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9.母と言う存在

 白一面に覆われた、殺風景な部屋の中、ひとりの女性がじっと座っていた。

 両手を強く握りしめ、目は落ち着きなくキョロキョロと動くものの、その焦点は定まっていない。

 部屋の中にはけたたましいサイレンの音が鳴り響いていた。

 小刻みに震える肩。荒い息。まるで心臓の鼓動がそのまま体を乗っ取ったかのように忙しなく動く様子は、肉食動物に襲われる前の小動物か? それとも悪戯をして教師に怒られるのを待つ小学生のようにすら見えた。


 シュッー


 その時、部屋の入口にある自動ドアが開いた。

 女性の体が弾かれたようにビクンッと波打つ。

「やあ、お待たせしてすみません。ちょっと別の患者の診断をしていたもので……」

 現れたのは白衣をまとった、まだ若い医師だった。話しながらソファに座る女性の前に向かう途中、女性は大声で話しを遮る。

「式倉先生! いったいこのサイレン音は何なんですか?! ここは病室じゃないんですか? なんでこんな非常事態みたいな音が鳴り響いているんですか!!」

「まあまあ、お母さん、落ち着いてください。確かにここは病棟の控室ですが、病室そのものではありません。患者にはほとんど聞こえていませんのでご安心ください」

「そんなことはどうでもいいんです! いったい何が起きているんですか?!」

「……そんなこと、ですか? まあそうでしょうね」

 叫ぶように問いかける女性の声に、医師は薄ら笑いを浮かべる。

「実はちょっとだけ想定外な事が発生しまして、このサイレン音はその為のものです」

「想定外? 想定外って何なんですか!」

「娘さんの脳に直接電気信号を送って我々が干渉をかけているのは以前にお話しした通りなんですが、その出力制御にちょっと問題が発生しました」

「問題?! 問題って何なんですか!」

「脳の電気信号は本当に繊細なものです。それこそ塵の千分の一という位の僅かな差を検知して、それに合わせて微妙な強弱を付けています。その検知するセンサーに障害が発生してしまいました」

 医師の言葉は淡々としたものだった。そこに一切の感情は含まれていない。それが余計に女性をいらだたせる。

「だから何だって言うんですか! 分かりやすく言ってください!!」

「以前お伝えしたと思いますが、お嬢さんはある種のゲームの中にいます。その中であまりにお嬢さんの精神が過負荷と思われる状況に陥った時、我々は強制的に『リセット』を行ってきたのですが、それが出来なくなったんです。分かりやすく例えるなら、物語の異世界にひとりで放り出されたようなもの、とでも言えば想像がつくでしょうか?」

「そ、そんな! あの娘はまだ15歳です! 確かに利発で賢くて親の言うことを聞く良い子ですけど、ひとりでなんて生きれるはずがありません!! 私がついていてあげないと、あの子は何も出来ないんですよ!!」

 涙さえ滲ませて声を荒げる女性を、医師はどこか醒めた目で見つめていた。

 15歳という年齢は確かに子供だが、それだけではない。むしろ大人への入り口を潜り抜けた頃であり、子供であって子供ではない年頃だ。それなのに我が子に対するこの女の発言は、まるで愛しいはずの愛娘をいつまでも子供のままに鎖で繋いでおきたいかのように思えてならなかった。

 冷徹な表情を崩さず、しかし若き医師は内心笑いが込み上げてきて仕方が無かった。

 実に想定どおりだ……

「……実はこちらから全く手助けが出来ないというわけでもないんです。お嬢さんの反応を感知することは出来ませんが、『一方的に』こちらから情報を送ることは可能です」

「情報? それってどういうことですか?」

「そうですね、『エネルギー』あるいは『パワー』とでも言い換えても良いかもしれません。もっと簡単に言えば、お母さんの娘さんを想うエネルギーをお嬢さんに届けることが可能なのです」

「まあ、私にぴったりじゃないですか。娘を想うパワーなら、世界中の誰にも負けません」

「ええ、まさにそうでしょう。ただ注意事項があります。先ほど言ったとおり、お母さんの『想い』を受けた結果がどうなったかを、我々は感知出来ません。これは非常に大きなリスクと言えます。それでも行いますか?」

「当然ですわ! 娘はこんなことをしている場合じゃないんですから! 一刻も早く退院して、遅れた分の勉強を取り戻して、一流大学に入って、政治家になって、私みたいにクズな男ではなくて優秀な男性を捕まえて結婚しなければならないんですから!」

 女性の顔はどこまでも真面目で、心の底から本心を言っているであろうことに微塵の疑いも感じられない。

(バカな女だ…… いや、人間なんて所詮はみんな馬鹿な生き物なのかもしれない……か)

 その時若き医師の瞳がほんの少しだけ曇ったことに、しかし狂ったような妄信に身をゆだねている女性には気付かない。気付くはずもない。

「……なるほど、それは確かに『とてつもないパワー』ですね」

「当たり前です。この娘のことは自分よりもよく知っています! 早くその娘にパワーを与える方法というのをやってください!!」

「えぇ、それではこちらへどうぞ」

 式倉氷雨は女性を立たせ、隣の部屋へと招き入れる。

 数々のコンピューターのランプが明滅し、一瞬クラッと目眩を覚える女性に、医師はケーブルに繋がれたヘッドギアのようなものを手渡す。

「それではこちらを頭に付けて頂けますか。そして娘さんのことを、そうですね、娘さんの将来のことを思って、想いを届けるようなイメージを持ってください」

「ええ、大丈夫ですわ。だって娘は他の人間とは違うんですから。挫折なんて似合わない、栄光の未来が待っているんですもの。それでこれをすれば娘はすぐに目を覚ますんですよね」

「それは分かりません。ですが少なくとも『娘さんの精神が強く揺すられる』のは間違いないです。あぁ、あと付け加えるのでしたら、娘さんはいわゆる『夢を見ている』ような状態です。こちらで一瞬に思えることでも娘さんの夢の中では一生に匹敵するくらい長い時間に相当するかもしれません…… まあ、こんなことはどうでも良いですね。ああ、あとこちらの薬をお飲みください」

「これは何ですか?」

 式倉氷雨は無造作にポケットから白い錠剤を取り出す。

「集中力を高める薬です。こちらを服用することによってより強力な想いを伝えることができます。まあほとんど気休めみたいなものですが、お母さんも少しでも成功率を高めたいでしょう」

「とうぜんです。頂きますわ」

 ヘッドギアを付け終わると、医師からひったくるようにクィっと三錠のタブレットを飲み込む。

 と、刹那、女性の瞳が白濁し、体中の力が弛緩する。

「おやおや、一錠で良かったんですが、言う前に飲んでしまいましたか。一応言っておきますが、三錠出しましたけど飲むのは一錠でお願いします。三錠も飲むと精神がおかしくなる可能性がありますので、絶対に飲まないでくださいねって、まあ聞こえないでしょうけど私も医師ですので説明責任は果たさないと。さて……」

 医師は女性の頸動脈に軽く手をあて、脈があることを確認する。死んでしまっては元も子もない。

 女性の口からは白い泡が吹き溢れていたが、式倉氷雨はそれに目もくれず席を立つ。

「……女王様。あなたには期待しています。まあ信じてはもらえないかもしれませんが、ね」


 シュッー


 医師は部屋を出る。

 後には暗い部屋の中、明滅するランプの星明りの中眠る女性だけが残された。


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