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6.一歩

「ううん……」

 私はまどろみの中、寝返りを打った。

 小鳥のさえずり。窓から入り込む朝日の眩しさが、私にこれ以上の惰眠をむさぼることを許してくれない。

「あふぁぁ…… うん?」

 私はひとつ、大きなあくびと共に伸びをして、ある種の予感を感じて、自分の体を見回す。

 何だかやたらとサラサラしたモノが、私の体にまとわりついてた。私は振り向くこともせず、確信を持って声をかける。

「おはよう、メアリー」

「おはようございます、王女様。本日は随分と目覚めが良いですね。やはり王位継承の日ともなりますと、気持ちが異なるのかもしれませんね」

 はたして、横から期待通りの澄んだ声が返ってきた。私は満面の笑みを浮かべながら、声の方を振り向く。さすがに三度目ともあれば、間違えようもない。そこにはメアリーさんの上品な笑顔があった。ならば何はともあれ、最初に確認しなくちゃいけないことがある!

「ねえ、メアリー、私って『だれ?』」

「はい? ……あの、どうかされましたか?」

「いいから、答えて!」

「……王女様、で、ございますけど」

「今日、王位継承するのよね! 何代目?」

「……16代目、でございますが」

 やっぱりそうだ! なら

「ねえ、メアリー。私、王位を継承するから、ここの『おトイレ』使っても良いわよね!」

「はい? ……え? はあ、まあ、問題ございませんが」

「よっしゃあぁ!!!」

 私は思わず握りこぶしを突き上げてしまった。よし! これで生きていくことができるぅ!!

「あ、あの…… 王女様、そんな満面の笑みを浮かべられて…… 先ほどからどうされたのですか?」

「ううん、気にしないで! それよりおトイレに行きましょ! ね、ね!」

「は、はぁ……」

 メアリーさんの当惑顔がすごいことになっているけど、そんなのに構っている余裕なんてない。まずは人生の最大の懸念事項を解決するのが先だ。

 改めて冷静に考えてみれば、王様なんて生徒会長の延長みたいなものでしょ? しかもきっと、周りには優秀な人たちがいっぱいいるはずだから、王様なんてウンウンと頷いていれば良いに違いない。童話や昔話の王様なんて大抵はバカ殿だし、実際の史実を見たってアホな殿様だらけだもの。そんなのでもつとまるような仕事だったら、おトイレにいけないことに比べたら、遥かにマシだよね。

 人間、割り切るとスッキリするというか、度胸が据わるんだと思う。私は軽やかなステップでメアリーさんの後を歩いていた。心が軽くなると、初めて周りを見渡す余裕も出来る。絢爛豪華な装飾に覆われた、巨人が歩く為に作られたんじゃないかと思う程高い天井の廊下を歩いていると、まるで中世ヨーロッパのお城のような、というか、そのまんま本当に『お城』なんだなぁと改めて認識させられる。考えてみれば、今まで部屋から出たことがなかったっけ。そうして歩くこと五分。

「こちらでございます」

「うわぁ…… なに、これ!」

 扉を開いた瞬間、100万の花々を引きつめた様な峻烈な香りが体全身を襲う。

 おトイレ…… うん、確かにトイレなんだろう。しかし……

「なんでおトイレが学校の教室より広いの?!」

 それだけじゃない! 並べられた数々の家具。無意味に絢爛煌びやかな調度品。そのままどこか豪邸の応接間と言われたって信じてしまう。というより、これのドコがトイレ何だろう!? バカじゃないの? だって食器まで置いてある。どこの世界にトイレで飲食するような人間がいるんだろう?

 そして部屋の中央に存在する圧倒的な存在感を放つ物体。シャンデリアが燦然と光を放つその真下に鎮座された、黄金色に輝くイスのようなもの。

「やっぱり、これだよ、ね?」

 あの…… もはや文化財や芸術品としか思えないような神々しいオーラを放っているんですけど……。イスを上から覗くと、やはり下は穴状になっていて、一面を真っ白な羽毛が引きつめられていた。

「ねえ、ここで用を足すんだよ、ね? なんで羽毛が詰まっているの」

「はい。それは前王のご希望で、ご自身の出されたものを見たくないとのことでしたので」

「ふーん……」

 なるほど、まあ理解出来なくもないかな。やっぱりこの世界にも、『オマル』じゃ嫌だって人もいるんだ。よかった、なんだかちょっとだけ安心しちゃった。でも当然、これを毎回取り替える人がいるんだよね…… なんて無駄なことをするんだろう。ガチョウだか鶏だか分からないけど、こんなことの為に羽を毟られるなんて知ったらたまったものじゃないだろうな……

「じゃあ、メアリー。ちょっと部屋から出て行ってもらってもいい」

「どうしてでございましょう?」

「それは、その、これから私がここを使いたいから!」

「それがどうされましたか?」

「だって! ほら、その、嫌じゃない!」

「私は全然構いませんが……」

「わ、た、しが! 困るの!! いいから出てって!!」

「そうですか。では、畏まりました」

 メアリーさんは深々とお辞儀をすると、トイレから出て行ってくれた。

 ふう、良かった。何だかここに来てから『常識』って言葉の意味が分からなくなっちゃったよ。

 私はホッとして、イスに腰を掛けて…………

 や、やばい! でない!!!!

 昔骨折で入院して、ベッドで尿瓶を使わなくちゃいけなかった時の事を思い出す。尿意はあるのにどうしても出て来てくれない!!

「だって、だって!!! 仕方ないじゃない!! こんなだだっ広い場所でおトイレなんかできる訳無いじゃない!!!!」

 考えてみて欲しい! あなたは教室のど真ん中にポツンと便座が置かれているような場所で、することが出来るのだろうか?! 出来る訳がない! おトイレには適度な密閉感が必要でしょ!!

「王女様! どうかされましたか!?」

 私の心の叫びは、どうやらそのまま実際の叫び声となっていたみたい。ドアの向こうでメアリーさんの緊迫した声が聞こえる。

「ううん! 何でも無い!! ちょっと時間が掛かるかもしれないけど、心配しないで!!」

 私も慌てて叫び返した。まあ、いいや。待とう! そのうち出るでしょ。人間開き直りが肝心だよ。

 そのままボーとすること5分。ここにきて、初めて心静かな環境に佇んでいると、今までの色々なことが頭の中に甦ってきた。

(王様かぁ……)

 さっきは勢いで王様になるなんて言っちゃったけど、冷静に考えればやっぱり大変なのに違いない。そもそも『生徒会長みたいな~』なんて言っても、私はなりたくて生徒会長になったわけじゃない。生徒会長選挙という名の、実際には壮大な『雑用係』を決める選挙に、クラスの誰も立候補しなかったから、誰の意見という訳でもなく私が勝手に推薦されて、押し付けられて、全クラスから選出された中で女が私だけだったから、何となく当選してしまった…… それだけの話だ。

 なりたくてなったわけじゃない。まあ、それは今も一緒か。

(そう言えば、悪魔の病が蔓延しているとか言っていたっけ……)

 正確に言えば、『前に会った』メアリーさんが言っていたことだけど、きっと同じなんだろうな。でも医者でも無いただの女子中学生である私が、そんな天災から救うことなんて出来る訳がない。

(どこの世界か知らないけど、日本に比べたら科学も医療も全然遅れているのは間違いなさそうだもの。だいたいおトイレが存在しないような国ってどうなのよ? ヤバイでしょ! みんなオマルにするとして、その後始末とかどうしてるの? そんな汚い環境だったら、そりゃあ伝染病も流行るでしょ…… うん?)


 あれ?


 いま私の中で、何かが引っかかった。

 メアリーさんは言っていた。『国中を覆い尽くすかのように広まったその病は、発祥すると体中が真っ黒に変色し、高い熱、呼吸困難となり、数日の内に死へと誘います』。それって、まんまペストだよね。ペストは中世ヨーロッパで広まった。媒体は確かネズミに付いたペスト菌を持ったノミだったはず…… そして中世ヨーロッパにもおトイレは存在しなくて、街中に捨てられた糞尿からネズミが増殖していた!!

「メアリー! メアリーいる!!」

「どうされましたか、王女様。そんなに大声を出されて」

「ねえ、今すぐこの国の偉い人達を集められる?」

「偉い人? と申しますのは?」

「偉い人は偉い人よ! 例えば法律とか決める時に、一緒に考えたり行使したりするような人たちよ!」

「は、はあ。そういう意味でしたら、本日は戴冠の儀と言うことで、宰相、各大臣、騎士団長全て王城に控えておりますので、多少時間が早いですがお集まり頂くことは可能ですが……」

「命令よ! 今すぐ偉い人達みんな集めて!! 悪魔の病を取っ払うわよ!!」

「??! 本当でございますか!! ははぁ、直ぐにご参集して頂くように取り計らいます」

 バタバタと足早に部屋を出ていくメアリーさん。

 所詮は私の知識なんて受験勉強でしかないけど、そこで得た知識が猛烈な勢いでパズルのように組み合わさって、一つの解を導き出して行く。心臓がバクバク言っている。興奮が収まらない。一刻も早く、この導き出された内容を皆に伝えたくて伝えたくて仕方がない。


「よし!」

 私は勢いよく立ち上がり、ガタッと盛大な音がする。

 …………

 …………

 …………

 そうだった…… わたし、おトイレの最中だった……

 幸運なことに、無駄に長いネグリジェが大切な場所を隠してはいたけれども……

「あ”あ”ぁ!!!!!」

 お母さん、ごめんなさい。わたし、人間として、何か大切なものを失くしてしまったかも……


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