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葦の胤  作者: 文明文明
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マチダとモリノ、リブラ

 十二月某日、正午であった。異音が次第に大きくなっていく。セスナとその乗員の生命が終りを迎えるまでの、カウントダウンの様相だ。妻と娘の涙が頭を過り大変な後悔に苛まれる。撮影しようとしていた陳腐なドキュメンタリー映画よりよっぽど真に迫るものを感じていた。

 ベトナム・メコンデルタで野鳥王国と称される光景を熱望した。そして妻の説得を無視したまま、映画監督となった。私は家族を捨てたのである。

 機体の扉が外れ空へと投げ出された。叫び声を上げる間もない。

 森へ吸い寄せられたような感覚があった。身体が沈んでいく。木々が絡まり自分の居場所さえわからなくなる。枝々が肌を擦り切り傷だらけ。しかし犯した罪に対する罰なのだと考えれば、痛みはない。胸を貫くような鈍い衝撃とともに、意識は途切れた。


 木々の海。朝露が滴り落ちた。それが合図であった。

 一切の危機とは無関係に滑空していた鳥が、見るも無残、真二つに分かれて地へ沈んだ。剣の腕には自信のある彼だ。当たり前だねという表情のまま森を駆けて行く。

「おいモリノ、その先は門だぞ、ぶつかるぞ」

 鈍い音がした。葉を揺らす、素早い風の音は消え失せて、そして森は黙り込んだ。

 木々に覆われて見えない青空を、モリノは仰いだ。世界から置き去りにされた世界。それが彼らの暮す森の中であった。

 門は、外へ通じる唯一の道である。眺めていると顔がほころんでしまうのが彼であった。瞳は輝いていて、その姿は実際よりも少年だった。

 森の外への好奇心が、モリノの意識に、ある人物との約束を思い起こさせた。ずっと切望していた思いを、容易に上回りかねないことであった。


「マチダ生きてるか。昼飯持ってきたぞ」

 モリノとリブラが来た。命の恩人だ。

 昨日の夕方に保護され洞窟に匿われている。この森には、子どもと老人だけの集落があるが、大変排他的な社会らしいのだ。きっと私は歓迎されないだろう。

 時刻は正午と言うのに薄暗い。木々が空を遮っているのだ。とてもよく知る現実のものとは思えない。そんな禍々しさを秘めた暗闇であった。

「色々教えてくれよ。エロ本を見せてくれ」

 彼らはトランクを漁っていた。

 しかし妙だ。確かにこの身一つで空へ投げ出されたし、トランクはホテルに置いたままであった。ここにあるはずはないというのに。

 電子機器はどれも電源すら入らない。こうして二人を手懐けることが出来たのだから、最も役立ったのは一冊のグラビア雑誌であった。

 再び時計を見る。よくよく考えてみると、これも当てにならないかもしれない。

「……しかし、まさか女性のいない集落が、細々とは言え途絶えないとは」

 モリノは黙々とグラビア雑誌に没頭していた。雑誌に対して明らかな性欲を見せたのが彼の方である。元の世界の価値観では年相応という感じだ。

 太鼓を叩く音が聞こえた。二人がはっとわれにかえる。

「悪いな、あんたを匿えるのもここまでだ。門の外へ行かなければならない」

「例の、十七歳の徴兵制みたいな話か」

 十七歳になった若者は門の外へ出て、敵対する集落を侵略しなくてはならないという掟があるそうだ。老いて戦えなくなるまで帰ることは許されない。そして無事故郷に凱旋する者は、中でもほんの一握りという。

「それは困るな。このまま放置されては、いずれ他の者に見つかり殺されてしまう」

 モリノは困ったという表情でリブラに目配せする。彼の方は既に何かを考えついているようで、それを口にするかどうかで悩んでいた。

「命のかかった問題だ。何でも言ってくれないか」

「リブラ、何か考えているのか」

 沈黙にも辟易したのか、観念したように口を開いた。

「森を出るにあたって、外から迎えの馬車がやって来ます。僕の兄が御者を務めています」

 すぐに理解した。ほんの少しだが希望が見えてきた。


 窮屈な荷台の中。馬車というメルヘンチックには、多少は憧れていた。しかし、この心地を味わってしまえばそうはいかない。二度と乗らないと胸に誓った。

「青空も凄かったけど夜空も良いな。人生初の青空は、先に雑誌の写真で見たけど、やっぱり、生は凄かったな。おいリブラ。おい──」

「兄さん、何があった」

 神妙な面持ちをして、何だかリブラはそれどころではない。

 御者として馬を引いているのが彼の兄だが、問いかけに対し無反応を貫いていた。しかし私の潜んでいる位置からだと、かすかに唇が開いて、何か一言だけ呟いたのが窺えた。

「そんで、あれが海だな。俺たちは港町を攻めるのか」

 緊迫した空気を切り裂いてモリノの声が響く。それに合わせるように、キィィという音を鳴らして、十七歳たちと私を乗せた馬車は速度を緩めた。

 こっそり荷台の外を見て仰天する。敵と思われる軍団に包囲され、絶体絶命の危機に陥っていた。そして、どさくさに紛れて見落としてしまいそうだったが、その軍団を指揮しているのは紅一点だ。この世界に立ち入って初めて出会う、女性であった。

「こんなことになるなんて、味方は何をやっている」

 リブラが激昂する。その猛々しさは、今までにない印象があった。

 女軍団長が何やら囁いた。そんな合間に起こったことなのか、気づくと辺りは水の中に沈んだように変わっていた。皆溺れたような状態。水位は馬車をすっぽり覆うほどであり、どこまで上れば水面なのか検討もつかない。息が出来ない。意識が途切れる。最後に、港町の軍団が、何事も起こっていないように毅然としているのが目についた──

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