〇本格推理〇お猿のゴンくん
――くそたれ! えさ供給装置が起動しないぞ。
お猿のゴンくんは思った。
昼ご飯の時間だというのに、同じメッセージが繰り返し表示されるばかりだ。
『オヒルゴハンハ……』
『……シュウリョウシマシタ』
『オヒルゴハンハシュウリョウシマシタ』
『マタアシタ……』
『……オアイシマショウ』
『ゴキゲンヨウ』
昼の時を知らせる時報訓練されてきた順番にボタンを押したあと、昼ご飯の受け取り口をのぞいてみた。しかし、そこにはゴンくんが受け取るべき昼食は存在しなかった。ただただ、昼ご飯は終了したというメッセージがモニターに表示されるばかりである。
ゴンくんは、自分の行動を再チェックしてみた。
まず、きちんと顔と手を洗ってみた。ボタンは注意深く順番を間違えないように押した。やっぱり、牛乳とサツマイモやバナナなどのいつももらえる昼ご飯が出てこない。
ゴンくんは、異変を知らせるキーキッという鳴き声を上げてみた。そして、あたりを見渡した。ふだんなら、ゴンくんの飼育員の人がいて、異常に気づくはずなのであるが、今日は、だれもこの異常事態に気づいてはくれなかった。
ゴンくんは、キーキッと空腹の怒りのボルテージが上がっていった。
そんなとき、ゴンくんの様子を見守っている二つの目があった。この二つの目は檻の外の通りの植え込みのその先にあった。
ゴンくんは、なぜかこの二つの目玉のため不安になった。
この不安で、おなかの空きを忘れるわけではもちろんないのだが、警戒をまじえてのキーキーキッと鳴き声のトーンにはある種の変化が見られた。このトーンは、人間でいうと、『鬱』というたぐいのものかもしれない。
たしかに、ゴンくんは、この数日、胸の中の不安がどうにも収まらなかった。なにか大事なもの、暖かいものが自分から、奪い去られてしまいそう。そういうわるい予感がなかなか消えてくれなかったのである。
その悪い予感が、ついに的中してしまったのかと、ゴンくんは絶望した。しかし、ゴンくんの絶望を理解してくれるものはゴンくんの周りにはいなかった。言葉で、意志を伝えられないゴンくんには、この絶望を乗り越える道は存在しなかった。
このようにして、一つの事件が、東京マリーン動物園で始まった。
ところで、、この事件について語る前に、どうしても、数日前ある人物が体験した不思議な出来事について語っておく必要がある。
といっても、非常に手短に、話しておくにとどめるつもりであるが……。
ずぶ濡れになって進むその生き物は、この世のものとは思えなかった。あるとき、肉体があり、実態のある生き物として、嵐の雨を浴びながら進んでいたかと思うと、ふと、影のような存在にもなって、一挙にその生き物の存在感は希薄になったのである。
それは、この動物園のヌシが、自分の縄張りが他のものに犯されたりしてはいないか調べるために、ゆっくりと巡回しているように思えた。
この生き物は、ある気配として、東京マリーン公園を抜けようと歩いていた岡寺ノブヨという占い師に察知された。
東京マリーン動物園は、東京マリーン公園の中核施設である。公園の中には、大小いくつもの道が通っていたのだが、その中で、東京マリーン動物園に接する道が公園を抜ける道として一番利用されていた。この道は、広く、深夜でも明るく、照明が照らされていた。
ノブヨは、仕事を終えて、うちに帰る途中であった。時間は深夜になっていたにもかかわらず、嵐の夜だったにも関わらず、ノブヨは、さすがに深夜には人気の全くない、東京マリーン公園を通り抜ける道を選んだ。というのも岡寺ノブヨは、その道を通るように呼びかけられたいたように思われたからだ。
大事なことを、話しておかなければならない。それは、岡寺ノブヨという人物が、非常に神秘的な能力を持っていたと言うことである。この人物は、何かこの世ならぬものの力と交信することが出来た。この人物は、自分の不思議な力は、自分の占い師という神秘的な能力を要する職業に原因があると考えていた。あるいは、もともと、不思議な力を持っていたので、自然とこの人物に、占い師という職業への道が開けたのかもしれない。そう時々思うこともあった。どちらが本当かということは、謎である。
この人物の感情の起伏が非常に激しかった、また、これとは一見矛盾するが、岡寺ノブヨという占い師は、繊細すぎた。そして、自分の占いに、本気で心が高ぶったり、落胆したりした。それで、岡寺ノブヨは、何かのデーモンによって、こころが支配されていると周りの人間が思ってしまう時がしばしばあったのだ。
さらに、読者諸氏には頭に置いてもらっても良い事実として、普段は、この人物が、女性の心を持つ人物、岡寺ノブヨとして通っていた。しかし、実は岡寺信宏として生まれていて、戸籍は男性と記載されている。この人物のこのような心の特性は、この事件と少なからぬ関係が存在するように作者には思われるのだ。
ところで、その時岡寺ノブヨは、自分が遭遇した不思議な存在に対して、話しかけた。
「ねぇ、そこに誰かいらっしゃるの?」
このとき、岡寺ノブヨは、不思議な存在が、岡寺ノブヨが最近別れた彼氏かと思ったのだ。岡寺ノブヨの彼氏は、ちょうどこのあたりまで、ノブヨのことを迎えに来てくれたりすることもあったのだ。
「……」
岡寺ノブヨの呼びかけに、その影は何も語らなかった。そして、その気配は闇の中に消えていった。
感受性の非常に強い岡寺ノブヨにとっては、この沈黙のメッセージは非常に重要で意味深なものに思われた。
「何かが起ころうとしている」と、岡寺ノブヨには、この日からある確信が育ちはじめた。
――何が起ころうとしているのか。
岡寺ノブヨは、それを知るために、この町の事情通ひとりひとりから、片っ端から情報を集め出した。岡寺ノブヨは、この町の飲み屋街の一軒一軒の女将とは、大女将も、若女将もだいたいはツウカー仲であった。彼女たちの教育の悩みから、経営の悩みから、もちろん、恋の悩みまで岡寺ノブヨは相談に乗っていたから。
町に流れるいろんな情報の中で、岡寺ノブヨは、怪物ネコまんまの伝説というのが一番気にかかった。
「大きな声じゃ言えないがね。いま、怪物ネコまんまにやられて動物園が大変なんだよ」
と、小料理屋の女将が言った。
動物園とは、もちろん、東京マリーン動物園のことである。
――私が目撃したのは、その怪物ネコまんまなのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。
「怪物ネコまんまにやられたのは、猿のゴンくんだ」と、板前が口を挟んだ。
「猿のゴンくんといえば、テレビの人気者じゃないですか」
「担当の飼育員が一番苦しい立場に置かれているそうだ。真下という若い奴だ。ゴンくんと一緒にテレビに出ている奴だよ」
「その怪物ネコまんま、わたし、目撃したのよ」と、岡寺ノブヨは言いたかったのだが、ぐっと押さえたのだ。
そのかわり、
「わたしなら、ゴンくんに力を貸してあげられる」と、
岡寺ノブヨは、言うと勢いよく立ち上がった。
数日後、あさから、怪物の関する事件の現場へと急行した。つまりは、東京マリーン動物園である。
そこでは、占い師、岡寺ノブヨの力を必要とするゴンくんが待っているはずだ。
しかし、岡寺ノブヨの熱意にもかかわらず「なんでよ! 」と何度も絶叫してしまうハメに岡寺ノブヨは陥ってしまった。
自称、超自然現象の実地の体験者、易学界の権威として、岡寺ノブヨは、動物園の担当者を訪れてみた。担当者は、岡寺ノブヨの異様なやる気に圧倒され、ゴンのいる檻に案内してくれた。
すると、檻の中に、一匹のやつれた猿がいた。猿は、肩で息をしていた。それなのに、岡寺ノブヨは、檻の中に入ることはゆるされなかった。
――猿ちゃん、いそいであげないと、命が危ないわ。
「飼育員は、今、留守ということです。檻の中に入るには、最低でも飼育員の許可が必要なので、今は中に入ることは出来ません」
――なんでなの! お猿さん死んじゃうよ!
「ある意味、これは、謎の密室事件でして、動物園の関係者の手には負えないのですよ。専門外ということです。この密室の背後にあるなにかの鍵が解けないとゴンくんは良くならないのかもしれないと思います」
――だから、私がこうして手を貸してあげようと、力になってあげようと参上したではないの。でも『密室』ってなによ? これって、推理サスペンスものの話じゃないでしょ。誰かが、お猿の遺産を奪って話じゃないでしょう。そのまんま、妖気に満ちた怪物ホラーの話じゃないの。たとえば、狼男と美女とか。だから、怪物ネコまんまの視線を釘付けにしてしまう美女として私が参上するって話ではないの? 怪物ネコまんまは、私の美貌の虜になり、私の命令には素直に従ってくれるわ。そして、この動物園にかけられた怪物ネコまんまの呪いが解けてしまうでしょう。それで、すべてが解決、メデタシメデタシということではないの。
「何者かが、密室の檻の中に入って、ゴンくんの自動餌やり器の餌を奪ってしまったということなんですね。当時、近所の幼稚園から差し入れがありまして、ゴンくんの昼ご飯として高級果物が出される予定でした。一度目には、係員のど忘れか、機械の故障と思われたんですが、これが、連続して起きておりまして、おかげで、うちの動物園の人気者のゴンくんは、この餌やり器から、物心ついた頃から、もらっていたもので、この急な事態に、すっかり、頭が混乱してしまったらしいのです。そして、ノイローゼになってしまったのです」
――そうじゃないって、怪物ネコまんまは、人間と人間におもねる動物たちに復讐しようとゴンくんに狙いを定めて呪いをかけたのよ! はっきりしてるじゃないの。それ以外に考えられないわ。
「うちとしても、騒ぎになってしまう前に、事件を解決できないものかと、ちゃんと手を打っておりまして、その会議のために飼育員が留守にしているというわけでして……なんていったかなぁ? お店の名前……」
――ちゃんと手を打っているって、私のところには、今のところ何の連絡も来てませんけど? ぜんぜん、そんな話聞いてませんけどね! とにかく、第一の関係者としては、私もその会議に出なくてはならないわ。とはいっても、あいつら、つまり、塚本瑛太のやっていること、考えていることは、すべて私はお見通しなんだけどね。クリーンスタッフの社長の塚本瑛太というやつは、町のもめ事、相談事に片っ端から頭を突っ込んでいく奴よね。それを解決するとか言うのを口実にして、顔つなぎをして、コネを作り、それで、仕事をもらっているというもっぱらのうわさよね。
「そうだ、思い出した。コーヒーパーラー『ライフ』とかいう店です。室町アヴェニューにある少しさびれたコーヒーパーラー、『ライフ』ですね」
と、動物園の担当者は念を押した。
――それって、アルデンテとかいうのじゃなく、ナポリタンとかいうタイプのスパゲッティ出すお店じゃないの? むかし、むかし、そこでよくランチ食べたことがあるから覚えている。よし、分かった! 私が、そのコーヒーパーラー『ライフ』っていうお店に行って、どういうつもりで、今度の事件に顔突っ込んでいるのか確かめてこよう。
「……今度の事件のポイントといたしましては、推理小説でいう『死人に口なし』ということではなく、『お猿に口なし』というところが困ったところでありまして……つまり、ゴンくんは、犯人を目撃しておりますが、それを、我々に教えることは出来ないということでして……」
動物園の担当者の話はまだ続いていたが、岡寺ノブヨは、それを無視してコーヒーパーラー『ライフ』へと向かった。
ここは、室町アヴェニューにある少しさびれたコーヒーパーラー、『ライフ』である。
岡寺ノブヨは、ここへ来る前に、クリーンスタッフの女子事務員、若松春子にメールを打った。あとで会いたいという内容のものであった。というのも、コーヒーパーラー『ライフ』という名前を聞いて、ちかくにあるクリーンスタッフという会社のことを思い出したのだ。そこで、親友の若松春子が働いていた。
岡寺ノブヨは、今度の事件のことで、コーヒーパーラー『ライフ』が大騒ぎになっているだろうと想像した。
――普段は、墓場みたいに人っ気のないところだしね。そういうところの住人って、ちょっとしたことでも大騒ぎしがちなわけだから……
ところが、コーヒーパーラー『ライフ』は、岡寺ノブヨの想像とはちょっと違った状況にあった。
コーヒーパーラー『ライフ』では、新しいメニューの試食会が開かれていた。この日に、試食会が開かれることになったのは、お猿のゴンくんの飼育担当の真下能斗
のガールフレンドの佐奈恵さんが、故郷から急遽新鮮なママレードを持ってきてくれることに決まったからだ。真下能斗は、以前クリーンスタッフにつとめていたことがあり、その当時からコーヒーパーラー『ライフ』の常連であり、バンドマン毅とも仲良くしていた。
試食会は、客の少ない時間帯に行われた。午後三時頃には、試食会は終わり、真下能斗と佐奈恵さんが帰って行った。真下は、コーヒーパーラー『ライフ』を去るときに、バンドマン毅に声をかけた。
「試食会のことは、動物園には内緒にな」
バンドマン毅は、東京マリーン動物園のあたりをいつもぶらぶらしているので、動物園の職員にも顔が広かった。
バンドマン毅は、真下能斗と彼のガールフレンドの佐奈恵さんを見送ったあと、コーヒーパーラー『ライフ』に戻ってくると、見知らぬ人物がバンドマン毅に声をかけてきた。
それは、岡寺ノブヨであった。
岡寺は、バンドマン毅に向かってたずねた。
「あんたが、塚本瑛太とかいうやつ?」
「……」
「あんたが、真下とかいうやつ」
「……」
「あんた、いったいだれ?」
バンドマン毅は、自分が誰であるか説明した。塚本瑛太が自分の勤める会社の社長であること、真下能斗が自分の友達であることも言った。バンドマン毅とマスターがその場に居合わせたのだが、相手返事や、反応を待たずにとにかく、まくし立てる岡寺ノブヨのスタイルに圧倒された。岡寺ノブヨのこの話のスタイルは、熱気がこもって行くにつれ、対話と言うより、一方的な宣言に思われた。
「なんで、塚本瑛太とかいうやつが、この事件にちょっかい出しているわけ? この事件にちょっかい出すってことの意味をその人は知っているわけ」
「真下って、いったい何なのよ」
「塚本が選ばれたのはどういう人選?」
「マスター、私この店時々来ていたの。私は、何かの嫌がらせとか考えているのかもね。実際には、そうじゃない。だから、ランチメニューをいただくわ」
「ところで、今度の事件、どういう理由で、マスターや、クリーンスタッフの社長が出しゃばることになったのさ」
「だいたい探偵もどきの出る幕じゃないわよ。出没しているのは『怪物ネコまんま』よ。貧しい家に飼われていたネコが、エサにネコまんましかもらえなくて、その怨念で『怪物ネコまんま』が生まれたの。よなよな東京マリーン動物園に姿を現し、あそこで飼われている動物たちをいじめたり、エサを横取りしたりする。そういう話をあなたは聞いたことがないの。今この町、いや、日本という国は危機に見回れているのよ。この怪物ネコまんまに対応できる人材は、怪物対策の祈祷ができる占い師の、わたくし、ゴホン、岡寺ノブヨ以外には考えられないはずよ。それなのに、なぜ私のところに相談がこないの?」
「この怪物ネコまんまに対応しているのが、どこの馬の骨かわからないあなたたちだということを知らされたときの私の気持ちってわかる。しかも、こんな重大な仕事を引き受けたあなたたちが、何の仕事もせずに、このコーヒーパーラーとやらで、お昼のランチメニューの試食会をやっているなんて、サボり以外の何者でもないじゃないの」
「わかっていますよ。たしかに、塚本瑛太という人物がこの事件のことで動いているわ。あのとんでもない間抜けな素人、本職は、すぐそこの会社、クリーンスタッフの社長だという人物が、なにができるというの。飲み屋街の人たちには、塚本瑛太という人物が評判がいいというのは、知っているわ。彼に今度のことでいろいろと話を聞かれたという人は、飲み屋の客の中にもたくさんいたわ」
「塚本瑛太は、柔らかい物腰と、それでいて、人見知りをしない積極性、納得するまで何度も話を聞き返すしつこさというのは、飲み屋街ではいくらかは評価されていたわ。でも、彼が、今度の問題を解決できるなんて考えた人は、飲み屋の客の中には一人もいなかったんですよ。断言しますけど、だれ一人として、努力は認めても、怪物ネコまんまの事件を解決できるとは認めていなかった。なぜだかわかりますか? それは、彼には、ある種の直感がないからよ。それは、生まれつきの探偵としての素質とでもいうもの。自然に、物事の本質がわかってしまう、研ぎ澄まされた感性のことを言っているのよ。それがなければ世の中のどんな問題も解決はできないわ。そういう大切なものが彼には完全にかけているということ」
「私が見かけたとき、笑っちゃったわよ。塚本瑛太という間抜けな探偵は、完全に、行き詰まってしまっていたのね。公園にやってきていた子供たちに、一生懸命に話を聞いていたわ。遊びをじゃまされた子供たちは、本当にふてくされていたわ……」
このとき岡寺ノブヨに異変が起こった。彼女が、ああっと、叫び声をあげると、その場に倒れ込んでしまったのである。なにかのデーモンが彼女の心に降りてきたのか? それは、わからないが、とにかくひどい興奮が、彼女の心のバランスを崩壊させてしまったことは確かである。彼女は、ひどい勢いで泣き始め、収まるまでに十分ほどの時間がかかってしまった。
倒れかかった岡寺ノブヨを、バンドマン毅が必死に支えた。岡寺ノブヨは、バンドマン毅の顔をじーっとのぞき込むと、言った。
「あんたまだここにいたの。あんた、うざいから、どっかハケてくれない」
バンドマン毅は、むくれて、会社のクリーンスタッフに帰って行った。
岡寺ノブヨは、腰掛けに座らせてもらい、水をコップ一杯、与えられた。岡寺ノブヨは、少しばかり落ち着いたのだが、すると、試食会に出されていたコーヒーとナポリタンスパゲッティを食べたいと言い出した。マスターは、岡寺ノブヨのためにコーヒーとナポリタンスパゲッティを用意した。岡寺ノブヨは空腹だったのか、勢いよくナポリタンスパゲッティを平らげた。そして、一口でコーヒーを飲み干した。
そして、ぽつりと、つぶやいた。
「なんか、昔より、味、落ちてない」
それに対して、マスターは、すまなさそうに言った。
「ナポリタンスパゲッティは、十年ぶりに復活させるメニューでして、調整不足だったかも知れません」
岡寺ノブヨは、それには、答えずに、少し黙っていた。そして、また、つぶやいた。
「わたし、すべてのことを一瞬で見通してしまったわ。そして、この町に襲いかかりつつある不幸の本質を見抜いたのよ。はっきりと言っておかなければならないけど、みんなが心配しているあの猿は、もう助からないわ。一流の獣医がよばれ、治療に当たっているらしいけど、医者が治せる病気じゃないわよ。怪物ネコまんまが、不幸な運命を生きた飼い猫だった、怪物ネコまんまが、幸せに生きている猿のことを妬んで、呪いをかけたのだからそれが医者に直せるわけがないのよ」
岡寺ノブヨが話し終わると、笑い始めた。
「勝ったのよ! 私が勝ったのよ! 私のことを無視するとどういうことになるか、バカどもにも今度ははっきりとわかったでしょう。私に跪きなさい。さもないと、この不幸はやむことはないのよ」
電話が、コーヒーパーラー『ライフ』にかかってきた。
動物園からであった。それは、ゴンくんが危篤状態に陥ったという知らせであった。
それを聞いた、岡寺ノブヨは、さらに勢いをつけて笑った。笑った。笑いまくったのだった。
しかし、それからまもなくして、また一本の電話が、コーヒーパーラー『ライフ』にかかってきた。それは、塚本瑛太からの電話であった。塚本瑛太の声は晴れやかだった。
「すべては解決しました。これで、お猿のゴンくんは持ち直すはずです」
事件が解決して数日が過ぎていた。コーヒーパーラー『ライフ』では、マスターとクリーンスタッフの社長、塚本瑛太がこのたびの事件を振り返っていた。
「しかし、真犯人がバンドマン毅だとは思わなかった」
「ゴンくんは、お昼になり昼ご飯をもらうために、さる山から飼育舎に戻り、指定の作業を行い。それが確認されると自動的にゴンくんに餌が与えられるという装置が設置されている。そとから、ゴンくんの飼育小屋のこの装置にたどり着くためには、二つの鍵がいる。猿山に入る鍵と、そこから、飼育小屋へ行く鍵だ。一つ目の鍵は、猿山の鍵で、ここの近くの子供たちのグループが代々受け継いで所有していた。彼らは、猿山の鍵だけではなく。それらの鍵を使って、空いた施設で、捨てられた小動物を飼っていたこともあったそうだ。もう一つの鍵は、バンドマン毅が、真下能斗の目を盗んで合い鍵を作っていた」
「ようするに、バンドマン毅は、この二つの鍵を使い、深夜にゴンくんの飼育小屋を訪ねては、よくゴンくんと遊んでいたらしい。ゴンくんの餌として、高級果物が与えられたのが、一週間。その間、バンドマン毅は、毎晩深夜に飼育小屋を訪れ、セットされた果物を盗んでいたということだ。あるべき果物がなかったために、餌やり器が誤作動を起こし、何日間かゴンくんは昼ご飯抜きの状態に陥っていたのだ。何日かたって、飼育員が餌やり器に高級果物以外の餌が、何日分も残っていたので不審に思い、それで、はじめて、ゴンくんの様子がおかしいことに気づいたのだ。それから、ゴンくんに餌がきちんと与えられたのだが、ゴンくんはそれを食べなくなってしまった。ゴンくんは、それ以来、状態が悪化していき、最後に非常に危険な状態に陥ってしまったのだ」
「ゴンくんは、どうして回復したのでしょうか」
「バンドマン毅は、自分のしでかしたことが、事件になってしまったことにびびってしまい、ゴンくんのところに近づかなくなってしまったのだ。そして、遠くからゴンくんの様子を見守っていたのだろう。ゴンくんは近くにいるのに、遊んでくれない親友にイライラして、ついには絶望してしまったということかもしれない。ゴンくんが、バンドマン毅のことを親のように慕っていたとしたら今度のようなやっかいな事態になったとしても不思議ではない。ゴンくんが回復したと言うことは、ゴンくんとバンドマン毅との信頼関係が回復したと言うことです」
そして、塚本瑛太は結論を述べた。
「バンドマン毅が、駆けだしたときにすべては解決したと考えた私の予感は間違っていなかったわけです」
「今度の事件の発端も、バンドマン毅であり、解決の鍵もバンドマン毅だったというわけですね……」
マスターと塚本瑛太は、何かの気配を感じて入り口の近くの暗がりの方に目を向けた。そこには、ぼんやりとした姿の岡寺ノブヨがいたのだ。
「あなたたち私を見ても驚かないところを見ると、若松春子が、すべてのことを喋ってしまったみたいね」
たしかに、若松春子は、事件が解決した晩に岡寺ノブヨに起こった出来事について、その一部始終を会社や、コーヒーパーラー『ライフ』で会う人ごとに話していた。
あの晩、岡寺ノブヨは、荒れに、荒れていた。若松春子は、岡寺ノブヨに、一晩中つきあわされた。岡寺ノブヨは、ヒドい状態だったので若松春子は送っていこうとしたのだが、岡寺ノブヨは、それを断固として断った。
「私のことは、ほっておいて、絶対にあとをつけては、ダメよ!」
しかし、若松春子は、心配だったので、岡寺ノブヨのあとを、コッソリつけて、無事住まいにたどり着くか確認することにした。
岡寺ノブヨは、時おり、よろけたりしたが、大体はしっかりとした足取りであるいていた。岡寺ノブヨは、歩きながら、自分のことを見捨てたデーモンや自分に恥をかかせたとして、占いの神様のことを呪い続けた。
岡寺ノブヨが、東京マリーン動物園にさしかかった頃、異変が起きた。空が、突然曇り出したかと思うと、風が起こり、雨が降り出した。雨は、勢いを増し、若松春子は、先を行く岡寺ノブヨをみうしないそうになった。そのとき、怪しげな影が、若松春子を追い越して、岡寺ノブヨのほうに行った。若松春子は、心配になり駆け出した。すると、岡寺ノブヨの悲鳴が聞こえた。影が、岡寺ノブヨに襲いかかって、連れ去った。岡寺ノブヨは、影と共に、空のかなたに消えてしまった。
影の薄い岡寺ノブヨではあったが、それでも、彼女はコーヒーとナポリタンスパゲッティを注文した。そして、じっくり味わいながら、食事をとった。そして、
「ねえ、私、あっちの世界の住人になって分かったんだけど、あんたたちって、あっちの世界で顔なのね。私、あんたたちのことをボンクラだと思っていた。というか、いまでも、ホンモノのボンクラだと思っているけどね。メニューに関しては、コーヒーは何とか合格という水準。でも、今回のナポリタンは結構いけてたわ。まあ、気に入った。ときどき、あっちの仲間連れて、遊びにくるから、よろしくね」
そう言うと、岡寺ノブヨは、入り口の近くの暗がりの中にすーっと消えていった。
了
これだったら、俺にも、私にも書けそう。そう思ってもらったら成功ですけどね。推理小説って書くのは楽しいよ!!