冬のひまわり
「ひまわりが見たい」
君はそう言った。
「え、でも今は冬だよ。ほら、窓の外を見てごらん。あんなに雪が降ってる」
「ひまわりを見に行きたい」
「今頃咲いているところなんてないよ」
「……そうね」
ベッドの君は、少し哀しそうな笑みを浮かべて静かに目を閉じた。
ひまわりか……。
まだ僕等が付き合いだして間もない頃、辺り一面のひまわり畑に出かけたっけ。
君はとても明るくひまわりのよく似合う女性だった。見渡す限りのひまわりの黄色に大はしゃぎしてたっけな。
「黄色は幸せの色よ。ねえ、素敵でしょ」
そう言ってひまわりの花の間から顔を覗かせた、屈託のない笑顔を今でも覚えている。
それからも毎日毎日、君は「ひまわりが見たい」と言う。
ベッドの上の君は日に日に元気がなくなって、あの頃の、あのひまわりのような笑顔も今では見る影もないほどだ。
もうあまり時間がない。なんとか君にまたひまわりを見せてあげたい。でも夏までは待てない。
……どうすれば、どうすればまた君のあのひまわりの笑顔が見られる?
考えた末に僕は、1000ピースのジグソー・パズルを買ってきた。ゴッホの『ひまわり』の絵がプリントされたそのパズルを、君はたいそう喜んでくれた。こんな子供だましのようなことでも。
「完成したら南側の窓辺に飾りましょう。太陽があたってきっと綺麗よ」
「そうだね。きっと綺麗だろうね」
僕が1000ピースを選んだのは、完成するまでに時間がかかるからだ。ひとつひとつ大事にピースをはめ込んで、少しでも君と長く過ごしたい。パズルが完成するまでは、君はきっと頑張ってくれる。そう思い込んで、僕はなるべくゆっくりと、君との最後の時間を楽しむことにしたかった。
少しずつピースをはめ込んでは、だんだんと現れてくるひまわりの輪郭を、君は嬉しそうに眺めている。だんだんと減っていく残りのピース。だんだんと減っていく命のピース。君は完成を楽しみにしているが、僕は、僕はなるべくゆっくりと訪れてほしい。完成してしまうと、君はもう手の届かない雲の上に行ってしまう気がして、僕はそっとピースを1つだけポケットにしまい込んだ。
いよいよ最後のピースをはめる時がきた。
「あれ? 最後のピースが見当たらないわ。どこにいったのかしら」
「本当だね、どこにいったんだろう。探してみるよ」
「お願いね」
君に背を向けポケットから出したピースを見た。
まだだ、まだ君と離れたくない。
僕は左手の中のピースをギュッと握りしめた。
「見つかった?」
「いや、どこにいったんだろうね」
ピースをポケットにしまい、振り返った。
「おかしいわね。今日はもう疲れたから、また明日にしましょうか」
「そうだね。楽しみは後にとっておいた方がいいね」
ああ、あと1日、あと1日君といられる。ほっとした反面、後ろめたさも感じた。あんなに楽しみにしている君に嘘をつくなんて……。
明日にはピースを渡そう。もしかしたら、完成したパズルを見て元気を取り戻すかもしれない。
僅かな期待を胸に次の日を迎えた。
数日間降り続いた雪も止み、太陽の光が降りそそぐ清々しい朝だった。
「おはよう」
「おはよう。気分はどうだい?」
「今日はなんだかとっても良いの」
「そうか、よかった」
「起こしてくれる?」
「ああ」
彼女はもう自力で起き上がることもできない程に衰弱していた。
「今日はなんだか気分がいいの。早く完成したひまわりが見たいわ」
「ああ、さっき見つけたよ最後のピース」
僕はポケットからピースを取り出して手渡した。
「ああ、よかった。もう見つからないかと心配していたの」
「さあ、最後のひとつ、君がはめてごらん」
嬉しそうに君は最後のピースを、もう力のあまり入らない震える手つきでやっとはめ込んだ。
「わあ、やっと完成ね。素敵だわ」
ああ、君のひまわりの笑顔がまた見られた。パズルを作ってよかったと思った。
「うん、綺麗だね」
「窓辺に飾って」
僕はのり付けをし、額にはめ込んだ『ひまわり』を南側の窓辺に飾った。
「どう?」
「素敵ねえ。太陽の光を浴びて輝いて見えるわ」
君のひまわりの笑顔が、また見られた。僕は嬉しくて思わず彼女を抱きしめた。
君は幸せそうな笑みを浮かべながら、僕にもたれかかっている。ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに。そんな事を思いながらしばらくそうしていた。
君とこのまま……こうして……このまま。
「え」
思わず声をあげた。
君は、腕の中の君は、優しい微笑みを浮かべたまま、もう生きる力が尽きていた。
『ひまわり』
ああ、間に合ってよかった。
僕は彼女を思いっきり抱きしめた。
冬の窓辺で何事もなかったかのように、太陽の光を浴びた『ひまわり』が、キラキラと輝いていた。
お読み下さりありがとうございました。
〈参考〉
使用した絵画――――ひまわり (15本のひまわり)
作者名 ――――フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
制作年 ――――1888年12月~1889年1月
所蔵美術館 ――――東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(東京)