1.始まり
世界は理不尽だ。
私くらいの年齢でも思うんだもの、きっとたくさんの人間がそう感じているのに違いない。
でも、誰も言わない。
少なくても、私の前では言わない。
だって、大人は嘘つきだもの。
みんな、嘘つきの仮面をかぶって、素知らぬ顔で、私達子供には、良い人間であることを強制する。
なんでなの?
私はそれがずっと不思議だった。
なんで良い子じゃないといけないの?
大人なんて、悪い人ばっかりなのに。
なんで嘘をついちゃいけないの?
大人なんて、みんな嘘つきなのに。
私は塾の帰りの道を、ひとりトボトボと歩いていた。
もう21時を過ぎている。
人通りで賑わう繁華街を抜けて、住宅街に入ると、急に街灯の数が減る。
長く伸びる影法師が、まるでお化けのように、大きく、長く成長して、次の街灯が近づいて、再び小さく縮んでいく。
「あーあ…… やだなぁ」
ため息と一緒に、思わず言葉が漏れる。
理由は簡単、今日全国模試の結果が返ってきた。
結果は全教科合計で三位。日本中の中学三年生の中で三位なんだから、悪い成績ではないと思う。思うんだけど……
三位はトップじゃない。まだ私より上がいる。そのことがどうしても許せない。
自分が許せない。
「今回は、本気で頑張ったのに……」
私のつぶやきは、誰もいない道端の闇の中へと吸い込まれていく。
もう受験まで一年も無い。別に一位じゃないと志望校に落ちてしまうなんてことは思っていない。そこまで傲慢じゃない。ただ、最近どうしても気持ちがフラフラしてしまっている。勉強に身が入らない。そんな自分にイライラする。
昔はそんなこと無かった。何も考えずに勉強をして、良い点と、良い成績を取って、親や周りから褒められて、それがただ単純に楽しくて、嬉しかった。それで十分だった。十分だったはずだった。なのに……
「わたし、何のために勉強しているんだろ?」
きっかけは覚えていない。
でも、どんどん成績が良くなって、10位以内にまで入るようになって、そのまま一年が過ぎていた。
トップテンには入るのに、決して一位にはなれない。それが私。それが私の限界。だから今回は、本当の本気で死ぬ気で頑張ってみたつもりだったのに……
ううん、分かっている。本当の本気と言いつつ、それが出来なかった。
一人で机に向かえば向かうほど、心の奥底で、小さな、それなのに絶対に無視できない、どこか薄暗くてモヤモヤした得体の知れない感情が芽生えていたから。
塾の講師は私の成績を褒めてくれた。親もきっと褒めてくれるだろう。
でも、だめだ。
きっとこのままじゃ、わたしはいつか、動けなくなっちゃう。止まってしまう。
そうなったら、二度と歩きだせない…… そんな変な確信がある。
「……いっそ、死んじゃえば楽になるのかな?」
またため息が出た。
今の人生が不満という訳ではないけど、でも満足かと言われたら、答えに迷ってしまう。どうすれば満足するのか分からない。そもそも満足したいのかすら分からない。あるのはただ、今の自分への不満と「何かしなくちゃ」という漠然とした焦燥。なのに、自分の生き方を変えることも、そうかと言ってリセットする勇気も無い、ちっぽけで臆病なわたし……
キッ、キキーーーッ!!
その時、背後から耳をつんざくようなタイヤのスキール音が鳴り響く!
反射的に振り返った私の視界いっぱいに、爛々と輝く二つのヘッドライトが飛び込んできた!!
「あ……ぶ……な…………い!」
誰かの叫ぶ声が聞こえる。
ヘッドライトがドンドン大きくなっていく様子を、私はなぜかスローモーション映画を見ているかのように、ひどくゆっくりと、どこか他人目線で感じていた。
ドンッ
車は勢いを止めず、そのまま私の体を軽々と突き飛ばす。
(わたし、そんなに軽くないのに、な……)
宙を飛ばされる瞬間でさえ、コマ送りのようだった。世界がマンガのようにゆっくりと動いていて、それが何故かおかしくて、場違いな感想が頭に浮かぶ。
何かで読んだっけ。死ぬ時に人間は、過去の思い出が走馬灯のように甦るって。でも、何も思い浮かばないや。私ってそんな人生だったの? そんな安っぽい生き方しかしてこなかったの? 思い出なんか何も浮かばないのに、頭の回転だけがやたら速く動いている気がする。この期に及んで無駄な事ばっかり考えている……
でも、それまでだった。
いつまでも宙に浮いていられるわけじゃない。
後頭部に、激しい衝撃を感じて、私の意識は急速に遠のいていった。
わたし、これで終わっちゃうのかな?
こんな終わり方で?
何もしてないのに?
何も叶えてないのに?
「なんだか、くやしい、な……」
それが、私の最後の言葉だった。