2.Game Over
「ううん……」
私はまどろみの中、寝返りを打った。
小鳥のさえずり。窓から入り込む朝日の眩しさが、私にこれ以上の惰眠をむさぼることを許してくれない。
「あふぁぁ…… うん?」
私はひとつ、大きなあくびと共に伸びをして、ふと、違和感に気付く。
何だかやたらとサラサラしたモノが、私の体にまとわりついてた。
「王女様、今日はお目覚めが良いですね」
ベッドの上で上半身だけ起こして、大きなあくびをもうひとつ繰り返していた私の横で、落ち着いたアルトの声が響いた。
「へっ?!」
きっと私は、さぞかし間抜けな顔をしていたのに違いない。だって、私のすぐ目の前に、絵に描いたようなメイド服を着た清楚な女性が、きれいな顔に必死になって笑いを堪えているんだもの。
「王女様、御召し物が乱れてしまってますよ」
「御召し物って…… えっ? えっ?!」
言われて初めて気付いた。私が着ていたのは薄いサテン地のネグリジェのようなもの。ううん、それよりもずっと軽くて、羽のようにフワフワしている。えっ? ひょっとして、これってシルク? っていうか、肌が透けてるんだけど…… って!!
「きゃーーー!!」
うそ?! わたし下着何も付けてない!!
透き通るような生地越しに、私の胸がはっきりと見えてしまっている!!
混乱して、慌てて立ち上がろうとした私は、思いっきりネグリジェの裾を踏んでスッころんでしまう。そこで目にしたものは
「うそ…… なに? どこなの、ここ?」
ベッドの周りを覆う天蓋。そこから透けて見える、アラベスク調の模様に覆われた天井。改めて周りを見回すと、部屋のあちこちに置かれた高そうな調度品の数々。ベッドの周りは金色の装飾で覆われて、朝日を浴びて黄金色の光をまき散らしていた。
「どうかされましたか?」
「えっ? いえ、はい?? あの、何でもないです。っていうか、あなた誰です?」
「まだ夢から覚められてらっしゃらないようですね。王女様付のメイドである、メアリーでございます。それよりも、本日は戴冠の儀を執り行う大切な日です。御仕度もありますので、そろそろ御着換えを致しましょう」
ニッコリと笑みを浮かべるメアリーさんをよそに、私の胸の中でムクムクと不安が大きくなっていく。
「あの…… すみません、その『王女様』って言うのは誰? でしょう……」
何だろう、聞くまでも無いのに答えが想像がついてしまう。でもついてしまうのに、聞かずにはいかれない!
「また、冗談がお上手でございますね。あなた様をおいて、他に王女様などおられませんわ」
あぁぁぁ!! やっぱり! 想像通りだった!
「あぁ、申し訳ございません。そうでした、もうすぐ『王女様』ではなく、『女王様』でございますものね。ですが、まだ戴冠の儀の前ですし、はやるお気持ちは分かりますが、もうしばらくご自重ください」
「ちょっ、ちょっと待って! あの、根本的なことを聞きたいんですが、ここってどこですか?」
すると、自称メアリーさんは、心からおかしくてしょうがないといった様子で、ユリの花のような笑みを浮かべる。
「あら、王女様、今日は本当に冗談がお上手でございますね。ここは、セント・ストロベリシア王国の、王女様のご寝所です。本日は待ちに待った戴冠の儀。これによって王女様はセント・ストロベリシア王国の第14代目の王として即位されることとなります」
「……あの、冗談、ですよね?」
「何がでございますか?」
じっと私を見つめてくるメアリーさんの瞳は、恐ろしいことに冗談の色が全く無かった。
私は無意識の内に、深呼吸を繰り返していた。不吉な予感が心の奥底から湧き上がって湧き上がって仕方が無かった。
(えっ? ちょっと待って! これって何? 誰かの盛大なイタズラ? そもそも私って何者??)
「あの、すみません、メアリーさん……」
「『メアリー』とお呼び下さい」
ヤバッ…… 澄ました笑顔で睨まれてしまった……
「すみません! あの、メアリー? 変なことを聞くかもしれないのだけど…… わたしって誰?」
ああああ! 我ながら何てマヌケな質問なんだぁ!!! メアリーさんの目がまん丸に大きく見開かれたまま固まってる。そのまま不気味な静寂が訪れること30秒……
「うわぁぁ!! ごめんなさい! うそ! 今のは、そう、冗談です!!」
だめだ、こんな空気には耐えられない! 私が慌てて叫ぶと、メアリーさんはホッとしたような表情を浮かべた。
「もう、王女様ったら、おふざけはそれくらいになさってください。思わず気でも狂われたのかと本気で心配してしまいましたわ」
「はは…… 見事に引っかかったね。あはは……」
もう、苦笑するしかないよ…… 落ち着け、落ち着くんだ。とりあえず、状況を整理してみよう。彼女はメアリーさんで、私を王女だと言う。以上…………
ヤバイ!! 誰か状況を説明して!!!
「あれ? そう言えば、戴冠の儀がナンタラって言ってたっけ?」
「左様でございます、王女様。ほら、こちらをご覧ください」
どうやら私の脳内で考えていたことが、そのまま独り言として口に出てしまったらしい。メアリーさんが答えると、窓の外を指差した。私はつられて窓を覗き込んで、息を呑んだ。
「うそっ?! 何、この人の群れ!!」
どうやら私のいた部屋は、30メートルくらいの高さの場所にあったらしい。眼下には、朝日を浴びて白銀に輝くお城の壁と、城前の広場を埋め尽くさんばかりに溢れ返る人、人、人……
「わが国の民衆ですわ。戴冠の儀に伴い、新女王自らのお言葉を拝聴できるとあって、国中から集まって来たのですわ」
私は頬を冷や汗が伝うのを感じた。
「あ、あの…… ひょっとして、ひょっとしなくても、その『新女王』っていうのは、もしかして……?」
「はい、王女様のことでございます」
「だめだめだめだめ、だめったら絶対だめぇ!!」
ハッキリ言おう! こんなの絶対に無理!!
じゃんけんに負けて、学校の文化祭で青年の主張の作文を全校生徒の前で読まされたことがあったけど、声は振るえるし、足はガクガクするし、もう必死の思いだった経験がある。たかだか数百人の前ですら、『それ』なんだよ! その何十倍もの人の前で、どうしろと言うんだよぉ!!
「大丈夫ですわ。ただ、民衆の前で、大きな声で王国の将来についての夢と抱負を語れば良いだけです」
「無理無理! 夢なんてそれこそ絶対に無理! なんで自分ひとりの夢さえ分からないのに、赤の他人の数万人に対して夢を語らなくちゃいけないの!! やだ! 女王になんて絶対にならない!!」
「王女様、そんな我侭を……」
「国のことなんて知らない! 分からない! みんな勝手にすれば良いじゃない!!」
「王女様! 落ち着いてください!! そんなことをすれば、この国は滅びてしまいます!」
「知らない知らない!! 私なんて関係ないもの! 私が女王だっていうなら、これは命令よ! みんな勝手にすれば良いじゃない!!」
私が声の限りに叫ぶと、メアリーさんはとても悲しそうな表情を浮かべ、深々とお辞儀をした。
「……そうですか、ご命令とあれば、従わないわけにはいきません。今後この国は、民衆ひとりひとりが好き勝手に暮らすように勅令を出したいと思います」
その瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
「えっ? なに? なんなの?!」
メアリーが、ざわめいていた音が、ううん、世界のあらゆるものが動きを止めていた。そしてどこからともなく現れた、ゴシック体のおっきな文字がまぶたの裏に浮かび上がる。
Game Over
「ねえ、いったいどうしたの? 何が起こったの?!」
気が付けば、あたり一面に悲哀にみちた物寂しい音楽が、閉店時間を迎えたファミレスのように、ううん、むしろまるでゲームオーバーのBGMのように、この世の終わりのように鳴り響いている!!
「ねぇ!!! なに? なんなのよ、これ!!!!」
私の絶叫をヨソに、視界がどんどんと暗く染まってゆく。
訳が分からない! 誰か、この状況を教えてよぉ!!!!