ある夫婦の日常
お付き合い中
ある休日の昼下がり。いつものお返しにと彼が私の部屋でパスタを作ってくれることになった。
「おいっ、ザルがないぞ。どこだよ」
「シンクの下に入ってるよ」
昨日使ってシンクの下にしまったから間違いない。
「いや、ない」
扉を開けて首を傾げる彼に、どこか違うところにしまったかもしれないと不安になるけれど、思い返しても彼が見ている場所にしまってあるはずだと思う。
「ないわけないじゃん。ソコにしかしまわないもん」
だからやっぱり返事はこれしかないのだけれど。
「ねぇもんよっ!パスタのびるぞっ!もう、いい!!蓋でなんとかするっ!!」
重い腰を上げない私に半切れでそう言い切る彼。
ちょっとムカッとしたので、読みかけの本にしおりを挟んで台所に行く。先ほど彼が開けていた扉を開ける。
「ねぇ、これナニに見える?」
プラスチック製のピンクのザルがボウルと重なりはしても、一番上にちょこんと乗っている。
ザルだ。間違いなくザルだ。どこからどう見てもザルだ。
「ザル。いや、俺が見た時にはなかった。さてはお前なんかしたなっ!」
「何をするのさ」
まさか、私が魔法を使うとでもいいたのかと、ため息をつきつつザルを出してあげるのだった。
結婚 一年目
「なぁ、俺のジャージどこしまった?赤くてライン入ってるヤツ」
「上から二番目の引出しに入ってるでしょ」
だいぶ聞かれることに慣れてきた私は、引出しの場所で答える。
「ないから聞いてんだろ」
「ないわけないでしょうが」
この間、洗って畳んでしまったばかりだ。見やすいように手前にしまったはずだ。
「いや、ない」
またいつものかと、渋々ゲームの一時停止ボタンを押した。立ち上がりつつ尋ねてみる。
「あったらどうすんのさ」
「どうもしねぇよ」
案の定、後ろから除きこめば、赤色が引出しの中で主張している。それはもう、激しく主張している。逆に、なぜ見えないのかと聞きたい。
「ほら、あるじゃん。どこに目をつけんてんの?」
「俺に見えなかったらあるっていわないんだよ」
開き直りですね。分かります。でもですね。
「意味わかんない。せめて日本語喋ってよ」
日本人なんだからさ。あと、お礼ちゃんと言いやがれっ!
結婚 五年目
「おいっ。アレどこだ」
「アレじゃわかんない」
「アレで分かれよ」
むしろアレで通じる熟年夫婦を、尊敬する。何年たっても彼のアレとか、ソレはよく分からない。
「私とあんたツーカーじゃないし。私はアンタのお母さんじゃないから無理です」
「アレだよ。アレ。ここに置いておいた勤務表。お前またどっかにしまっただろう」
基本出したら出しっぱなしの彼に、片づけるという能力はない。
必然的に私が片づける羽目になるけれど、しまえばしまったで五月蠅い。
だから、彼がよく目にするはずのものはしまう場所も決まっていた。
「知らないよ。勤務表なんか捨てないし。いつものトコにあるでしょ」
片づける時は、決まったところにしまっていくから、一々覚えていない私はそう答えるしかない。
「ねぇよ」
いや、今、探してないよね?見ただけだよね?
この野郎と思いながら本を閉じ、いつものリモコン入れのカゴを覗き見る。
リモコンと共に四つ折りにされた勤務表が入っている。よく見るものなので、リモコン入れと一緒にしてあるのだ。リモコンを一番使うのが彼だから、見つけやすいようにという、私の心遣いのはずだ。
「ほら、あるじゃん」
「おう、ありがと」
もうすでに探そうともしてない彼にあきれるしかない。
結婚十年目
小物入れにしてある籐の籠をガサガサと音を立てて探る彼。
「爪切りどこだ」
「いつものトコ」
あなたが持っている籠の中にありますよ。てか、そうやって人が整理したものをひっかき回すのやめて欲しいんですよね。
「ねぇよ」
出た。必殺「ねぇよ」。これさえ言えば奥さんが探してくれる魔法の言葉です。
「ちゃんと探しなよ、ソコにしか入れないって言ってんでしょ」
面倒なんです。絶対にソコに入っているから、ちゃんと見て下さい。
せっかくの休みなんだから、読書の邪魔をしないでくれますか。
そう思いながら、投げやりにそういうと、すかさず答えがかえってくる。
「ねぇってば」
もう一度言われて、仕方がないので籠を持ってこいとソファに座ったまま手を差し出す。
「もー信じらんない。あったらどうすんのさ」
「ねぇもんよ」
受けとった籠の中は見事にかき回されている。あぁ、折角切ったペットボトルで仕切ってあったのに。爪切りはすぐに見つかった。一番下に埋まっていたけれど。
「ほら、入ってんじゃん。いつもちゃんと探せっていってんでしょ」
「俺が見た時はなかったんだよ。もっとちゃんと分かりやすくおいとけよ」
分かりやすく仕切ってあったのに、自分勝手な文句を言う彼に呆れてため息を一つ。
「ばっかじゃないの。そこまで面倒見きれません。アンタこそちゃんと探しなさいよ。いい加減、パッと見て、ないっていうのやめてよ。これくらい自分で探せるようになって下さい」
パパっと中を整理して蓋を閉めた籠を彼に渡しながら言うと、むくれた彼が口を尖らせる。
「いや、絶対に入ってなかったね。爪切り絶対なかったもんね」
「いや、あったじゃん。今出してあげたじゃん」
「あっあれだ。突然現れたんだよ」
「マジ、勘弁。アンタ二児の父親なんだけど」
結婚 十一年目
「おいっ、ノリどこだ?」
それなら、自分で探せるはずだ。かなりきれいに整頓されている場所だからね。
いつもより詳しく場所の説明をする。
ちなみに私は天ぷらを揚げている最中で手が離せない。
「電話の下の上から三番目の引出しの右のほう」
「ないっ!どこだよ」
ここまで詳しく説明してもダメなのか。
いや、そこにあるのは間違いないのだから、もう一度場所を言ってみる。
油を扱っている時は、コンロの前を動いてはならない。これ鉄則だから。
「だから、三番目の引出しの右のほうだって」
「ねぇよ」
私は諦めた。動けないからと、ソファで携帯型ゲームで遊んでいる長男に声をかける。
「……………………貴ちゃん。ノリ探してあげて」
慣れっこの息子はすぐにゲームを置いて、電話の下の引出しからのりを発見してくれる。
「パパ、ここにあるよ」
「おう、ありがとよ」
探し物については、彼よりよっぽど頼りになる息子は携帯型ゲームに戻る。
ウチの旦那に探し物は一生無理なのだろう。
だって私は知っている。
なんだかんだ言って、探し物を私が探し出してくれるのを待っているのだ。
本を読んでいたり、ゲームをしていたりする私に、わざわざ中断させて探し物をさせる彼は。
間違いなく、かまってちゃんだ。
そして今日も明日も、それどころか一生私は読書を中断して彼の探し物を見つけに席をたつのだろう。
まぁ、それもいいかと思う、とある休日。