クラゲの気付き
「はっ!」目の前にあるのは窓、人、山並み。気づくと電車の中で寝過ごしてしまったようだ。もうすぐ春というのに最近になっても寒さは続いていた。道行く人は、皆肩をせばめて白い息を吐いている。(とりあえず次の駅で下車することにするか・・・)
「ご乗車ありがとうございました。忘れ物に・・・」駅には誰も人がいない。ここで電車を待つにしては寒すぎるので駅を出ることにした。
雲はどんよりと鉛のように重く、商店街のシャッターが風でばたばたと音を立てている。その中でラーメンの旗が見えた。店の前には落ち葉がたまり営業中の看板がかかっている。
「すみません・・・」店内は薄暗く目が慣れるまでしばらく何も見えなかった。
「どう・したんだね・・」気がつくと店の奥から白髪で顔が隠れそうな老人が出てきてたっていた。
「ラーメン・・お願い・します・・」どうしたらよいかわからない。とりあえず椅子に座ろうとするが見回すと椅子が一脚もない。老人がゆっくりと麺をざるに入れる。さっきまでの手すりの持つ手が震え足を引きずっていた人と同じとは思えないぐらいしっかりっと立ち、半分目をつぶりながら手を動かしていた。
「よくこの店に来たね、何をしに来たんだね。こんなところに何もないだろう」
「自分でもよく分かりません。でもとてもお腹がすいていて。」
「そんなものかと思ったよ。」そしてしばらくして、
「でもな、何もない町というかこういう、町全体が華やかでないほど廃れたもの、寂れたものというのは、魅了されるとまで言わないにしても、意味を持つというか、価値があるというか。」「少なくともここらの人は、そういう大切さを知っているのだと思うのだけどな。」そういう老人の口元を見つめてしまっていた。出てきたラーメンというのは特に変わったわけでもないどこにでもあるようなラーメンだった。チャーシューにもやし、ねぎ、めんま、スープ・・・。お腹がすいていたことを思い出し、めいっぱいの麺を口の中に入れた。ほぼ無意識に食べていたのではないか、気づくと麺はあと少ししか残っておらず、スープの中に沈んでいた。そして一呼吸おいて、すべて食べ終えた。いつもならスープを飲み干すのだが、なにか右手に視線を感じた。老人は私をじっと見つめていた。目がどれほど開いているのかは分からなかったが、瞳に写った店内の電灯の明かりは見えた。
「お前はこれから何がしたいのだ。」老人は見え透いたような瞳で語りかけてきた。
「したいこと・・・」突然私は言葉を失った。今まで私は何を目的に何をしてきたのだろうか。だからといって私の欲は満たされているのか。いや、そうではない。しかし、何を欲しているか自分でも分からない。そもそも、自分が何かを欲しているのかどうかということすら分からない。自分はなぜそんなことも分からないのか。私はクラゲのように現代社会の中で浮遊しているのか、自分の意思を持たずに、今まで私は何に従って生きてきたのだろうか。自分にか。本当にそうか。考え始めると、恐ろしいものに気づいてしまったことから逃げようとした自分がそこにいた。もちろん、直視しなければいけないことなんて、分かりきっていることだ。直視できないのならば、もはや私は海岸に打ち上げられ、干上がってしまうかもしれない、とまで思った。
「ラーメン屋というものもいいぞ。もちろん、ラーメン屋にならなくたっていい。ただ、世の中にはいろんな人がいるからな。」
「それが、店というものなのかも知れぬ、いや、駅というほうが良いのか・・・」
「でも、ラーメン屋というのは・・」
老人の白髪が一瞬逆立ったように見えた。
「お・おぬしはメンマの作り方を知っておるのかっ!」あまりの驚きにまだ口の中にあった麺がのどの奥へと飲み込まれてしまった。
「・・いえ・知りませ・ん」しばらく沈黙が続いた。私は老人をまともに見るのが怖く、空になったお椀の中のスープに浮いている脂をひたすらみつめていた。
「まあ、そうなってしまうのかもしれぬ、お前はな、一生!」
私は不意に恐怖に襲われた。周りの壁、天井、床、テーブル、すべてが老人の意思によってコントロールされているかのような恐ろしさを感じた。
「別に御代はいらんよ、お前はおつりがほしいだろう」お礼を言うべきなのかどうしたらよいのか分からなかった。もう老人の顔を見ることができなかった。見る勇気がなかった。戸を開けて一目散に走った。
もういくら走っただろうか。辺りを見回すといつの間にか知らないところにきていた。バス停のベンチに座った。目の前の道路を見ていると罪悪感が胸のうちからこみ上げてきた。
「自分は何をしたんだ、何をしたかったんだ。」
北風はいっそう強まり道路の落ち葉が寒空に舞い上がっていた。
私は今、何とか定職につき暮らしている。今思うとあれはいつのことだったのだろうか、もしかしたらただの夢だったのかもしれない。しかし、あのときに覚えた鈍い危機感と、恐怖は忘れられない。あれ以来私は無意識にラーメン屋を避けていたのかもしれない。今、老人はどこにいるのだろうか。いないかもしれない。ただ、今でもはっきりいえることは今の私の頭の中にあの老人は生きていて、老人は私が知る唯一の私の恩師であるということである。私がどれだけラーメン屋を遠ざけたとしても、老人を忘れようとすればするほど、老人は生き生きとした姿でたち現れるのである。 (完)
生活観や価値観というものは人それぞれが持っている多様なものだとは思いますが、今の現代社会で自分の価値観にしたがって生きるということは、難しいことなのではないでしょうか。自分の価値観を育むときこそさまざまな価値観に触れるべきと思います。もちろんそこで揺れ動いてこそよりよい価値観となると思います。どれだけ忙しい生活の中でも自分と対話する時間だけは、自らの幸福のために大切にしたいものです。