第36話:噂好きと、名もなき支援者
あれから数日が経った。
黒田さんの治療が、すべて終わった。
医師からは、問題ないとお墨付きをもらっていた。それだけでなく、「驚異的な回復力だ」という評価もおまけでついてきた。
黒田さんは、やる気に満ちた様子で、両手を開いたり閉じたりしている。
そんな彼を見て、少しだけ安心した。
そして、三人で街に出た。
黒田さんが、街を見てみたいと言ったのだ。
フィリアの街は、相変わらず賑やかだった。
広場のそばを通りかかると、見覚えのある男が立っていた。あの噂好きの男だ。また誰かと話している。
「聞いたかよ、騎士団の噂」
「俺はお前からしか噂話を聞かねえよ」
「なんだよ、つれねえな。まあいいや、騎士団が火炎の竜をやっつけたって話だよ。あの漆黒の竜に匹敵するか、それ以上の強さらしいって話だったのによ」
私は思わず足を止めた。
「それをあの騎士団長が、剣一振りで竜を真っ二つにしたって話だ。しかも村人含めて、一人も犠牲者が出なかったって話だぜ」
「一撃で? 本当かよ。まるでお前がその場で見たかのような話だけど、どこから聞いたんだよ」
「俺が足で稼いだ話、と言いたいところなんだが⋯⋯実は騎士団の中に知り合いがいてよ。一緒に飲んだときに聞いたんだ。ノリが良い若い奴でさ、嬉しそうに話してくれたぜ。あ、この若い騎士も面白い奴で―――」
噂話はまだまだ続きそうだ。
私はそっと息を吐いた。
(良かった。みんな、無事だったんだ⋯⋯)
あの朝、光の中に消えていった背中を思い出した。あの騎士たちが、やり遂げたんだ。犠牲者を一人も出すことなく。
中村さんが私に声をかけてくる。
「騎士団って、凄いんですね」
「そうだね」
黒田さんは黙って聞いていた。何かを考えているようだった。
◆◇◆
しばらく街を歩いていると、黒田さんが、ふと立ち止まった。
路地の奥に、古い建物があった。庭で子供たちが走り回っている。元気な声が聞こえてきた。
「あそこ、行ってみていいか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
黒田さんが歩き出す。私と中村さんも続いた。
近づいてみると、建物はかなり古かった。壁にひびが入っている場所もある。屋根の一部が色褪せている。でも庭だけは手入れされていて、子供たちが元気に駆け回っていた。
入り口のそばにいた女性が、こちらに気づいた。
「どうかされましたか?」
「いえ、その⋯⋯」
黒田さんが答えた。
「良い施設だなと思いまして」
女性が少し微笑んだ。
「ここは、戦争で身寄りをなくした子供たちを預かっている場所なんです」
「あなたが運営しているんですか?」
黒田さんが聞いた。
「ええ。夫を戦争で亡くしてからでして。残ったお金と、伯爵家からの支援で何とか」
「伯爵家?」
「ええ。あまり大きい声では言えないのですが、実はこっそり支援していただいていまして。ただ表立っての支援までは難しいようで、自分の蓄えも少しずつ使いながら、なんとか運営しています」
「そうなんですか」
「でも、子供たちの笑顔を見ていると、それだけで十分なんです」
「それは、素敵なことですね」
「ただ、建物は古くて、あちこち修繕が必要なんです。なかなか手が回らなくて」
黒田さんが建物を見上げた。それから、庭に視線を移した。しばらく何かを見つめていた。
女性が気づいて、声をかけた。
「あの子が気になりますか?」
「え? ああ、元気な子だなと思って」
「あの子、少し前まで、重い病気であまり外に出られなかった子なんです。でも、色んな方のご支援もあって――」
女性は、庭で走り回る男の子を見つめて、柔らかく微笑んだ。
「今では、あの通りです」
男の子が笑いながら走っている。
「そうですか」
黒田さんがまた黙って見ていた。
「あの、何か私たちにできることがあれば」
私は思わず口に出していた。
「そのお気持ちだけで十分です。ありがとうございます」
女性が丁寧に頭を下げた。
◆◇◆
建物を離れてから、黒田さんが立ち止まった。
「河瀬さん、中村、ちょっといいかな」
「どうしました?」
「二人に相談なんだが⋯⋯」
言いにくそうにしていたが、決心した様子で切り出した。
「あそこにさ⋯⋯少し、寄付できないか。その、金貨を何枚か渡すことはできないだろうか⋯⋯」
中村さんと私は、思わず顔を見合わせた。
「そんなことですか! もちろんですよ!」
「クロさん、流石です」
「ありがとう!その、例えば、これくらい出しても、大丈夫だろうか⋯⋯」
そう言うと、革の袋から渡そうとする金貨を取り出して、私たちに枚数を確認する。
私も、迷わず金貨をすくった。
「せっかくですし、多めで!」
「ええ、こんなにいいのか?」
「僕も大賛成です!」
「お前ら⋯⋯」
「じゃあ、黒田さん、あとはよろしくお願いしますね」
そう言って、私は黒田さんを促した。
黒田さんは、金貨を袋に詰めて、あの女性のところへ持っていった。
「あの、これ、良かったら⋯⋯」
「え、これは⋯⋯」
女性が目を丸くした。
「ほんの気持ちです。良かったら使ってください」
「あの、こんな大金、いただけません」
「いいんです」
黒田さんが、静かに言った。
女性はしばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「お恵みに、心から感謝いたします。あの、せめて、お名前だけでも⋯⋯」
「名乗るような者じゃないですよ」
黒田さんが静かに言った。そして少しだけ目を細めた。
子供たちの声だけが、いつまでも響いていた。




