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3.病室

 白一面に覆われた無機質の部屋が、重苦しい程の沈黙に包まれていた。

 広さは四畳半程だろうか。その中に佇む三人の人物。蛍光灯の冷たい光が、より一層の冷たさを醸し出している。

 その中央に置かれたベッドには、横たわる、清楚な顔をした少女。そして傍らに寄り添うようにして立つ二人の大人。その片方、白衣を着たまだ若いと言える男性の顔は、どこまでも無表情であり、対照的にその前には疲れ切った顔の中年の女性が、真っ赤な目で、ベッドに横たわる少女を見つめている。ドアの横に掲げられた「桜守茜さくらもりあかね」と書かれた小さなプレートが、無個性に部屋の主の存在を主張していた。

 誰も、何も喋らない。

 この状態で、既に30分が過ぎようとしていた。聞こえるのは、誰のものとも分からない呼吸音だけ。静寂故の張り詰めた緊張の糸が、限界まで伸びきり、何時張り裂けてもおかしくない状況となった、その時、少女の腕がピクッと動いた。

「?! 先生、今、娘の手が動きましたよね! ねぇ! あかね、茜ちゃん!! 聞こえる! お母さんよ! お願い、目を覚まして! ねえ、ほら! もう寝るのは十分でしょ!! ねぇったら、ねえ!!」

 そのまま少女の手を握り、言葉とともに大きく揺さぶり始めた所で、白衣をまとった医師は女性の体を抱きつくように抑え込む。

「お母さん、落ち着いてください。そんなに強く揺すっては、点滴が外れてしまいます」

「でも、だって先生、いま、確かに動きましたよ! もう三日も眠り続けているんですもの、ようやく目を覚ましてくれる証ですわ!!」

「そうかもしれません。しかしそうだとしてもこれ程強く揺すっては、却って悪影響を与えかねません。落ち着いてください」

 感情のまま激しく揺れる女性の声に対し、あまりにも機械的で冷たさすら感じる医師の声は、僅かながらでも感情の高ぶりを抑えることに成功したようだった。しぶしぶながらも少女から手を離し、横たわり続ける白磁人形のような静謐な顔をじっと見つめる。

「……先生、何で娘は目を覚ましてくれないんですか?」

 疲れたように、それでも何かにすがりつくように搾り出されたその問いは、この三日間、何度も繰り返されたものだった。それに対し、答える内容は変わらない。

「お嬢さんには、大きな外傷はありません。幸い、車にぶつかった時に持っていた通学カバンがクッションとなり、跳ねられた先も、小枝が密集した生垣がお嬢さんの体を受け止めてくれましたから。しかしその時に、後頭部への強い衝撃を受けた模様です。おそらくはその為に、お嬢さんは目を覚まされないのだと思われます」

「それって! よく聞く、脳死なんですか? まさか、娘の臓器を誰か見も知らない他人に提供するなんて言いませんよね?!」

「いいえ、脳死ではありません。脳死とは、自分ひとりでは生きられない、もはや死を待つだけの状態です。自発呼吸も出来ず、医療機器による生命維持の補助なくしては生きられない状態のことを指します。お嬢さんはきちんと自発呼吸もされていますし、何より脳波の動きも見られます」

「じゃあ、なんで目を覚まさないんですか!!」

「……何とも言えません。体には大きな外傷は無いんです。今すぐ目覚めてもおかしくないですし、逆にもっと長い時間が必要となるかもしれません」

「『もっと長い時間』って、どれくらいなんですか!!」

「申し訳ありません、分からないんです。最悪、このまま植物人間となって眠り続ける可能性もあります」

「そんな!!……」

 淡々と答える医師の口調に、女性は崩れるようにベッドに上半身を倒れこんだ。中年とはいえ、若かった時は美人でモテたであろう上品な顔が、心身の疲労の為、すっかり老け込んでしまっていた。それを見つめる医師の瞳に動揺は無い。それはこの三日間、何度となく繰り返されたやり取りだったから。

 しかし今回は、その続きがあった。

「実は一つだけ、娘さんの容体を改善させられるかもしれない手段があるのですが……」

 泣き伏せていた女性の体が、ピクンと跳ねた。

「えっ?! 治せる方法があるんですか! 何なんです、それは!!」

「まあ、お母さん、落ち着いてください。『改善させられるかも』です。治すことを確約することも出来ませんし、正直に言いますと、実はまだ医学的に認められた治療法でもありません」

「やります、何でもやります! 先生、教えてください!」

 絶望の淵に一筋の光が差し込んだその瞳には、狂気にすら似た激しい感情の爆発があった。

「お金ですか? 費用だったらいくらかかっても構いません! 今すぐは無理でも、必ずかき集めて見せます!」

「お母さん、落ち着いてください。お金は大丈夫です。いえ、お金がかからないという訳では無いんですが、これからご提案する方法というのは、お金を頂くわけにはいかないんです」

「何なんですか! もったいぶらないで早く教えてください!」

「ええ、簡単に言いますと、実はお嬢さんに、世界で誰も使ったことの無い、最先端の医療方法を受けて頂きたいのです。もちろん、世界初ということは、実績はありません。いえ、理論上は完璧であり、そこに不安要素は見受けられません……」

「つまり、娘に、モルモットになれと」

 まだ若き医者は、母親の痛烈な言葉に数瞬の間目を閉じ、決意を込めて再び語り出す。

「……すみません、やはり正直にお話しすべきでしょうね。お嬢さんには、最先端医療の実験台となって欲しいということです。当然、お金は頂きませんし、実験台と言いながらも、世界最先端の医療技術を使用させて頂きます。ただし、当たり前のことですが、結果については治るとお約束は出来ません。我々にとっても未知の領域なのです。ですがそれは、このままの状態でも変わらないとも言えます。このまま何もせずにいても、お嬢さんは目を覚まされるかもしれません。しかしそれは、今すぐなのか? それとも10年先なのか? それとも未来永劫なのか? 我々にも分かりません。我々は強制はしません。どちらの手段がより良いのかも言えません。ただ、可能な選択肢をひとつご提示出来るだけです」

 むしろ冷厳なまでに淡々と告げる医師の言葉を、女性はしっかりと認識していた。認識はしていたが、しかしそれが故に、答えは初めから決まっていたともいえる。

「娘は、娘はこんな所で倒れている暇なんて無いんです。もう、三日も寝たっきりなんですよ。先生、これが何を意味するのか分かりますか?! 娘は、クラスの仲間から『三日も置いて行かれた』ってことなんです、このままじゃ、学校の授業についていけなくなるし、娘が歩き続けてきた栄光ある人生で初めて汚点を残してしまいかねません。どうか、どうか娘を助けてください!!」

 それはまさしく、母親の魂が絞り出した悲痛の叫び声だった。まだ若き医師は、その言葉に大きくうなずく。

「わかりました。我々も最大の敬意と努力を持って、お嬢さんの治療にあたらせて頂きたいと思います。それでは、こちらの誓約書に、同意の御署名を頂いても良いですか?」


 もし母親に、もう少しだけ理性が残っていれば、その時医師が浮かべた表情に気付けていたことだろう。かつてメフィストフェレスがファウストを悪魔の契約に取り込んだ時のそれに似た、暗き狂気を孕んだその笑みに……

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