さらば故郷
しばらく馬車を走らせていると、見覚えのある人陰。
「馬車。リブラの兄さんじゃあないのか」
「モリノ早く乗れ──やっぱり、リブラは一緒じゃあないんだな」
細かいことを説明している時間はなかった。すぐに馬車を走らせる。
ウミナ姫は、リブラや他の青年たちがいそうな心当たりを教えてくれた。さらに西にある、町で最も大きな港。しかし、先ほどまでは見当たらなかった船の群れが、まるで此方を睨みつける様に並んでいた。ということは──
「マチダ見ろ。まだ遠いけど、最初に襲ってきたやつらだ。こっちへ向かってる」
「兄さんに託された手前、何とかリブラだけでも救出したいが」
しかし、そう出来る場合でないこともあるのだ。道が広いのを良いことに大胆な旋回。生き延びるためには、馬車を東へ走らせる以外の選択肢はなかった。
夕暮れになって、再び目前にする門、そして森であった。初めて意識して反対側を見たから、森の中から見た様子と大分印象が違うことに気づいた。何となく事情がわかった今だから感じることだが、森は門によって封じ込められていた。
「俺はモリノだ。わけあって帰ってきた。門を開けてくれ」
しばらく何も返事がなかった。
門の向こうが少しずつ騒がしくなる。そして門が開き、中から一人の老人が現れた。
「わしが話をしよう。皆は下がれ」
彼がこちらへ歩み寄ってきて、地面を擦る重い音ともに、再び森は見えなくなった。
「どこまで知った」
「同胞たちは、魔女どもに使われていた。兵士としてな」
「正確ではない。確かに森とは、魔女に虐げられた我々が唯一──」
「酋長ともなれば、やはり知っていたんだな」
「年老い退いた我々に唯一許されたのは、子を育てることだった。港町を支える労働力、つまり奴隷を、十七歳まで育て上げることだった」
集落の長は、そこで一息をつく。遠くを見据えた。港町の、海のある方角。
「モリノは、そうか。巫女の相手に選ばれたのだな。そして、巻き込むまいと逃がされたのだろう。昔から、気難しいが優しい方だったから──」
「爺さん、ウミナ姫を知っているのか」
思わず口を挟んだ。よその御国事情には、我関せずで通そうと思っていたから、失敗だ。しかし幸か不幸か、爺さんにとって私の存在は眼中になかった。そのまま話を続ける。
「港に派遣された者のその後を一概には言えない。労働力になった者もいれば、魔女に仕える者、そしてお前だ」
「一体何だ」
「人類には、男と女が一緒に暮らし子を成した過去がある」
モリノは驚いてはいたが、私と出会い別の世界を知ったことで、何処かで予感もしていたのだろう。その異世界とは、自分たちにもあり得たかもしれない可能性だということ。
「モリノとウミナ姫はその名残として、今の人類では唯一生殖能力を認められている」
「人類は滅んでしまうが、しかしウミナさえ殺すことが出来れば、この世界に魔法はあり得なくなるのだ。魔女もただの女に戻る」
穏やかではない話題、モリノの表情も同様で、その先も比例して険しく変わっていく。
「海と対話し力を授かる巫女こそが、魔女たちの魔法の根源だ。我々がもう一度人間らしく暮らすためには彼女に死んでもらうしかない」
「それで」
「全面戦争だ。尖兵は十二分に潜り込んでおるが、巫女抹殺をより確実なものに──モリノよ、力を貸してくれ。お前の剣が必要だ」
モリノは爺さんの胸倉を掴んで、力いっぱいの頭突きを食らわせた。
「わがままから嫌だと言うわけじゃあないぞ。先に信頼を裏切ったのはあんた達の方だ」
「俺は俺で勝手にやる」
もう一度頭突き。項垂れる爺さんを門の方へ放り歩き始めた。モリノは何も言わず、門に縋りつき悶絶する爺さんを、そして生まれ育った故郷を後にした。慌てて私も追う。
「死なせやしない。勝手に俺たちの未来を決められてたまるか」
「……気取ったふうに言うと、お前のそれは恋だよ」
そして私はモリノの横面に、きつい一発をお見舞いした。彼は呆気にとられている。
本当の娘はどうだっただろうか。結婚などはもうしたのだろうか。そんなことも知らない父親だった。もしも海奈をさらっていく男が現れたら殴ってやろうと、ずっと思っていた。しかし今本当に殴り殺したいのは誰でもない、この私自身だった。
「好きな女をさらう前の儀式だ。私の世界ではそうだった」




