Act.3:辟易とした勇者、小さないさかい
馬車から降り立った俺たちは、頬を通り抜ける爽やかな風を一番目に感じた。
オルカはすこしくすぐったいのか、小さくくしゃみを漏らす。
……そういえば、オルカの前髪は目にかかるくらいに長かった。村についたら、前髪を切ってあげるのもいいかもしれないな。
そんなことを考えていた時だった。俺たちの耳に響いたのは、村人たちの怒声と打撃音だった。
驚いてそちらを見ると、そこでは村人たち同士が殴り合いの喧嘩をしているようだった。
尋常ならざる雰囲気に、俺は何か重大な問題が彼らの間で発生しているのだろうと見当をつけた。
だからと言って関わるわけではないが――。
「……」
そんな俺を見とがめるように、オルカが空色の瞳で見つめてくる。
その眩しさに少し目を逸らすと、オルカは瞳を更に細め、俺の袖を引っ張った。
「……助けないんですか?」
つい、と視線をオルカと反対側に向ける。
そんな視線を追うように、オルカは位置を変え、俺の目をじぃっと覗き込む。
オルカの強い視線に、俺が自分で吐いた言葉を思い出した。
すなわち、”正義とか悪とか、そんなチンケなものじゃ測れない何かを教えてやる”という言葉。
大切なものを教えてくれるというのに、それでいいのか、と言った訝し気な視線であることを、俺はこの時ようやく理解した。
確かに、何かを教えるならば相応の態度を示さなければいけないような気もする。
……しょうがない。それにこのまま喧嘩したままでは、村の施設を上手く使うこともできないかもしれない。
長旅なんだ。余計なことまでにエネルギーを使いたくない。俺は行動にそう理由付けて、深いため息を吐いた。
「……夜までに解決するぞ。それでいいな?」
「はい――!」
勇者都市の街中のすさんでいた態度のオルカとは思えないほどの、一種献身的な態度。
俺はそんなオルカの態度に少しだけ腑に落ちないものを感じながら、けんかの仲裁に入るべく、歩みを進めたのだった。
◇
「お前の鍛冶場が水を多くとったからこんなことになっているんだろ!」
「何よ! あんたの果樹園が水を全部横取りしたからこんなことになってるんじゃないの?」
村の広場に入った俺に聞こえてきたのは、そんな怒声だった。
広場にいる村人は、そんな喧嘩を仲裁する様子はなく、むしろ遠巻きに陣取って静観の構えを見せていた。
見れば、村人の頬は痩せこけており、目は濁っていた。――勇者時代に聞いた治癒術師の話によれば、これらは栄養失調の前触れだという。
……もしかすると、村の人々の様子と、今広場の中央で喧嘩している村人たちの言い分には何か関連性があるのかもしれない。
とりあえず、異変の解決には当人たちから話を聞かなければなるまい。
俺は今にも殴り掛かりそうな両者の間に分け入り、その手頸をつかんだ。
唐突な邪魔者の登場に、村人たちは一瞬驚いた表情を見せるも、その後すぐに表情が激昂のそれに変わる。
「なんだよお前! 離せよ!」
「そうよ、何よ唐突に……!」
「……話を聞かせてほしい。無意味に拳を振るうことは無意味だということは、君たちもうすうす理解しているだろう?」
俺がそう言うと、二人は俺に強い視線を送りながらも距離をとる。
かと思えば次の瞬間、互いが互いを指さし、声高にこう叫んだのだった。
「「この男(女)のせいで、水源がなくなっちまったんだ!」」
その後、数十分の話し合いの末、見えてきた客観的な事実があった。
そう、何らかの原因によって水源が断絶した――と言うことだ。
聞けば大風や大雨、土石流などの主たる災害などはなかったという。また、大型のモンスターの存在も確認されておらず、村人たちは、誰かが水源を独占していると考えているようだった。
水源を直接見に行けば済む話なのではないか、と提案したところ、あんな危険なところに行ける人間はこの村にいないとの返答が帰ってきた。
……そんな時だ。俺の袖が引っ張られた。
振り返る必要もない。オルカが俺の後ろにいるはずだ。
「水不足みたいですね。頬がやせこける位なら、それなりに長い時間断水が続いているんでしょう」
「……そうだな」
「水がなければ食物も作れない。パンも作れなければ、飲み水にも苦労しますよね」
「…………その通りだな」
「つまりこれは、村の存亡をかけた問題と言うわけですよね」
「……。そうとも言えるかもしれないな」
「だとしたら――」
オルカは俺の前に躍り出る。銀色の狼耳と尻尾が俺の前にふわりと舞った。
爛々と輝く瞳は、俺を捕まえて離さない、月のような光芒を放っていた。
……俺は、今この時。オルカが何を言わんとしているのかが理解できた。
オルカは俺の手を握っていて、そのまま爛々と輝く瞳で――。
「救い甲斐が、ありますよね?」
満面の笑みを浮かべて、そう言った。