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この旋律は、全宇宙に響く

作者: 仲村薫


 空を見上げると、そこに地球があった。

 遥かに青く美しい星を離れて、数万年――

 惑星から惑星へ移住を繰り返した人間たちは、今、再び星を捨て去ろうとしていた。

 最後の安寧の地として期待されたはずのこの星でさえ、たび重なる天変地異と異常気象の影響で、巨大生物が急激に増殖。

 移住を余儀なくされた人々は、こぞって宇宙船へと乗り込み、新天地へと希望を繋ぎはじめた。

 荒廃した人口惑星『恐獣星』から、新遊星都市『シリウス』へ――

 政府が交付した移住条件は、ただひとつ。


《人口数維持のため、男女一組ペアになること》


 財産も、社会的地位も関係なく――

 人々は、パートナー探しに躍起になった。




『一緒に行こう。

 たとえ、離れ離れになったとしても、きっと君を見つけ出すから――!』






■□■□■





 リサは、闇の中を走りつづけた。

 はぁはぁと息せき切り、目標もないまま、瓦礫の原を駆け回る。

 背後から迫ってくる恐獣の影に怯え、震えながら、荒廃した都市のなれの果てに身を潜めた。

「! ……きゃあっ」

 積み上げられた岩が崩れ落ちると同時に、ぎょろりと光った三つの目玉が、彼女を捕らえた。

「ひっ……!」

 久々に見つけた獲物の姿に興奮し、恐獣が赤い舌をぺろりと見せる。

 よだれをたらし、待ちかねたように鋭い爪が振り下ろされ、リサはとっさに身を翻した。

「だ、誰か――、助け……!」

 くるりと反転した体を片足で支え、敵から逃れようと再び身を隠す。が、体力はもう限界だ。

 こんな人気のない場所に、助けなど来るはずがなく、逃げるのに疲れ果てたリサは、死を覚悟してその場にうずくまった。

(も、ダメ……、食べられる……!)

 なんの効果もないと知りながら、両手で頭を覆い、まるくなった。

 とその時、彼女の頭上を、ひらりとした黒い影が通り過ぎた。

「?!」

 はっと顔を上げ、気配のした方を振り仰ぐと、目の前に、男がいた――

 崩壊したビルの上からこちらを見下ろし、にやにやと楽しげな笑みを注いでいる。

「こんにちは、お嬢さん~!」

「……?」

「鬼ごっこですか、楽しそうですね。もし、おヒマならオレと結婚しませんか」

「はぁ?!」

 四つんばいになって覗き込んでくる男に眉をひそめ、リサは呆気にとられて石つぶてを投げつけた。

「バッカじゃないの、ヒマなわけないじゃないっ。私は今、恐獣に食われそうになってんのよ、見てわかんないの!?」

「そんなに怒らなくても~。もしお嫁さんになってくれたら、今なら特典つき! オレの奏でる超絶ロマンティックなピアノの弾き語り、聞きたくない?」

「んな余裕ないっ」

 叫んだ直後、恐獣の大きな前足が傍らを通り過ぎた。

 ぎゃあ、と悲鳴を上げ、必死に逃げ惑う彼女を見て、男はいつ食われるのかとワクワクと瞳を輝かせている。

 鋭い爪先が頭の上をぶん、と通り過ぎるのに蒼白し、リサはぞっとして身を震わせた。

「あーらら~。なんなら助けてやろうか。あ、お金はいらないよ。この婚姻届にちょこっとサインしてくれたらOKだからさ~。どぉ?」

「……わ、分かった! 返事は後でするから、とりあえず助けて! お願いっ」

「ま、しょうがねぇな。……和音(かずね)!」

 男がヒュッと指笛を鳴らすと、瓦礫の間から、小さな子供が飛び出してきた。

 ――今度は、女の子だ。

 真っ赤なセーラー服の裾を翻し、片手に大きめのレーザー銃を握って、空を舞う。

 ひょいと反対側の廃ビルに飛び移った少女は、小さく舌打ちすると、じろりと2人を睨みつけた。

「ったく、こういうコトは自分でやってよね、レイ!」

 生意気な口を叩き、ぺろりと唇を舐めてジャンプする。

 崩落した瓦礫の上を器用に飛び移りながら、少女は瞬時に恐獣へと接近した。そして、落下する直前に狙いをつけると、高くそびえる生物の額に向けて、赤い閃光を放った。

「!」

 とたんに、どうっと前のめりに倒れてくる恐獣を避け、片足を振り上げて暗闇を飛んだ少女は、次の瞬間、弧を描いて獣の頭上に飛び移り、その首元へ最後の一発を放っていた。

「はい、終了~!」

「……うっそぉ」

 唖然としたリサが動けないでいる。と、少女は大きな瞳を光らせて、すとんと足元に降り立ってきた。

 その傍らでは、婚姻届をぴらんと広げた男が、嬉しそうににこにこと笑っていたのだった。





■□■□■





「やったー、お嫁さん、ゲット~!」

 至上最高の喜びとばかりに、男が飛び跳ねる。

 昼夜を問わず辺りをうろつく獰猛な恐獣を避け、リサは奇妙な2人組-男と少女-と共に、荒廃した建物の下へともぐりこんだ。

 裂けた天井から、細長い空が見える。それを仰ぎながら、リサは、

(それにしても……)

 と、二人を見つめた。

 真っ赤なセーラー服を着た少女の方もさることながら、この男もずいぶんと奇妙な格好をしている。

 彼が着ている紺色の服も、たぶん…というか、間違いなく女物のセーラー服だ。

 その中央にハサミを入れ、ジャケット風に仕立てた前立てには、数個のベルベッドフックがボタン代わりに並んでいる。

 下に履いているスカートにいたっては、すでに原型をとどめておらず、ピラピラのひだ状に切り刻まれて、黒革のズボンにまとわりついている。

 肩から斜めに下げた充電式のエレクトリック・ピアノが、なおさら不可解な印象を与えていて、

「……変なカッコ」

 たまりかねたリサは、ぼそりと呟いて顔をしかめた。

 とたんに、男が不愉快そうに眉をよせる。

「そりゃないだろ~。昨今の男は、これぐらい目立たないと嫁さんの来てがないんだよ」

「……あぁ、パートナー探しのことね。あなたも、宇宙船に乗りたいのね」

「当たり前だろ。こんな荒んだ場所で、恐獣に食われて一生を終わるなんて、冗談じゃないからな」

「……それはそうだけど」

 えへんと胸を張った男の態度に呆れつつ、妙に納得してしまう自分が悲しかった。

 荒廃したこの恐獣星から、新遊星都市へ――

 移住計画は着々と進んでいるが、すべての人間が船に乗れるわけではない。

「……男女一組ペアになって移住、か」

「そゆこと」

 今後の人口維持を考慮し、政府がその条例を世界に通達してから、すでに1年が過ぎようとしている。

 誰もがみな、結婚相手を求めている。

 その波に乗り切れないリサは、興味なさそうに肩をすくめた。

 するとその時、壁を背にしてちょこんと座っていた少女・和音が、

「大出費~!」

 と、叫んで顔を上げた。

 膝に乗せた大きな電卓をぱちぱちと弾きながら、ぎっとこちらを見据えてくる。

「あんたを恐獣から助けたせいで、余計な体力を消耗しちゃったわよ。おねーさん。今夜は夕食なしの予定だったのに、お腹がすいて眠れやしないわ!」

「それは悪かったわね」

「今日の晩御飯は、サバの缶詰と、保存食のパン。そして、即席の干し豆スープよ。自分の食べた分は、ちゃんと支払ってよね」

「――」

 偉そうな口調でびしっと言い切られ、リサは渋い顔でポケットの中を探った。

 小さな都市金貨が数枚、ちゃりんと岩場に転がっていく。

 きゃあ、と悲鳴を上げ、夢中でお金を追いかけ始めた少女を見つめ、リサは苦い顔を崩さず嘆息した。

「ずいぶんと変わった子ねぇ。このご時世に金銭なんて何の役にも立たないと思うんだけど。……それよりパートナーを見つけて、さっさと新遊星都市へ移住する方がずっと有益じゃない?」

「……ふ。そんなこと言ってたら、あっという間に負け犬よ、おねーさん」

 ちっちっと指を突き立て、和音は生意気な笑みを浮かべた。

「たとえ移住したって、お金がなきゃ向こうでは暮らしていけないわ。政府はそこまで面倒を見てくれないんだもの」

「――まぁね」

「パートナーはレイが見つけてくれるし、あたしは子供だから無条件で船に乗れるし、やっぱり大切なのはお金よ~」

「……あんた達って、どういう関係よ?」

 電卓から目を離そうとしない和音に唖然とし、リサは首を傾げて尋ねた。

 首から財布を下げた少女に苦笑しつつ、レイがやれやれと肩をすくめる。

「どうって、ただの知り合いだよ。こいつとは嫁さん探しの途中で出会ったんだ。身寄りがないって言うから、移住するとき、一緒に船に乗せてやろうと思ってさ」

「まぁ、お優しいこと」

「旅は道連れさ」

 携帯用のナイフでかぱっと缶詰の蓋を開けたレイは、そう言って取り出した中身をリサに差し出した。

 上機嫌に鼻歌を繰り返しながら、楽しそうに彼女に視線を注ぐ。

「で、オレと結婚してくれるの?」

「……」

「沈黙すんなよっ」

「助けてもらって、こんなこと言うのも何なんだけど……」

 リサは、はぁっとため息をついて、缶詰を受け取った。

 生臭い――ぷんと酢漬けの匂いが漂うそれに鼻を曲げ、彼女はぱくんと口に入れた。

「私は別に、移住したいとは思わないのよ。いくら新遊星都市シリウスに行くためとはいえ、適当な相手とペアを組んで、愛のない結婚するなんて考えられないわ」

 彼女がそう答えたとたん、レイと和音はげぇっと顔を見合わせた。

「マジで~?」

「だからって、こんなとこで野垂れ死ぬつもりかよ」

「今の時代に愛なんて期待しちゃダメよぅ、おねーさん」

 責め口調で詰め寄られても、リサは平然と缶詰をぱくついている。

「大丈夫。酸素と食料がある限り、生きられるわ。恐獣に襲われないよう気をつければ、意外とどうにかなるものよ」

「……考えられねぇ」

「天下一のバカ女ね」

 吐き捨てられた言葉に、さすがに不機嫌になったのか、リサは眉毛を吊り上げて2人を睨みつけた。

「失礼な人たちね! 私は政府の世話になってまで、宇宙船に乗りたくないだけなの!」

 とたんにふて腐れ、土まみれの床に横になる。

 ごろんと寝転がり、瞬く間に深い眠りに落ちる彼女を見つめたまま、レイと和音は呆然として小さな息をついた。



 ――闇の中で。

 割れた天井の隙間から、ぼんやりとした星々がちらついた。

 その片隅に、青い地球が浮かんでいる。

 とうの昔に人間を拒絶し、汚染ガスを充満させたその星は、今なお涼やかな光を放ってきらきらと瞬いて見えた。





■□■□■





「あーあ。結局またフリダシか」

 切望する結婚相手がいまだに見つからないことに落胆し、さすがのレイも肩を落とした。

 ビルの屋上にのぼり、崩れそうな場所であぐらをかいた彼は、そう呟いて抱えたピアノの鍵盤に指先を滑らせた。

 調子外れの、おせじにも上手いとは言えない歪んだメロディが、帳の下りた漆黒の世界に溢れていく。

 深夜近くになって、ふと目を覚ました和音が、眠りに落ちたリサを妨げないよう、そっと場所を移動して、レイの傍らに寄ってきた。

「あ、またピアノ触ってる~」

「おうよ。お前も眠れないのか。なんか弾いてやろうか。リクエストある?」

「うん。……『スターゲート輪舞』」

「またそれか」

 苦笑しながら、レイは鍵盤の上で指を躍らせた。

 『スターゲート輪舞』は、和音とはじめて会った時に弾いていた曲だ。

 以来、彼女はなにかと言うと、すぐにこの曲をリクエストしてくる。

 充電の切れかけた古いピアノは、以前ほど美しい旋律を生み出す事は出来ないが、それでも孤独な少女の心を満たすには十分役目を果たしているらしい。

「……あたし思うんだけどさー」

 曲に聞き入っていた和音が、中間のコーダが終わった直後、うかがうように首を傾げた。

「レイが結婚できないのは、そのセーラー服が悪いんじゃないのかな」

「ぐっ」

「普通にしていればそこそこカッコいいのに、奇妙な服を着ているせいで、すべてが台無しって感じよ」

「むー」

 和音の歯に衣着せぬ物言いに、レイは辟易して、逃れるように高い空を見上げた。

 指先が動くたび、調音の狂ったピアノの旋律が闇に溶けて、聞きなれた曲が耳に染みる。

「――本当なら」

 と、珍しく神妙な顔つきになったレイが、傍らの女の子を見下ろした。

「本当は、オレだって一番好きな子と結婚したいよ。……でも逃げられちまったんだから、しょうがないだろ」

「――」

「今はどこにいるのかすら分からない。……もしかしたら、もうとっくに別のパートナーを見つけて、新遊星都市に旅立っちまったのかもしれない」

「でも、忘れられないんでしょ」

「そう。……彼女がまだこの星にいるのかもしれないと思ったら、その可能性を捨てきれずに、今でも探してしまう」

「まったく、未練たらしいんだから。そんな女のことなんて、さっさと忘れちゃえばいいのに!」

 ばん、と背中を叩き、和音が悟りきった大人口調で彼を叱咤した。

 子供らしくない、どこか悟った雰囲気を持つ和音の視線を受け、レイは言葉に詰まって俯いた。

「それが出来れば、苦労しないさ」


 数ヶ月前。

 レイの恋人は、ある日突然、失踪した――

 プロポーズして一緒に移住しようと考えていたのに、彼の恋人は何も言わず、いきなりレイの目の前から姿を消したのだ。

 残されたのは、ただひとつ。

 恋人が着ていた紺色のセーラー服だけ。

 結婚相手を探して旅をしつつ、彼がいつもこの服を着ているのは、これを身に付けていれば、いつか彼女にめぐり合えるんじゃないかと――そんなささやかな願いが含まれていた。

「……へぇ。なるほどね」

「!」

 ふいに背後で声が響き、レイと和音はぎょっとして後ろを振り返った。

 いつの間に起きてきたのか、胸の前で両腕を組んだリサが、偉そうな態度で二人を見つめている。

「……私、あなたと結婚してあげてもいいわよ」

「ほ、ほんとか!」

「えぇ、ただし、条件があるんだけど」

「――!」

 複雑な面持ちを携えて、なぜかむっとしているリサを見上げ、レイと和音は不安げな表情でごくりと息をのんだ。





■□■□■





 リサが2人を案内した場所は、国防庁跡地の地下シェルターだった。

 すでに役割を果たしていない防犯システムを叩き壊し、中へと進入する。

 足元から染まった闇に一歩も動けず、和音は隣人の顔も見えないこの状況に怯えながら足を踏み入れた。

 すると、

「! ……うわぁっ」

 ぼやけた視界に慣れた和音が、いきなり頓狂な声を上げて立ち止まった。

 次いで、レイも大きく目を開いて上方を仰ぐ。

「これは――船か?!」

 唖然として声を失った二人の眼前に、巨大な宇宙船がそびえていた。

 純白の光沢を称え、美しく手入れされた船体が、鮮やかにつやめいて彼らを見下ろしている。

「私の船よ。恋人と一緒に乗るはずだったんだけど……」

「逃げられたのか?」

「違うわよ、あなたと一緒にしないでくれる? 彼は先に新遊星都市に行って、ゲート前で私を待ってるわ。……だけど…、それはきっと、本当の愛情じゃないのよ」

「? ……どういう意味?」

「彼のパートナーは、必ずしも私じゃなくても構わないってこと。結婚するのは、ほかの誰でもいいんじゃないかって思えたら、なんだかとたんに空しくなって、すべてがどうでもよく思えたの」

「ふーん、そんなもんかねぇ」

「あら、あなただって似たようなものでしょ。恋人に逃げられて、相手は誰でもいいと考えたから、私にプロポーズしたんじゃないの?……移住したいがために」

「――」

「それに、この船は二人用なの」

「は?!」

 リサは、ちらりと少女の方を見た。 

 表情を凍らせた和音が、戸惑ったように瞳を曇らせる。

「言ったでしょ。私は政府の世話になってまで、移住しようとは思わないの。だから、行くとしたら絶対に自分の船で行こうって決めてたの。……選択肢は与えたんだから、決めるのはあなたよ、レイ」

「オレは……」 

 彼は、即答できなかった。

 選択といっても、かなりの難題だ。

 政府嫌いのリサと一緒に移住したければ、和音をこの星に置いて行くしかない。

 だが、それを拒めば、また一からパートナー探しが待っている。

 ――こうしている間にも、人々はどんどん新天地へと移り住み、快適な生活を送っているというのに、自分だけが取り残されて、老いていくのは辛すぎる。

 迷いに翻弄され、答えが出せずに困惑していると、その時、ふっと小さな手がレイに触れた。

「この船に乗りなさいよ、レイ」

「!」

 悟りきった和音の瞳が、凛とした光を伴って彼を見上げている。

「どうして悩むの? あたし達は赤の他人なんだから、別に置いていってくれて構わないのよ」

「……和音。……でも」

「あたしは子供だから、行こうと思えばいつでも船に乗れる。ただ、あなたが一人ぼっちだから、仕方なく付き合ってあげてただけなのよ。そのことに、まだ気づかないの?」

「――!」 

 きっぱりと拒絶され、レイは大きく目を見開いた。 

 信じられないという表情で、じっと和音を凝視し、彼は困惑した思いを隠せず唇を震わせた。

「……自分がなにを言ってるのか分かってんのか。船に乗るのだって順番があるんだ。申請したからってすぐに移住できるわけじゃないんだぞ」

「分かってるわよ」

「その間、1人でどうする気だ。恐獣に襲われても、病気になっても、誰も助けてくれないんだぞ。それに」

「あなたと一緒にいるよりは、ずっとマシよ」

「!」

「その下手っぴなピアノを、もう二度と聞かないですむかと思うと、せいせいするわ」 

 両手を腰にあててふんぞり返っている和音の表情には、一点の曇りもない。

 本心からそう言っているのだと悟り、レイは返す言葉もなく立ち竦んだ。

「――決まりね」 

 2人の会話に耳を傾けていたリサは、にっこりと笑うと、そう言って冷たい視線を送ってきた。





■□■□■





 やはり、この世に愛は存在しない――

 リサは、改めてそう実感した。

 思いやりも、優しさも、己の欲望の前にはすべて消えうせ、宇宙の塵となってしまう。

 生き残るために、新天地へと希望を繋ぐために、人々は惰性と妥協を繰り返し、手頃なパートナーを探しつづけている。

 『自分の選択は、本当に正しかったのか』

 そんな思いすら、いつか消滅してしまうのかもしれないと思えた。





「向こうに着いたら、お金をたくさん送ってね。大総督のお嬢さん」

「!」

 船に乗り込む直前。

 レイのいないところで、和音がこっそりとリサに耳打ちした。

 ぎょっとしたリサが驚いた顔で振り返る。

 すると、和音はいたずらっぽい仕草で、首に下げた財布をちゃりんと鳴らした。

「……あなた、私が誰か知ってたの?」

「もちろんよ。あなたが父親のやり方に反発して、移住を拒否していたこともね。ゲート前で待ってる恋人って、許婚者なんでしょ。だからお金目当てって気がして、結婚に踏み切れないのよね」

「呆れた! ホントに、侮れない子供ね」

「どうもありがと。それって最高の誉め言葉だわ。とにかく、送金よろしくね。あと……レイも。……幸せにしてあげて」

 見上げた小さな瞳が、懇願に震えた。

 お願いね、と呟いた和音の声が詰まったのを聞き、リサはしばらく考えてから肩をすくめた。

「悪いけど、それは約束できないわ。すべては彼次第だもの」

 心配そうな小さな和音を見下ろし、リサはそう言い放って苦笑した。






 ――ゲートが開く。

 人工惑星『恐獣星』から、新遊星都市『シリウス』へ。

 コロニーから長く伸びた巨大な門を開放したその星は、新たな安住の地を求める人々を招きいれようと、その口をぱくりと開いた。

 入り口をめざし、リサの所有する純白の宇宙船が、レイを伴ってゲート内へと進入する。そして、検閲と婚姻証明を受けるべく、2人が中へと足を踏み入れようとした、その時。

「……ごめん。オレ、やっぱり行けないわ」

 直前になって、レイがぴたりと足を止めた。

 振り返ったリサは、驚く様子もなく、彼を見つめている。

「それ、私とは結婚できないってこと?」

「いや。てゆーか、和音を置いていけねぇ。あいつを1人にしたのは、やっぱり間違いだった気がして」

「なぜ? どうしてそんな風に思えるの? あなたたちはなんの繋がりもない他人なんでしょ。家族でもないのに、なぜ?」

「それは、オレにもわからない。……移住もしたいし、そのためには結婚もしたい。――だけど……!」

 迷う。

 戸惑う。

 リサと行くべきだと分かっているが、足は凍りついたように動かない。

 コロニーのゲートを前に、意志とは別に体が硬直するのを感じ、レイは泣きそうな顔で俯いた。

「……行くなら、やっぱり和音も一緒がいい。あいつを残してオレだけ移住するなんて、……そんなことはできない」

「ねぇ。まさかと思うけど、それ、恋愛感情じゃないわよねぇ?」

 怪訝に眉を寄せたリサが、信じられないという顔で嘆息している。

「分からない……でも、ごめん。オレ、このまま引き返すから、あんたはゲートを越えて、恋人とよろしくやってくれ。幸せにな!」

「ち、ちょっと!」 

 呆気にとられたリサが、慌てて彼を引きとめた。

 だが、何かを吹っ切ったようにきびすを返したレイは、迷うことなく今来た道を戻っていく。 

 リサは、驚いていた。 

 ただ驚いて、目の前に突きつけられた事実を把握しようと必死になった。

「……レイ! あなたは……知ってるの?! それとも、何も気づかずにそんなバカなことを言ってるの?!」

「…?」 

 呼ばれたレイが、不思議そうに振り返った。 

 首を傾げ、オートワープの歩道に足を乗せた彼の姿が、瞬く間に小さくなっていく。

 その様子を見つめていたリサは、慌てて声を張り上げた。

「黙っていようと思ったけどっ……最後だから、教えてあげるわよ! ……あの子は……和音は《コンタクト・リターン》よっ」

「!」

「知能はそのままで、体だけが退行する病気に侵されている。彼女はその治療のために、お金を欲しがってるのよ! レイ……!」

 驚愕したレイの姿が、どんどん小さくなっていく。

 それを懸命に追いかけながら、リサは精一杯の力で叫んだ。

「あなたの恋人は、なぜ逃げたの?! ……あなたが、いつか恋人に出会えたらと願って、そんな格好をしているのなら……っ、和音が、あんな真っ赤な服を着ているのはなぜ?! 恐獣が溢れるあの星で、食われるのを覚悟で、彼女があんな派手な格好をしているのだって……その理由は、あなたと同じ……、ちょっと聞こえてるの、レイ……レイ!」

 彼の姿は、とっくに見えなくなっていた。

 リサの言葉は、ちゃんと届いたのだろうか。

 それすらもわからず、彼女はゲート前の通路に呆然と立ち竦んだ。



 運命の相手なんて、存在しない。

 愛なんて、信じない。

 移住という目的を果たすため、人々は手当たり次第に異性を求め、走り回っている。


『男女一組ペアになって、移住すること』


 政府が発布したたった一つの条件は、今もなお、多くの老若男女を悩ませ続けている。

 ――だが、そんな時代にも《 誰か特別な相手 》と出会う奇跡があるということを、彼女は少しだけ信じてみようという気になっていた。


 振り返ると、リサの前に男が立っていた。

 親が決めた、愛とは縁遠いはずの許婚者。

 彼女の到着を待ちわびていた彼は、リサの姿を見つけたとたん、満面に笑みを浮かべて距離を縮めてきたのだった。





■□■□■




 からりと小石が転がる音がして、レイはぎくりと肩を揺らした。

 蒼白して振り返ると、眼前には巨大な恐獣が鋭利な視線を落として、彼を狙っていた。

「……やばっ、……見つかった!」

 闇の中で、三つの赤い目玉がきらめいている。

 明らかに自分を食おうとしている恐獣の存在に、レイは冷や汗をたらして前を見据えた。

 この星に戻って、すでに3ヶ月。

 いまだ、和音を見つけられない。

 まさかすでに恐獣の餌食になってしまったのではないか、と危惧しつつ、

(和音を見つけるまでは死ねねーよ)

 と、高揚する息を吐き、瓦礫の下へともぐりこんだ。

 だが、すぐに恐獣に見つかってしまい、鋭い爪がレイを襲う。

 すばやく身をかわし、くるりと反転するも、その先々に恐獣の爪が振り降りて、彼を食おうと狙ってくるのだ。

「うわっ、わわ……!」

 ごろごろと地面を転がりながら、逃げ惑うしかない。

 頼みの綱のレーザー銃は、和音に預けたまま、武器が何もないのが現状だ。

「やっばいなぁ、こんなとこで食われるわけにかいかないんだけどなぁ」

 ぶつぶつと呟き、必死で隠れる場所を探した。

 そうしている間にも、敵は容赦なく襲い掛かり、レイを狙って牙を向けてくる。

 どうにかしなけりゃ、と頭を巡らせ、瓦礫の下に身を潜めて小さくなっていた、その時――

「!」 

 いきなり彼の頭上を、赤い影が通り過ぎた。

 とんとレイの体を飛び越え、赤い光線を放って恐獣へと向かっていく。

 身軽な体を使いこなし、リズムカルに崩れたビルの上を飛びながら、その影は闇の中で何度も彼の盾になった。

 鮮烈な閃光が、空を裂く。

 そして、幾度目かの光線が夜空に飛来した後。

 目前の巨大な物体は、砂埃を巻き上げて、彼の足元に崩れ落ちていた。

「……は」

 すっかり腰が抜けたレイが、立ち上がれずにあお向けに倒れた。

 そんな彼の前に、にょきっと伸びた2本の足が近づいてくる。

 女の子だ。――だが、レイが知っている姿より、さらに幼く、小さく見えた。

 退化し続ける体をもてあますように、生意気な視線を落とした子供は、すでに五歳ぐらいの印象しかない。

 彼女に残された時間は、どれぐらいなのだろう。そんなことを考えながら、レイはふと目を細めた。

「……やっと、見つけた……!」 

 逆さに映った少女を嬉しそうに見上げる。と、彼女はなおのこと不愉快そうに口を尖らせた。 

 憮然とした瞳が、じっとレイを見つめてくる。

「……どうして、あなたがここにいるの? まさかまたパートナーに逃げられたんじゃないでしょうね」

「あはは。実は、そのまさかなんだ。だからいまだにお嫁さん探して奔走中」

「サイテーね」

「だよなぁ。……こんなオレでよければ、結婚してくれない? お嬢さん。今なら超絶にロマンティックなピアノの弾き語りつきよ?」

 とたんに目を開いた少女の顔を逆さに見て、レイはにっこりと笑って両手を天に伸ばした。

「……あなた『スターゲート輪舞』は弾ける?」

「もちろん! それはオレが恋人のために作った曲だ」

「なら、結婚してあげてもいいわよ」 

 伸ばされた手を受けるため、和音は細い指先を彼へと差し出した。



《……たとえ、離れ離れになったとしても、いつか、きっとめぐり合える……!》



 見上げた夜空に、

 青い地球が見えるこの星で、

 君のために、この旋律を響かせよう――!








―終―




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