Act.1:一人旅の元勇者、幼稚な忍び足
じゃり、とブーツで砂利道を踏み締めながら、俺は南を目指していた。
周辺は見渡す限りの森だが、しばらく歩けば城壁都市が見えてくるという。
旅の商人に話を聞くと、どうやらそこは魔族と人が共存する街であるらしい。
魔を絶つ勇者として世界を旅した俺にとっては、未知の交流が繰り広げられている街である。
行ってみるっきゃ、ない。
「どうせ帰る場所もいく場所もねぇしなぁ……。金だけはあるが」
魔王討伐の報奨金はおいしかった。
討伐当時は正義だとか笑顔だとか、不確定なもののために魔王と戦っていた。今になってみると馬鹿らしい。
ともかく、勇者は金になる。魔物の素材も、達成した任務の報奨も、地位も名誉も。――あるいは称号すらも。
「……さぁてと。《ガーディア》が見えるところまで歩いて行って、今日は野宿とするかね」
考えを振り払うように、青空を仰ぎ見る。
陽が高く昇っている。この調子だと、ちょうど城壁都市が見える場所までたどり着くのがせいぜいだろう。
小さい麻袋をくるくると振り回しながら、鼻歌交じりに林道を歩いていく。
まだ見ぬ、俺が救った世界とやらを見物しに。
◇
「よし、ここあたりで野営の準備でもするか」
砂煙越しに、うっすらと城壁の稜線が見える。
……ということは、予定通りに進むことができたということだ。
種火に枯葉を突っ込んで種火を大きくしながら、麻袋から干し肉を取り出す。
これと水、そしてパン生地を板状にしてカッチカチに焼いたものを口に含んで夕食とする。質素だ。
時間をかけて、パンを水でふやかしながら食べる。――すると、木々のざわめきが一層大きくなる。
――生物の気配がする。すわっ、夜盗か。
懐に隠す短剣を右手に構えながら、耳を澄ませる。
ぺたぺた。
まるで子供が裸足で地面を走り回るような音が、木々のざわめきの合間に一瞬だけ聞こえた。
方向は……ちょうど俺の背後あたりだろうか。
再度耳を澄ませるが、木々のざわめきが大きすぎて足音もへったくれもない。
止むを得ず目視と気配による警戒に切り替えたが――瞬間、俺の目は森にはあり得ない色を捉える。
「…………」
銀。月と見まごうような、だが煤けている銀。
木の端っこから明らかに見えているそれは、尻尾だった。
少しごわごわしているようだ。――毛の生え方から見るに狼か。
……なるほど、狼が干し肉の匂いにつられてやってきたか。ちょっとスパイシーな干し肉にしたのが仇になった。
だが、狼は運が悪い。俺は、頭文字に『元』が付くが、勇者という実力者である。
とっくの昔――と言っても三年前ほどだが――に引退したが、剣の腕はいまだ冴えわたっている。……と思いたい。
少なくとも狼には勝てるはずである。
つまりこの狼は食事であり、毛皮であり、俺の資金源であることに間違いない。
油断なく、すぐにでも迎撃できる様に半身で短剣を構える。
飛び出して来たら一突きでおしまいだ。明日の朝ご飯は少しだけ豪勢になることだろう。
さぁ、来るといい――そう思った瞬間、銀の尻尾はすさまじい速度で左へ揺れた。
「なっ……!」
目で追いきれない。
銀狼は凄まじい速度で木々の周りを駆け巡り、凄まじいまでの速度でもって俺をかく乱する。
だが、慌てずにタイミングを見計らう。――銀狼が襲い掛かってくるタイミングを。
木々のざわめきが大きくなり、一瞬止む。少しの間隙を挟んで、強い打撃音。
――来るッ!
浅く腰を落とし、目線で狼の影を捉える。
木を蹴ったのだろう。風のようにこちらへ飛翔する狼の速度は、今まで見たどの攻撃よりも速かった。
きっと一瞬でも対処が遅れれば、今頃俺はあの狼の餌食になっていただろう。
だが、俺が一枚上手だ!
「――らぁッ!」
「ひゃっ!」
まずは動きを止めるべく繰り出した膝。しかし、狼のようなそれは、空中で素早く一回転し、俺の膝を蹴って上空へと舞い上がる。
――まずい、普通の狼ではない。身体能力が高すぎる。それに先ほど知性のある声を発したようだ。
よもや、魔獣か。
もしそうなら、短剣じゃ荷が重い。――宙でくるくると回転する狼を睨みながら、どうするべきか考えを絞る。
だが、俺の考えはすぐに中断させられた。
ほかならぬ、狼――否、狼のようなナニカの手によって。
「危ないじゃないですか。いきなりその仕打ちは何なんですか? 私こっそりとつけてただけですよ? あれですか、堪え切れず城壁都市から出てきた罰か何かですか? いやほら、懐かしい匂いがしたらそりゃ仕方がないことでは? というか空中でこんなことしてると色々とまず――。……っ~~~~!」
突如として、強雨のように降り注ぐ鈴の鳴るような声。
そして途中で思いっきり何かを噛みながら、背中から地面へと落ちていく。
かなり高い位置だ。下手をすると背骨を折って死ぬくらい。
まぁ狼が死んでくれるなら放っておくのだが、今回ばかりはどうも事情が違うようである。
甲高い悲鳴を上げながら落ちてくる少女めがけて、俺も飛翔する。
風魔法を使って勢いを上げ、落ちてくる少女を横抱きに。
そのまま魔法で風向と風力を調整しながら、安全に地面に着地する。
「……ふぇ? なんで? なんで私ぶつかってない――。………ふぇ、あ、え?」
「……いろいろ聞きたいことはあるが、まずは聞いておくぞ。怪我はないか? あるいは痛いところ」
「え? あ? え、えっと。な、ないです。ありません」
そうか、と一つつぶやいて、少女を地面に降ろす。
しっかりと地面を踏みしめて立ち上がる少女は、いわゆる獣人であった。
腰辺りまで伸びている銀色の髪と同じ色の耳と尻尾。先ほども断じたが、やはり狼であるらしい。
「あの、そんなに見られると恥ずかしくなっちゃいます」
「……おう。ところで、君。名前は?」
俺がそう聞くと、少女はよくぞ聞いてくれました、とばかりに尻尾を振りながら、少しだけ俺と距離を取った。
そのまま深くお辞儀をして、俺の目をまっすぐに見る。
「私は、オルカ。銀狼族のオルカと言います。――覚えていますか、勇者様。私はあなたに救われたのですよ」
「……は、はぁ。えっと、どこで?」
「魔王の膝元――魔城市街の奴隷商館です。勇者様に、手を差し伸べていただきました」
瞬間、息が詰まるような感覚に襲われた。
思い出されるのは、反吐が出る様な出来事。
永年封印したかった、胸糞悪い出来事だ。――もう触れることもないと思っていたが、そうはいかないらしい。
………でも、素直に嬉しい。
「勇者様?」
「………。ああ、そうか、あそこか――。よく、よく立ち直ったな」
彼女が――あるいは彼女ら、かもしれないが――、元気にふるまっていることが。
俺のやったことが間違いなんかじゃないって、教えてくれるような気がした。