Act.1:元勇者と少女、始まる旅路
「――おい、準備はできたか」
「ええ、万全ですよっ」
景気よく俺の言葉に応えたのは、銀狼族の少女:オルカ。つい先日まで路地裏の一幕で受けた怪我で寝込んでいたが、今はその面影すら感じさせないほどに元気だった。
今も、旅が始まるのが楽しみでしょうがないとばかりに、整えた旅装のままはしゃぎまわっていた。ちなみに尻尾もぶんぶんと振られている。
そんなオルカの姿を見ながら、俺も旅装を整える。
これから向かうのは、ここあたりでも有数の巨大都市:勇者都市。この城塞都市が魔物との戦いの前哨基地とするならば、勇者都市は補給線の要といっても過言ではなかった。
勇者都市の土地には光の神の加護が伝えられており、だからかどうかは定かではないが、全体的に富んでいる都市だ。勿論食料も豊富であり、だからこその補給線の要でもある。
じゃあ、何故その場所に行くのか、という疑問が出るのは当然のことであり――
「で、何でその勇者都市とやらに向かうんですか?」
「いったろ、正義とか悪とか、そんなチンケなものじゃ測れない何かを教えてやるって」
「え、言ってましたっけ?」
「……おい、俺は昨日もいったはずだが? しかも同じような質問をされて」
俺の言葉に、オルカはびっくりしたように目を見開いたのち、にへらと笑顔を浮かべた。
「ごめんなさい、忘れてました!」
「………。置いていくぞ」
「いや本当にごめんなさい何でもするのでそれだけはよしてくださいって――本気で置いていくつもりですか?! 逃がしませんよ! もし置いていくようなことになれば、勇者様の後ろについていって、街中に在らぬ噂を流しますからね!」
「いや、あらぬ噂ってなんだよ」
「例えば……勇者様には、意中の女性がいる。意中の女性とは、まだまだ幼い銀狼族の少女で、名前をオルカというらしい。勇者様は幼女趣味の変態である――とか?」
「……好きにしろ」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、オルカは意外そうな顔を浮かべた。
え、困らないんですか? と言いたげだ。
……困らないと言うべきか、困ってもしょうがないというべきか。そもそも俺はもう、勇者ですらない。強いて言うならば元勇者であり、現勇者は俺と別に勇者都市に存在するのだ。
「……それは、私と恋仲であるといううわさが広まっても構わないという認識で大丈夫ですか?」
「まぁ、そうなるな」
「つまり、勇者様は私と恋仲になりたがっていて、だから噂が広がっても痛くも痒くもないと?! 嬉しいですね、いやまったくもって嬉しいですね!」
「……さて、そろそろ出発するとしようか。馬車はどこで止まるかな」
「待って待って待ってください! ごめんなさい、もう言いませんから! 置いていくのだけはやめてください!」
「……だったら早く準備をしろ。本当に置いていくぞ」
少し冷たく言い放つと、オルカは急いで準備を整えた。もともと旅装は整えているのだから、あとは細かいもので済んだらしい。十数秒もすれば、出発する準備は整った。
にへら、と笑顔を浮かべて俺の横に並び立つオルカ。俺はそんなオルカの頭に手を置いて、乱暴に頭を撫でる。
「わわ、なんですか?」
「オルカ、一つだけいいことを教えといてやる。本当に好きな相手には、名前で呼んでやると喜ばれるぞ」
「そうなんですか? じゃあ名前を教えてください」
「……俺は、本当に好きな相手に、と言ったはずだが」
「え? だから勇者様がそうなんですってば。わざわざ言わせないでくださいよ、恥ずかしい」
いやんいやん、と体をくねらせて照れるオルカ。尻尾はフリフリと左右に動き、耳もぴくぴくとしていた。……さっきからずっとこの調子だ。何がそんなに嬉しいのだろうか。
それはさておき、まさかオルカに名前を尋ねられるとは思わなかった。いや、確かに名乗っていなかったけれども、名前を聞かれるなぞ少しも考えなかったからであって。
まぁ名前くらいはいいか。別に減るものでもないし。
「俺の名前はアベルだ。まぁ覚えなくてもいいが、二度と教えるつもりもない。呼びたいならしっかりと覚えておくといい」
「アベル……アベルさんですね。ええ、覚えました。それはもう、確りと」
きらきらと輝く瞳で、何度もアベルさんと呼ぶオルカの姿を見ていると、少しだけむず痒くなってくる。多分だが、恥ずかしいのだろう。
「さて、これから勇者都市に向かうわけだが、その途中で村に寄る」
「村? 都市に向かうのにですか?」
「ああ。距離的にも、勇者都市へ向かうためにはその村を経由しなければならない。ほら、いくら馬車だとしても、水や食料を補給しなければ移動はできないだろう?」
「お馬さんだって生き物ですしね」
オルカは、なるほど頷いている。前々から利口な子だとは思っていたが、これだけ理解が早いと助かる。生憎俺には、子供のために噛み砕いてわかりやすく説明する能力なんてない。
耳をぴくぴくさせて納得する様子を魅せたオルカだったが、突如として耳をぴんと立てて、俺へと質問してきた。
「……あの、アベルさん」
「なんだ?」
「馬車って、アベルさんが個人で購入してるわけではなく、辻馬車を使うんですよね?」
「ああ、そうなるな」
辻馬車とは、勇者都市と城塞都市をつなぐ馬車の定期便のことである。ちなみに一週間に一度しか来ない。一度逃すと来週までここに居なければいけない。
オルカも知っているレベルの常識だ。だが、なぜ今それを……。
「ちょっと遠くで、馬車が止まる大きな音がしました。……何となくですが、これがその辻馬車ではないのでしょうか」
「………。走るぞ!」
「はいっ!」
ここから停留所までの距離はそれなりにある。だが、十分でたどり着くことができる程度の距離だ。だが、今辻馬車が停車したということは――。
あと二分もすれば、辻馬車が出発する、ということだ。
「ついてこれるなっ?!」
「ええ、走るスピードなら負けません!」
なかなかに言う。
自信満々に笑顔を浮かべるオルカを置き去りにするように、俺は速度を上げた。今俺が出せる最高速度だ。このスピードに追い付ける奴はそうそういないだろう。
と思ったら、オルカが俺を追い越して先に出た。どうやら空中で尻尾を使ってバランスを取っているらしい。一歩一歩の力のロスが限りなく少なく、まるで風の様に人の間をくぐっていく。
さすがは銀狼族。野に生きる最速の種族だった。まだ子供といえども、その力は侮れない。
だが、種族の違いで俺が負けと判断するのもなんだか癪だった。生きている年数を笠に着るわけではないが、それでも熟練の動きと言うものを見せないと、オルカに示しがつかないと判断した。
俺はオルカに教える身だ。ならば、何事もオルカを上回っていなければならない――そう思った。
俺は足に思いっきり力を込めて、爆発的なダッシュを決めた。人の波があるせいで最高速度は出せないが、それでもオルカに追いつくことには成功する。
「やりますね」
「平然としやがって……」
澄ました顔でで俺の横に並ぶオルカ。流石の銀狼族、とはいっても、オルカはどうもこれ以上の速度を出すことはできないらしい。よくよく見れば、額に脂汗が浮かんでいる。
そのまま爆速で馬車の停留所まで走り抜け、ほぼ肩を横一列に並んだ状態で最後の直線へ突入する。このままいけば確実に引き分けになるだろう。
しかし、そんな時だった。オルカが足元の石に躓いたのか、急に体勢を崩した。
「危ないっ!」
俺はそれを抱き留め、そのままダッシュで停留所まで向かう。途中でオルカが何かを言っていたが、それは無視する。外傷もなければ、抱き留めていることによる何らかの障害も発生していなかったように見受けられたからだ。
そうしてたどりついた馬車の停留所の通行券売り場で、俺はオルカを下ろした。さっき何か言っていたので何かあるのかと見つめるが、特に何もないらしい。
強いて言えば、顔が赤いところくらいだろうか。そこだけが、オルカに見られる唯一の異常だった。
「おい、どうしたんだオルカ」
「な、何でもありません! 早く馬車に乗りますよ!」
ぷんぷんと怒って、オルカは俺の手から乗車券をひったくった。
しかし、何故だろうか。怒っているはずなのに、尻尾は嬉しそうに振られているし、耳はぴこぴことして確実に上機嫌の時の合図を出している。
不思議だ……。年頃の女の子は扱いが難しいな、等と思いつつ、俺もオルカに続いて辻馬車へと乗り込んだ。