Act.5_Chapter.1:元勇者の焦燥、そして夢
追いすがるオルカの声を無視して、宿屋で身体を休める。
何もかもが疎ましく見えるのは今に始まった話ではない。が、それでも何故か今はとても顕著に、すべてが疎ましく見えていた。
それはきっと、今まで――形はどうあれど―――平和に暮らしていた人しか見てこなかったのが理由だろう。こんな、泥と血と涙に溢れて生き続ける人を、俺は勇者を辞めてから見たことがなかった。
……端的にいえば、慣れていたと思っていた人の悪意は、俺のとってこうも心身を疲弊させる毒であった。ただそれだけの話だ。
ああ、こんな場所に寄るんじゃなかった。
子供のような後悔を抱えながら、俺はゆっくりと意識を暗闇に落としていった。
◇
夢を見ていた。
はっきりとわかるのは、きっとこれが過去の物語であると、俺が頭のどこかで理解しているからだろう。
だけど、不思議なことに、これが俺の記憶だとはわかるけれども、いつの記憶で、どんなことが起こっていたかなどは覚えていないのだ。
ただ、俺の胸には漠然とした不安というか、焦燥感が蔓延っていた。それらを誤魔化すように、手をぎゅっと握る。
やがて、大きな城が見える街の門前へとやってきた。俺はここを知っている。
魔城市街。魔王のお膝元であり、奴隷が主産業である、退廃的で刹那的な危うさを有する市街だ。
門番の誰何を掻い潜り、市街へ潜入を果たした俺は、驚くべき光景を目にした。
「今日ご紹介しますのは、世にも珍しき人間族の姫! 我らが魔王様によって洛陽を迎えた王家の正当な末裔! 勿論ですが未使用、未開通、未調教! さぁ、食肉にするか、それともペットにするかは落札された方の自由です! 初期価格一千万ゴルドからーーはじめ!」
声高に、檻に入れた人間の女を紹介する男。それを嬉々として受け入れ、挙句の果てには凄まじいまでの値段を重ねる魔族たち。あちらこちらから、バラ売りはしていないのか、と言った声。
……吐き気がするほどのどす黒さ。光なんて指すのかどうかもわからないほどの、心の闇が辺り一帯に充満しているような錯覚を覚える。
ーー気づけば、こみ上げる吐き気と怒りに任せて、壇上の男を切り飛ばしていた。
それがあまりにも無意味なことであるとわかってはいたが、若さゆえの過ち。俺の思考に損益など介在していなかったのだ。
「……おい。他の奴隷はどこにいる」
「え? は?」
「答えろ。さもなくば置いていく」
そう言って背を向ける俺に、女は慌てて引き止める声を上げた。
「ここから先、大広場があります! そこに奴隷商館があります。……これでいいでしょう? ここから解放してください」
「ああ、ありがとう。……で、どうする、着いてくるか?」
「……はい」
気丈な瞳と、やつれてもかつての美貌を感じさせる四肢。見目の麗しさで有名な姫君だったのかもしれない。……そんな存在がここにいる理由も、意味も、俺は理解していた。
魔王の存在がある以上、このような存在はもっと増えるだろう。ーー心のうちにそんな思いを抱きながら、目的地へと歩みを進める。
その先には、絶望しか存在しえないことを、理解しながら。