っ取り早いじゃない」
芳野君は服選びが苦じゃないみたいだし、芳野君が選んだ服なら、着ているとウキウキする。恋のパワーは偉大だ。
「そんなだから、美希はちっとも成長しないのよ。いつまでも中学生みたいなんだから」
暗に、部活ジャージでオールシーズン過ごしていたことを言われている。
「いいのー、私は中学生のままで。誰にも迷惑かけてないでしょ」
「芳野君が可哀想なことになってるよ。美希一人の問題じゃなくなってるから、こうして時間取ってるんでしょ」
まぁ、芳野君に悪いという気持ちがないわけじゃないんだよね。
「華には感謝してなくもないけど、もういいよ。芳野君には謝るよ。ごめんって。これ以上はほんと無理だから」
うん、実は家ではずっとジャージで、外出用の服は芳野君に選んでもらったのだけで、そのまんま着回すしかできないって、正直に言って謝ろう。
芳野君は優しいから、呆れはしても、怒ったりはしないと思う。振られたりは、しない、はず。大丈夫、芳野君優しいから!
「そっか。分かった。美希、あたしがついていながら、なんとかしてあげられなくて、ごめんね。あー、吉野君にもほんと申し訳ないなぁ。私の力でラブラブの予定だったのに!名プロデューサー華さんの初の汚点だわ」
「ラブラブは関係ないし。別に、華のせいじゃないでしょ。私がとことんそういうのに向いてないってだけよ」
華ががっくりと肩を落とした。
不甲斐ない生徒でごめん。
「じゃ、明日、お弁当一緒に食べるんでしょ?そのときに話しましょ」
「一人で大丈夫だよ」
告白はついてきてもらったけど、さすがにもう大丈夫だ。
「いやまぁ、けじめとしてね。私にも責任あるし」
「華、顔に似合わず真面目だねぇ」
「失礼な」
華は見た目で誤解されがちだけど、とっても真面目な熱血キャラだ。ほんとに真面目。これ、誉めてるからね。
明日、このことを話すのはしんどいけど、芳野君に会えるのは嬉しい。今日、華先生の特訓講座により、芳野君に会えなかったしね。
さすがに私も、この会話を芳野君が聞いていて、盛大に誤解してるなんて思いもよらず、芳野君が悩んでいる時間、私はジャージパジャマで安眠していた。
なんかごめん、芳野君。
でも、お陰で芳野君に好きだって言ってもらえて、両思いだって分かったから、芳野君には悪いけど、私は華に感謝、かな。
お読みいただいてありがとうございました。