4.Again
「ううん……」
私はまどろみの中、寝返りを打った。
小鳥のさえずり。窓から入り込む朝日の眩しさが、私にこれ以上の惰眠をむさぼることを許してくれない。
「あふぁぁ…… うん?」
私はひとつ、大きなあくびと共に伸びをして、ふと、違和感に気付く。
何だかやたらとサラサラしたモノが、私の体にまとわりついてた。
「!?」
その瞬間、強烈なデジャヴに襲われる。眠気が一気に吹き飛んだ! ベッドの上で上半身だけ起こして、恐る恐る自分の体へと視線を向ける。
「……やっぱり」
予感はほとんど確信だった。サラサラと体の表面を流れるように覆う、薄い羽衣のような絹地の寝衣は、絶賛成長中である私の胸の形がくっきりと分かるほど薄く、朝日を浴びてキラキラと輝きすら放っていた。私はこれとよく似たシチュエーションを、なぜか良く知っている……
「王女様、今日はお目覚めが良いですね」
すると、私の横で、落ち着いたアルトの声が響いた。その、『予想外に予想通りである』声に、私はある種の予感を抱いたまま、首を横に向ける。
「……あの、メアリーさん、ですよね?」
そこにいたのは、まるで漫画にでも出て来そうな、一分の隙も無いメイド服を身に付けた二十歳前後の女性。私の言葉にほんの少しだけ、その端整な瞳を大きくすると、穏やかな笑みを浮かべた。
「? いいえ……」
小首をちょっと傾けて、まるで聖母様のように、慈愛に満ちた表情を見せる。うわぁ、キレイ…… 思わず見とれちゃいそう。
「……まだ夢から覚められてらっしゃらないようですね。『さん』付けなんて、どなたかとお間違いされてますよ。私は王女様付のメイドである、メアリーでございます」
ニッコリと笑う、ユリのような笑顔。間違いない、やっぱり『あの』メアリーさんだ! だとすると、どうしても確認しなくちゃいけないことがある。私は決意を込めて、大きくひとつ深呼吸をした。
「あの、メアリー……、これから言うことは気が狂ったように聞こえるかもしれないけど、今の私にとっては、とっても大切なことなの。だから、笑ったり、呆れたりしないで答えて欲しいのだけど……」
「そんな、心外ですわ。このメアリー、王女様にお仕えしてまだ1年と日が浅くとも、忠誠心では他の誰にも負けないつもりです。笑うなど、滅相もございません。何なりとお尋ねくださいませ」
うわぁ、あまりにも真剣な表情で応えられてしまった。むしろそんな真剣に捕えて欲しくなかったんだけど…… ゴクッと、思わず生唾を飲み込む。ええい! 女は度胸だ!!
「……あの、ここはどこ? 今日はいつ? 私は誰?」
「は?………………」
ち、沈黙が痛い…… ああ! 我ながらやっぱり何度言っても、気が狂っているとしか思えない!! もし絵文字が書けるなら、思いっきりorzと連打したいよぉ!!!
メアリーさんは、私の言葉に一瞬、瞳をまん丸に見開いたものの、あらかじめ私の言っておいた言葉が効いたのか、直ぐに元の顔に戻って、答えてくれた。
「ここは、セント・ストロベリシア王国の王城にある、王女様のご寝所です。本日は待ちに待った戴冠の儀。これによって王女様はセント・ストロベリシア王国の第15代目の王として即位されることとなります」
聞き覚えのある言葉に愕然とする。
うわぁ、やっぱりそうだった。間違いない、何でかわからないけど、時間が巻き戻っている。
これって、やっぱり夢なのかな?
だとすると、問題なのは、『今が夢』なのか?、『さっきのが夢』なのか? なんだけど…… 全部ひっくるめて夢なのかもしれない。
「痛っ!!」
無意識の内に動いた手が、ホッペタを思いっきりつねっていた。紛れもない激痛が脳神経を揺さぶって、思わず悲鳴が漏れる!
「……あの、王女様、どうかされましたか?」
心配そうな瞳を向けてくるメアリーさん。
ヤバッ! ひとりでホッペタをつねって痛がっているなんて、おかしな人間だと思われたかな……
「あ! ううん、何でもないの、そう、何でもないのですわ。あはは……」
「良かった。王女様も、本日の儀式を終えられると、晴れて第15代目の王として即位されることになります。王女様ならきっと、先王の悪政から、この王国を御救い下さると信じております」
メアリーさんの耳心地が良い声音を、頭の中で華麗に聞き流していると、ふと私の中で、何かが引っかかった。
「先王? 悪政? ごめんなさい、メアリー。何のこと?」
するとメアリーさんは、今までが嘘のように狼狽した表情を浮かべた。
「申し訳ございません、私ごときが王族の方々に対して何か考えを述べるなど、不敬にも程があります。お忘れください」
「えぇ! そんなの全然良いじゃない! そんな風に言われちゃうと、むしろ気になっちゃうってば。ね、教えて!」
「本当にお許し下さい。もし王女様がどうしてもご興味があられるというのであれば、こちらの本をお読み頂くのが良いかと存じます」
「これは?」
メアリーが棚から取ってきた本は、電話帳程の大きさがあった。豪奢な革張りの表紙には、金色の文字が縫い込められていて、どこか神秘的な威圧感を放っている。
まるで、某映画で出てくる、魔法の本みたい……。 想像以上にズッシリとしたその重みにびっくりしながらも、手に取ってページをめくってみる。
その瞬間、突如本から光がこぼれ出した! なんてことは当然だけど無かったのだけれど…… もう、ちょっとだけ期待しちゃったのに、残念。
でもそんなバカみたいな気持ちでいられたのは、最初だけだった。開いたページが、ちょうど先代のページだったのだけど、この分厚い本の中で、先代について書かれていたのは僅かに3行だけだった。
第14代セント・ストロベリシア王
長き王国の歴史の中で、最悪、最低にして他に類を見ない愚王。
王の権力をいたずらに放棄し、国を守ることを放棄し、全国民と王国そのものを破滅へと追いやった、建国史上最大の恥。
「何なの? これ……」
そのあまりに酷い内容に、思わず唖然としてしまう。だって、こういう書物って、たいてい権力者寄りの人が書いているんだよね? それなのにここまでズタボロに書かれるって、いったい何があったんだろう?
「やはり王女様も、そう思われますよね。私も内心では、前王に対して強い憤りを覚えています」
私の呟きは、思いのほか大きな声になっていたみたい。目の前でメアリーさんが、今まで見たことが無い程の険しい表情で、私の顔を見つめていた。
「メアリー…… は、前王にもお仕えしていたの?」
「はい…… 実は、ほんの極々わずかな期間なのですが、お仕えさせて頂きました。私も、何人かのご主人様にお仕えさせて頂きましたが、あれ程酷いお方は初めてでした」
隠しきれずに滲み出した怒りの感情が、逆にその怒りの大きさを物語っていた。関係無いはずの私まで、思わず『自分が責められている』かのような錯覚に陥ってしまう。
「そ、そうなんだ…… メアリーみたいな人を、そこまで思わせるなんて、よっぽど酷かったんだね、前の王様は」
するとメアリーさんは、より一層顔をしかめると、まるで苦虫を潰したかのような苦悶の表情で語り始めた。
「全くです! 忘れも致しません。先王がまさに即位されることになったその日、あのお方は全ての責務と誇りを放棄されたのです。今でもハッキリと耳に残っていますわ。いざ戴冠の儀に向かう直前になって、あろうことか『無理無理!』ですって!」
……あれ?
何だろう? どこかで聞いたことがあるような、無いような……
「へぇー、仮にも王になるって人が、そんな情けない態度をとるなんてねぇ……」
「しかもです! あろうことか『国のことなんて知らない! みんな勝手にすれば良いじゃない!!』という言葉を残して、そのまま神隠れしてしまったんですよ!! 身勝手で他人の事など何も考えない、もはや人間のクズですわ!!」
「へぇー…… そ、そうなんだ…… でも、ほ、ほら、人間のクズっていうのは言いすぎじゃないかなって思うんだけど? だって、ねえ、そう、ひょっとしたらその人にも事情があったのかもしれないし……」
ヤバイ! とてつもなく嫌な予感がする。でも、でも、ほら、歴史が戻っているなら、今の私が知るはずも無い事のわけだし……
って、あれ?
「ごめんなさい! メアリー。私って、即位したら何代目の王様になるんだっけ?」
「……15代目でございますが、それが何か?」
「…………15代目!!!!!」
ちょっと待って! よく思い出して! たしか前の時言っていたはず…… ああぁ! 何だったけ? もう、全国模試三位の記憶力は伊達じゃないでしょ! うん、そう、そうだよ、絶対に言っていた。前のメアリーさんに、わたし言われたはず! 『14代目』の国王に就任するって……
うそっ! 歴史が戻っているわけじゃなくて、進んでるじゃない!!
なに? 何なの? え?! 前の記憶は14代目で、いまの私が15代目で、同じわたし? えぇ?? じゃあ、今のわたしは誰なの?!
「どうかされましたか?」
「う、ううん! なんでもない、なんでもない…… うん、ほら、きっと先代の王様も、ヤムニヤマレナイ事情があったんだよ、きっと」
「……そうでございましょうか?」
「うん、そうでございますよ、きっと。おほほ……」
もう、ハッキリ言って、何がなんだか訳が分からない。分からないけど、もう、こんな時は笑ってごまかすしかないじゃない!! えっと、何か別の話題、別の話題……
「と、ところでさぁ、メアリー、先王のことは置いておくとして、今この国って、何か困っていることってあるの? ほら、何となくだけど戦争とかも無さそうだし、平和で綺麗な国じゃない?」
まあ、私の知識なんて、この部屋と、その窓から見える景色の中でしかないんだけどね。でもわたしの適当な言葉に、メアリーさんは悲しげな表情を見せた。ヤバッ! ひょっとしてまた地雷踏んじゃった!?
「確かに戦などはありません。しかしこの国は、いま、悪魔の病に侵されています」
「悪魔の病!? 何なの! その危なそうなのは」
「まさしくその名の通りの病でございます。それは、一年前からでございます。国中を覆い尽くすかのように広まったその病は、発祥すると体中が真っ黒に変色し、高い熱、呼吸困難となり、数日の内に死へと誘います。また一人が発症すると、その周りの人間も同じ病に感染し、恐ろしい程のスピードで蔓延していきました。このわずか一年の期間に、国の民の、十分の一が死んだとも噂されております」
「うそ?! 何なのそれ! まるで大昔に流行ったコレラとかペストの伝染病そのまんまじゃない。ひょっとして王様に求められることって……」
「はい、この病から国を救うことこそ、いまのセント・ストロベリシア王国において最重要項目となります」
ぐあぁぁぁん……
まさしく私の頭の中で、そんな擬音語が鳴り響いていた。
む、無理だ、絶対にそんなの無理だ!! だめだって、こんなの! 唯の中学生に手出し出来るような問題じゃないよぉ…… 私はただでさえ低いテンションが最低のどん底まで落ちて行くのを感じる。
と、私の中で、そもそもの疑問が湧き上がってきた。
「ねえ、それよりも、何で私が王様にならないといけないの?」
「それは王女様であられるからでございます」
「王女様だと、王様にならないといけないの?」
「はい、王女様は、現セント・ストロベリシア王国にて、王位継承権第一位でございます」
「あれ? 待って! 継承権一位ってことは、別に辞退も出来るってこと?」
「確かに、辞退することも可能と言えば可能かもしれません。そのような先例がなかったので、思いもしませんでしたが……」
「なぁんだぁ! ひょっとして、こんなに大騒ぎしなくても、普通に『辞退します』って言えば、それで済んだってこと!! よかったぁ、もう、どうなることかと思っちゃった」
「あの、王女様…… 何をおっしゃってますか?」
もう、私ったら何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。そうだよ、私なんかが王様になったって誰も幸せにならないじゃない! うん、そうだそうだ! それでいこう!!
「メアリー、私、王様になるの、辞退します!」
「お、王女様! 本気でございますか?!」
「うん、本気も本気、よろしくね!」
「ちょっと、お待ちください! 王族の方が一度宣言した言葉は撤回出来ませんよ! 本当に後悔されませんか?」
「うん! 絶対後悔なんかしないから大丈夫だって!」
当惑顔のメアリーさんを前に、私は肩の荷がドサッと音を立てて落ちていくのを感じた。
ホント、良かったよぉ!! はぁぁぁ…… なんだかホッとしたら、お腹がちょっと痛くなってきた……
「ところでメアリー、あの、お手洗いってどこにあるのかな?」
「お手洗い? で、ございますか?」
「そう、お手洗い。呼び方が違うのかな? おトイレのことよ、おトイレ!」
「ああ、申し訳ございません。どうぞ、こちらを」
メアリーさんは、そのまま部屋の隅へ歩いていくと、綺麗な壺を差し出してきた。
「あの…… これは?」
「排泄物の処理ですよね。どうぞこちらをお使いください」
「待って! あの、色々突っ込みどころは多いんだけど、とりあえず二つだけ質問してもいいかな?」
「どうぞ」
「えっと…… このとっても綺麗で高価そうな壺って、ひょっとして、いわゆる『おまる』なの?」
「はい」
「うっ…… じゃ、じゃあ、それがおまるだったとして、それを使うのは、ここで?」
「はい」
「ちょっと待ったぁ!!!!」
何が悲しくてうら若き乙女が、人前でおまるにしなくちゃいけないのぉぉ!!!!
「どうかされましたか?」
「ちょっと! 『どうかされましたか?』じゃないでしょ!! なに?! 中学生にもなって、部屋の中でおまるに用を足せって言うの!! 私の事バカにしてるでしょ?!」
「申し訳ございません、何をお怒りなのか理解出来ないのですが……」
「ああ、もう! じゃあ、メアリー! あなたは人前でおまるに用を足せられるの?!」
「はい」
「…………えっ?」
「さすがに王女様のお部屋では致しませんが、普通の事でございますよ」
「ちょ、ちょっと待って! じゃあ、国民みんなトイレを使ってないの?!」
「はい、そのようなものは存在致しません」
うそ……!?
やばい、頭が痛くなってきた……
そう言えば何かの歴史の本で読んだことがある。中性ヨーロッパにはトイレが存在しなかったって。あれって本当だったんだ…… でも待って! 確かあのヴェルサイユ宮殿でも、王様用のものだけはトイレがあったはず!
「ね、ねえ、メアリー! 本当にこのお城の中に、『ひとつも』トイレが存在しないの?」
「いいえ、国王様専用のものは存在致しますが……」
「そ、それよ! それを使わせて!!」
「ダメです」
「なんで? わたし、もうすぐ国王になるんだよ!」
「王女様は、先ほど国王になられることを拒否されたではありませんか」
うぅっ! そう言えばそうだった……
「た、確かに言ったかもしれないけど、ごめんなさい、やっぱり無かった事にして!」
「それは出来ません」
「何で! メアリーだって私に王様になって欲しがってたじゃない!」
「それはそうですが、これは規則です」
「そんな、規則って言っても誰も知らないんだし……」
「私が知っております」
「だからメアリーが言わなければ……」
「王女様!! これは規則です」
メアリーさんの言葉は、取りつく島が全くなかった。なんで? なんでこんなに融通が利かないのよぉ!!
「もう、いいわ! それを貸して!!」
私はメアリーさんの持っていた壺を受け取る。それにしても、見れば見る程きれいなんだよね。色鮮やかな色彩に彩られて、まるで口の大きな花瓶みたい……
もう!! なんでこんなにキレイなのよぉ!! こんなのに出来るわけないじゃない!!
私はふと、とてつもなく恐ろしい想像をしてしまった。
「ねぇ…… そう言えばメアリー。ここに用を足したとして、その後始末ってどうするの?」
「それでしたら、私が責任を持って片付けさせて頂きますので、ご安心ください」
にこやかな笑みを浮かべて答えるメアリーさん。
……わたしがしたのを、めありーさんが、かたづける……
『プチっ』その瞬間、私の中で何かが弾け跳んだ。手から壺がすべり落ち、大理石の床の上で粉々に砕け散る。
「…………だめ」
「はい?」
「ダメったら絶対ダメェ!! なに、それ?! そんなの耐えられない!」
知らない内に、瞳の奥から涙が怒涛の勢いで溢れだし、ポロポロと滝のようにこぼれ落ちていた。
「もうこんなの嫌ぁ!!! こんな人間としての尊厳を踏みにじられてまで生きたくない!! 死んでやる! もうぜっっっったいに死んでやるんだからぁ!!!!」
その瞬間、世界から一切の音が消えた
世界が動きを止める。
遥か遠くから、聞き馴染みのある音楽が、小さく、それなのにはっきりと、耳の奥に響き渡る。
「なんなのよぉ! またなの?!!」
それは、蛍の光によく似た音楽。ううん、むしろ、某ファミレスの閉店の音楽そっくりなこの曲を、私はほんの少し前も聞いていた。そして
Game Over
瞳の裏に、はっきりと浮かび上がるこの二単語は、血よりも赤い紅色で燦然と輝いていた。
薄れゆく意識。視界がどんどんと暗く染まってゆく。
「ねぇ!!! だれか説明してよぉ!!!」
私の叫びは、誰の耳にも届かない。