8.王ということ
バンッ!!
音も高らかに両開きのドアを叩きつけるように開け放った時、その場所は異様な静けさに包まれていた。
ううん、その表現は正しくないのかもしれない。だって私が入った瞬間に、部屋の空気が微かに震えたのを感じたのだから。
……思い出すのは一人遅刻して教室のドアを開けた時の感覚。そう、きっとこの静けさを呼んだのは「
私」。
あの時だって登校の途中でお腹が痛くなっただけだったのに……
苦しくて、うずくまって、何とか動けるようになってから頑張って学校に行ったのに……
授業が始まって静まり返る廊下。一人だけ別世界にいるかのような校舎の中、どれほど扉の前でそのまま帰ってしまおうと思ったか…… それでも必死に勇気を奮い立たせてドアを開けた。
30分だけ遅れて入った教室で、いっせいに、まるで罪人を見つめるかのように、白々と、冷めた目の集中砲火を浴びた時の切ない思い出は、今でもハッキリと覚えている……
そして今、あの時と同じように、痛い程の視線が集まるのを感じる。気のせいか、お腹がきゅーーと痛み出したような気がする。それでも私はあえて無視した。そんなの幻だ、全然大したことじゃない!
ひとつ大きく息を吸って、グルッと部屋の中を見渡す。ここにいるのは30人くらいかな? 意外なことに若い人が多い。まあ若いと言っても、きっと20代とか30台なんだろうけど、なんとなく日本の国会をイメージしていたせいで、もっとおじいちゃんやおばあちゃんみたいな人ばっかりかと思っていた。
でも、なんだろ? 変な違和感を感じてしょうがない……
「これはこれは王女様。いや、もう間もなく『女王陛下』であられますな。まずは我々臣下一同、心よりこの度の戴冠の儀を迎えられたことをお喜び申し上げます」
朗らかな笑みを浮かべながら、真っ先に口を開いたのは、初老を迎えたくらいの恰幅の良い男性。間違いなく、この場所で一番貫禄を感じる。何歳なんだろう? たぶんそこまで年をとってはいないんだろうけど、残念なことにピカッと光り輝いている後退した頭皮が実年齢以上に損をしている気がする。氷点下の視線が突き刺さる中で、この人の視線だけは温かみのようなものを感じることが出来た。
と言うか、一瞬、おじいちゃん! と心の中で叫んだのは声に出なかった自分を褒めてあげたい。褒めてあげたいんだけど、さて、この人は一体誰なんだろう? うぅぅ…… 当たり前なんだけど、誰が誰なんだか全然分からない…… みんな立派な服を着ているから、きっと偉い人達ばっかりなんだろうけど……
ええい! 女は度胸だ!!
「あ、ありがとうございます。それにしても何人か見慣れない顔がいるようなんだけ…… ですけど、気のせいかしら?」
「おぉ、これは失礼しました。この度の祭典に伴い、叙勲を受けた者のお目通りも考えておりました。女王陛下がご存じないのも無理はございません。本来は式典の中で紹介する予定でしたので」
「う、うむ。ならばよいのですわ。しかしこの人数で皆が皆、名前と役職を知っているとも限らないんじゃない、じゃなくて、限るまい。ひとまず簡単に自己紹介をしたらどうじゃ?」
あぁぁ!! なんかもう言葉がぐちゃぐちゃ!! いったい女王様ってどんな喋り方なのよ!!
「さすがは陛下、微に入り細を穿つ配慮。長老院元首たる爺も感涙に咽び返そうな心境です。しかしながら、ご心配は無用ですじゃ。既に陛下以外は皆知っておりますので……」
「で、でもほら、そう思っているだけで実はよく分かってない人だっていると思うんだよね、ですわ」
「はっはっはっ、ここにいる者達は皆、優秀なるものばかり。そのような空け者はおりませぬじゃ……」
「そ、それでも、ねえ、ひょっとしたら違う人だっているかもしれないじゃない」
「大丈夫です、そのような者など……」
「いいから、私が知りたいの!! 文句ある?!」
………
………
ハッ?! しまった。つい怒鳴っちゃった。だって、なんか、この人ウチのおじいちゃんみたいなんだもの。他人の話を全く聞かない所なんてそっくり…… っていうかヤバイ……、部屋の空気が痛い程重くなっちゃった…… どうしよう?
その時、私の後方でカタッというイスが動く音がした。
「ヤコブンセン殿、いつまでも陛下の事を子ども扱いする癖が抜けられないようでございますね。陛下のお気持ちをきちんと汲み取ってあげることこそ臣下たる我々には必要なことかと思いますよ」
それは例えるなら、氷原を駆ける早春のそよ風のような声だった。凍てつく氷を溶かすような、柔らかで、それでいて何者にも揺るがない強さを持っている……
立ち上がった男性の顔を思わずマジマジと見つめていると、向こうも気付いたのか、ほんのちょっと、視線だけ私の方に向けて、まるで悪戯っ子のようにウィンクした。
えっ?! だれ、このキザ男?! いや、優男? ってか、ちょっと格好良いかも?
「女王陛下は陛下たる威厳を示したいのでございましょう。何より、この後に大切な式典が控えておりますから。神経質にもなろうというものでございます」
「おぉ、ヘクトサインズ殿。これは痛いところを突かれましたなぁ。どうも陛下を見ていると幼い頃の腕白な印象ばかりが強くて…… これではいかんとは自分でも思っているんじゃがな」
するとヤコブンセンおじいちゃんは、フォッフォッフォッと頭をポリポリ掻きながら豪快に笑う。
「えぇ、そうです。それに王女様もご心配は無用です。今日から女王陛下になられるとあっても、ここにいる者達は皆女王陛下の臣下なのです。御心がけは立派ですが、無理をなさらず、普段通りの口調で宜しいと思いますよ」
王女ではなく「女王陛下」の臣下…… 些細な言い回しだけどその意味はハッキリ分かる。
彼は会議室の中をグルリと視線を這わせる。まるでここに入る人間ひとりひとり全員の瞳を射抜くかのように。視線が合った人達は皆、慌ててよそ見をしたり、うつむいたりしている。それに伴って、あれ程の冷たい空気が嘘のように瓦解していくのがはっきりと感じれらた。
やばっ、やっぱりバレバレだぁ……
「あ、ありがとう、なのですわ」
思わずこぼれ出た私の言葉に、ヘクトサインズさんは白い歯を見せ笑う。
「いいえ、当然のことをしたまでです」
やだ、もう顔が熱い……
それが恥ずかしいからなのか、嬉しいからなのか分からなかったけど、とにかく顔が真っ赤に火照るのを感じる…… ってか、もう、だからそんな爽やかな笑顔でこっちを見ないでって。
私がどうしようもない想いで一人身悶えている中、ヤコブンセンおじいちゃんの指示の元、各々が自己紹介を始める。
最高国家議会
政務を扱う国務会議
財政を扱う会計監査院
司法を扱う高等法院
軍務を扱う国家治安部隊
そして王国騎士団
それらはどれも、各々の自己紹介の中で出てきた単語だ。どれも馴染みの無い単語ばかりだけど、一生懸命になって覚える。
得られた情報が足りているのか足りていないのかなんて分からない。でも必要か必要じゃないかで言うなら間違いなく「必要」なものばかりだ。
忘れることは許されない。
私は知識ゼロ。でもこれでようやく「イチ」になる。これが土台。私がこれからやろうとすることのスタートなのだから。最後のひとりが着席したのを確認して、私は口を開いた。
「ありがとうございます。そしてまずは、予定よりも早くにこの場に現れたことを謝らせて下さい。実はどうしても至急みなさんにお伝えしたいことがあって来ました」
ざわつく会議場。
周りは年上ばかり。はっきりいってアウェー感もいいところ。それぞれの顔に尊敬だか侮蔑だか興味だか…… 様々な色が見え隠れしているけど、全ての視線が私に向けて痛い程突き刺さっている。
「おやおや、いったいどうされました? それほど慌てずとも、ほんの半日程度お待ち頂ければ十分なお時間がありましたのに」
ヤコブンセンおじいちゃんが不思議そうに口を開く。実際そうなんだろうな。でも……
「すみません、その『半日』も待てなかったので。お伝えしたのはこの国に蔓延している『悪魔の病』を無くす方法についてですから」
その瞬間、部屋の中にいる人達の声にならない息を飲む音が大きく響き渡った。
「そ、それはまことでございますか?」
ヤコブンセンおじいちゃんの声も微かに震えている。
でもきっと、私の方がもっと震えているのに違い無い。これから大切なことを言わなければいけないのだから。とても、とても、大切な……
私はひとつ大きく深呼吸をした。
「もちろん本当よ。いい、良く聞いて。みんな『おトイレ』を作って」
…………
…………
…………
「……は?」
「おトイレよ、おトイレ。化粧室? 洗面所? 厠? 雪隠? それともご不浄? だっけ?」
「いえ、名前が分からないわけではございませんが、いわゆる便所のことであってますか?」
「そうよ、そのおトイレよ! それを全ての家に設置しなさい!」
…………
…………
…………
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
突然、地獄のような沈黙を破って、バカみたいな笑い声が部屋ないに響き渡る。
笑っていない人なんていない。あのヤコブンセンさんさえ、肩を震わせて笑っている。
バカにされている…… 私を見つめる人たちの目が、まるで狂人でも見るかのような色に変わっているのがはっきりと分かる。
(くやしい……)
私は知らない内に、拳をギューと握りしめていた。足がガクガク震える。ナケナシで振り絞った勇気が一気に萎んでいく。視線が思わず下へと落ちて行くのを止められない……
「お静かに! みなさん、女王陛下の玉言です!! 身の程をわきまえなさい!!!」
空間を切り裂くかのような鋭い声が、その時会議場の広い空間を走った。
驚いて下げかけた視線を再び上げると、そこには怖い程の形相をして凛と立つ、ヘクトサインズさんの姿があった。その視線はまるで極寒の氷結のように冷たく、鋭く、それでいてその声は全員の心をグワッとつかむような熱を帯びていた。
一瞬にして会議室内の空気が冷え固まる。全ての笑い声も、身じろぎも、呼吸音さえ消えた。
「女王陛下、我々臣下の者どもが大変ご無礼を働いたこと、謝罪のしようもございません。処罰は後でいかようにも受けるとしまして、まずは続きの言葉をお願い致します」
「あ。うん。その、ありがとう……」
まるで映画で見た英国貴族のような深いお辞儀をするヘクトサインズさん。そのあまりに流暢な立ち居振る舞いに私はすっかり魅了されてしまった。
「いえいえ。当然のことをしたまで。女王陛下は女王陛下ご自身の意思を尊重なさいませ」
それだけ言うと、私だけに分かるようにウィンクをする。
って、何! 何なの、この人!! ハッキリ言って、意味不明だ。それ以上に、その様がキマッテルのが余計にワケガワカラナイ……
でもおかげでいつの間にか震えが止まっていた。心に少しだけ余裕が出来たのを感じる。これなら喋れる。そう、だって私はまだ何も「伝えていない」のだから。大丈夫、「説得」するのは私の十八番だ!
「みなさん、ごめんなさい。あまりに言葉が足りませんでしたわね。そうね、王国騎士団長さん、あなたはご自身の排泄物をどう処理なさってますか?」
私はこの場の中で誰よりも冷めた視線を送り続けてくる、引き締まった体をした30前後の男性に声をかけた。
「そんなものは当然そこら辺りに捨てております」
だからどうした? そんな心の声がはっきりと聞こえるような返答だった。だから私はあえて微笑んだ。うん、きっと笑えていたはずだ。ちょっと引き攣っていたかもしれないけど。
「ええ、そうですね。そしてそれが国民全員の考えだということも良く知っています。しかしその行為がどれ程恐ろしいことなのか、知ってますか?」
「女王陛下には申し訳ないことですが、そんなのは今に始まったことではございません。私の父、祖父、その祖父と、この国の建国以来ずっと行われていることです」
王国騎士団長は胸を張って答える。
まあ、きっとそうなんだろうな。これがここの国民全員の共通認識なのに違いない。理論で責めるか、感情で責めるか…… 考え込んでいると、まるで幼児を見るかのような目で私を見つめる王国騎士団長の視線が飛び込んできて、私は決意を固めた。
「かわいそうに。だからこの国は滅びるのね」
そして大げさにため息をつく。どこまでも尊大に。周りの全てを蔑むように……
すると想定通り王国騎士団長は顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「王女様! たとえ王女様と言えど、言って良いことと悪いことがありますぞ!!」
「それが何? 過去の慣習をただ繰り返して、自分でその善悪も考えることすら放棄し、その結果、どれほどの災悪をもたらすのかすら分からない人間に、生きる価値なんてないわ!」
私は感情を込めずに言い放った。
正直、声が微かに震えている。
怖い。
でも、こんなポッと出てきた私には、威厳が無い。信頼が無い。所詮は十代半ばの世間知らずな若造にしか見えないに違いない。そんな薄っぺらい言葉を、遥かに年上の大人たちの心に届かせるためには、それ相応に強く彼らの心を揺さぶらなくてはダメだ!
案の定彼らは私の言葉に激しく反応した。もちろん、マイナスの意味でだけど。でもこれでようやく話に入ることが出来る。少なくともさっきまでの、聞く耳すら持たない状況より遥かにマシだ。
「改めて聞くわ。ねえ、あなたは何故生きていることが出来るの?」
「は? 何をおっしゃるのか? 馬鹿馬鹿しい、毎日腹いっぱい飯を食い、労働をし、グッスリ寝ているからに決まっている」
「そう…… 決まっているの? なら、ほら、これを食べたらどう? とってもきれいよ」
私は机に飾ってあった、大きな真っ赤な花を掴むと、王国騎士団長に向けて放った。
「王女様はふざけてらっしゃるのか?! この花は確かに綺麗だが、食べられないことは誰もが知っている常識ではないか!」
「あら? そうなの? でもさっき自分で言ったじゃない。『腹いっぱい飯を食って』いるから、生きているんでしょ? どうして食べられるものと食べられないものを区別するの?」
「こんなのを食っても腹を下すだけだ」
あきれた様な声。まあ、そうだよね。でも、
「ねえ、なんでお腹を壊すのかしら? 知ってる?」
「そんなの、毒が入っているからに決まっているではないか」
「あら、良くご存じなのね。じゃあ騎士団長さんはこう言っているのよ。『排泄物の中には毒が入っている
』と。相違はないかしら?」
「そうだ」
「そう、ではあなたは重大犯罪人ね。いえ国民全員が、と言いましょうか。だって街中に毒をまき散らしているのですから。違いますか?」
「なっ?! それは、その、確かにそうかもしれないが…… しかし、そんなのは昔から続けられたことだ! それで何も不都合など起きていない!」
「そのせいで、『悪魔の病』が発生しているのだとしても!! あなたは、いいえあなた方はそれでも胸を張って同じことが言えますか!!」
頭の固い王国騎士団長に、私はどうしようもない程イライラが溜っていくのを感じた。何でこんな当たり前のことが理解出来ないのか? いや、違う、これはきっともう一人の私だ。自分の知っている世界が全てだと思って、それを信じて疑うことすら無い、井の中の蛙と同じ。
でもそうだと分かれば簡単だ。自分に置き換えれば良いだけのことだもの。自分だったら……
「そう、みなさんは知らないのね。排泄物の中には『魔物』が潜んでいることを」
斜め上を行く想像外の言葉で、こいつらの狭い世界をぶっ壊すまで!!
「な、何をおっしゃるのか?! もとはと言えば我々の体から出た物ですぞ。それとも魔物が我々の体から生み出されたとでもおっしゃるつもりか?!」
「ええ、そうよ。でもその認識は正しく無いわね。この世界の物は全て『善なる物』と『害をなす物』の両方の性質を持ち合わせているのよ。私たちは食物を口にする時、善なる物だけを取り込んで害をなす物をはじき出す。つまり排泄物は『害をなす物』の塊。それらは集まれば集まるほど力を増していって、やがて魔物へと変化するのよ」
「な、そ、そんな突拍子もないことを信じろとおっしゃるのか? 何を根拠に」
ここが正念場だ!
怖くない、怖くない。私は女王。この国の頂点にして、この国を守る存在……
「私よ。根拠なら私が持つわ。このセント・ストロベリシア王国16代国王として発するこの私の言葉こそが根拠よ!!」
胸を張って高らかと宣言した私の前で、王国騎士団長さん始め誰も口を開けなくなっていた。これでもはったりだけで生徒会長をやっているんだ。相手を、それ以上に自分自身をだますのは得意なんだから。
「王国騎士団長マクトウェイカモン殿。女王陛下がその名に掛けて宣言されたお言葉を、まさか疑うようなマネはされませぬな」
誰もしゃべることが出来なくなった会議場で、最初に口を開いたのはヘクトサインズさんだった。
「お、お待ちを! 女王陛下の言葉を疑いなどしませんが、全ての家に便所を作るなど、その費用はどこから捻出するのですか? ハッキリ言って我が国の10年分の予算を使っても足りませんよ!!」
そこへ口を挟んできたのは、確か会計監査院の人だったっけ。
……しまった。お金の事を完全に忘れていた。でもいくらなんでもそんなに費用ってかかるものなのかなぁ? ってあれ? ひょっとして皆おトイレってあの国王用のヤツをイメージしている?
「ちょっと待って! あんな国王用みたいな無駄に豪華なおトイレなんていらないから! でも、そうよね。それでもやっぱりお金の問題はあるわよね。なら、全ての家ではなくて、街の所々に共同で利用出来るおトイレを作りましょう! それなら費用は問題無いでしょう?」
「確かにそれでしたら無理ではありませんが、しかしそれはそれでただ作れば良いというものではありません。維持管理をする必要があります」
うん、確かにそれはそうだよね。日本みたいに水洗式なんて絶対無理だろうし、維持管理なんて文字通り「汚れ仕事」だ。あえてやりたい人なんてなかなかいないだろうし……
そうだ、良いことを思いついた!
「王国騎士団長マクトウェイカモン、王国騎士団に極めて重大な任務を与えます。公衆トイレが出来たら毎日排泄物を集めなさい」
「なっ?! じょ女王陛下、その仕事のどこが重大なのですか?!」
「この私が国王の誇りに掛けて言った言葉を信じられないと言うの? さっきも言ったはずよ。排泄物にどれ程の魔性が含まれているのかを。この仕事は気を抜けば関わった人間を一瞬にして魔物に取り込まれてしまう極めて危険な仕事よ」
憮然とした顔で反論の声を上げる王国騎士団長。まあそう言うのも当然だよね。トイレ当番なんて学校でも一番嫌われる分担だもの。でも私には秘策がある。私はここで大きく間を開けると、これ見よがしにため息を吐いた。
「はぁ…… これほどの危険な仕事を任せられるのは、勇猛にして一騎当千の力を誇る誉れ高き王国騎士団と、それをまとめ上げるマクトウェイカモンの他に適任者はいないと思ったのだけど、私の勘違いかしら」
「女王陛下、失礼ながらこのような責任重大な仕事に、王国騎士団では力不足かと存じます。彼らは目の前の敵をただ倒すことしか出来ませぬ。その役目はぜひ我が高等法院にお任せくだ……」
「ま、待て! 高等法院長代理ヘクトサインズ。このお役目は我ら王国騎士団が賜ったのだ。女王陛下、謹んで拝命致します」
「おや? 貴殿はこのような仕事は役不足だと言っていたではないのかな?」
「何をバカなことを。我ら王国騎士団は女王陛下の剣であり、国民の盾である。国を襲う災禍を守るのに何故不服などあろうか」
「それは失礼を、マクトウェイカモン殿」
慇懃無礼さをギリギリで感じさせない絶妙なお辞儀をするヘクトサインズさん。でもその口元がほんの少し笑っていたのを私は気付いていた。
「しかし女王陛下、集めた排泄物はどうするのですか? おっしゃるように魔物へと変化するならば、おいそれとは始末出来ませぬ。川にでも流してしまいますか?」
マクトウェイカモンさんが質問してきた。でも私は知っている。前読んだ「有機栽培農法」にきちんと書いてあった。あとはちょっとアレンジしてこの国の人たちが信じるような正当性を持たせられれば……
「大丈夫、『浄化』をすれば良いのですわ」
「浄化? とは?」
「まずは集めた排泄物に落ち葉などを混ぜ、一緒にまとめてください。やがてそれらは熱を帯びるようになって、匂いもきつくなるはずです。しかしそれこそが魔物達が苦しんでいる証です。その状態で数か月監視し続ければ、温度は下がり、匂いも無くなります。それが『浄化』です。そうして出来た残骸は、とても栄養価に富んだ、作物を実らすための肥料となります」
「し、失礼ながらなぜ女王陛下はそのようなことをご存じなのでしょうか?」
なぜ? なぜと聞くの……?
「そ、そんなの『女王』だからにきまっているじゃない」
うわぁ、我ながら苦しい! でもそんなの何て答えれば良いのよ! でも私の苦し紛れの返答に、マクトウェイカモンさんは何故かとっても感動したような表情で顔を真っ赤にしている。
「申し訳ございません! 今までのご無礼な態度の数々、心より謝罪致します。」
彼の言葉と一緒に、会議室にいる全ての人達が深く頭を下げた。これは、なんて言うか、逆に居たたまれない気持ちになって仕方が無い……
その中で一番早く声をかけたのは、やっぱり私の一番近くにいたおじいちゃんだった。
「女王陛下、それではこの書面にサインをお願いします」
「サイン? 何で?」
「少し早いとはいえ、もう王女様は女王陛下も同然。今回の件も国王の勅命と言うことであれば、当然施行に当たって女王陛下のサインが必要となります」
それもそっか…… って、あれ? 待って! そもそもわたしの名前って何だっけ?
「ねえ、ヤコブンセン、変な質問しても良いかしら?」
「なんなりと」
「私の名前って、なに?」
「はっ? あの、申し訳ございません。どうも最近しょうしょう耳が遠くなったようでして。もう一度お伺いしてもよろしいでしょうか?」
しまった、ストレートに言い過ぎた! もうちょっとぼやかして訊かないと……
「あの…… みんなは私の事を何て呼んでるかしら?」
「王女様ですが」
「そうじゃなくて!!」
「ああ、申し訳ございません。宣誓の儀が終わりますれば、ひとりの例外も無く『女王陛下』と及びすると思われますが」
「ああ、もう! そういうことじゃないの。ねえ、サインって、『王様』って書いても良いものなんですっけ?」
「はっはっはっ、またご冗談を。ご自身のお名前をお書きくださいませ」
……だよねぇ。どうしよう、わたし、自分の名前ってなんだったっけ? やばい、冗談抜きで全く思い出せない!!
心臓がバクバク大きな音を立てているのを懸命に隠して、何とかすまし顔をしている(つもり)の私の目の前に、ヤコブンセンおじいちゃんが巻物のようなものを開いた。
「えっ?!」
その瞬間、私の目の前に大きな吹き出しのようなものが現れた。おまけに真っ白な文字まで浮かんでいる。そこに書いてあったのは、
「『あなたの名前を入力してください』って、なに! これ??」
なんて言うか、そう、まるでロールプレイングゲームの最初のシーン、勇者が始めて王様に会って自分の名前を問われた時の様子に良く似ている。っていうか、そのまんまって感じじゃない! 何なのこれ!
気が付けば周りのみんなが固まっていた。ううん、人間だけでなく、一切の音が聞こえなくなっている。まるで世界が動きを止めてしまったかのようだ。
額から変な汗が流れ落ちて、私は無意識に手に握っていたハンカチで拭う。自分のものとは思えないほど大量の汗を染み込んだハンカチが、ズッシリと手の中で存在を主張した時、ふとハンカチに何か刺繍のように文字が縫いこまれているのに気が付いた。
「……A、KA、NE? AKANE?!」
思わず口ずさむ。その単語は全く馴染みがなかったのにも関わらず、不思議と懐かしいものを感じて仕方なかった。その瞬間、世界が一気に動きを再開した!
「アカネ女王陛下、確かにサインを頂きました」
「へ? えぇ?!!」
いつの間にか書面にハッキリと「アカネ」のサインが入っている!
「あれ? 私何時の間に書いたの? っていうか、私の名前って『アカネ』だったの?」
「ほっほっほっ、またお戯れを。アカネ女王陛下が自らサインされたではないですか」
「う、うん…… まあ、そう言う事ならそれでもいっか?」
釈然としない私をおいて、どこからとも無くラッパの音が高らかに鳴り響いた。
「アカネ女王陛下、それでは戴冠の儀が開始されます。さあ、身支度をお願い致します」
ラッパの音は鳴り続ける。どこまでも高く、誇らしく。それはまるで、ゲームのオープニング曲のように、私の心を高揚させるものだった。




