表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/36

第30話:夜明けを待つ人

 フィリアの診療所は、夜も静かだった。


 息が、まだ上がっていた。ヴェリウスさんの屋敷を出たときは歩いていた。でも、気づけば早足になっていた。最後には、走っていた。


 夜の道は、暗かった。足元が見えない場所もあった。転びそうになった。そのたびに、二人の顔が浮かんだ。

 それでも、走らずにはいられなかった。


 胸が苦しい。足が重い。

 それでも、止まるという選択肢はなかった。


 森を抜け、いくつもの町を過ぎた。ただこの場所だけを目指して進んできた。


 空はまだ暗かった。薄い月だけが、道を照らしていた。


 診療所に着くと、担当の医師と短い話をした。

 二人の様子は相変わらずのようだった。


「我々にできることは、彼らの回復を祈ることだけです」


 そう言って、先生は部屋を出ていった。

 残されたのは、私と、眠る二人だけ。


 同じ病室にしてもらっていた。二つのベッドが並んでいる。


 ナギちゃんの銀髪が、枕の上に静かに広がっていた。黒田さんは包帯の巻かれた両手を胸の上に置いたまま、穏やかな顔をしている。


 ただ眠っているだけなのに、二人はどこか遠い場所にいるようだった。


(⋯⋯始めよう)


 私はヴェリウスさんから教わった方法を、頭の中で丁寧に辿り直した。


 まず、ナギちゃんの前に立つ。

 思い出す。


『中村の器には魔力が足りない。枯渇しかけている。外から補填してやる必要がある。お前の魔力を、そいつに捧げるんだ。その量も、負荷も、実際にやってみないと分からない』


 やり方は教わった通りだ。


『覚悟はあるか?』


 あの言葉が蘇る。


 言葉を振り払い、意識を自分の内側へ向けた。

 奥底にあるもの。自分の中にある魔力のイメージ。その感触を確かめる。地中深い泉から、水を汲み上げるように。


 そして、ナギちゃんへ向けて、両手を差し出した。


 青い光の玉が、彼の胸元へゆっくりと沈んでいく。砂漠に水が染み込むように、どこまでも深く、沈んで消えた。


 その瞬間、私の視界がぐらりと揺れた。


 私は診療所の壁に思わず手をついた。息が上がっている。何かが欠落した。


 きっと、上手くやれたはずだ。言われたことはできたはず。

 でも、ナギちゃんの様子に変化はない。


(これで本当にいいの⋯⋯?)


 もう、信じるしかない。


 深く息を吸った。


 今度は黒田さんの前に立つ。


 ヴェリウスさんの声が、頭の中で蘇った。


『黒田に溜まった負債を取り除く魔法だ。この魔法に関しては何が起こるかは分からない。私もやったことがない。おそらく精神をすり減らすもの、何らかの代償を伴うものだろう、としか言えない』


 言葉が反芻する。


『覚悟はあるか?』


(構わない。私には関係ない)


 私は黒田さんの両手をそっと見た。包帯の上から、触れるか触れないかの距離で、手を添えた。


 手に触れて念じる。

 これが、教わった唯一の方法だった。


(ごめんなさい、痛くないようにするから⋯⋯)


 私たちのためなら、犠牲を厭わない。

 そんな人の手。


『覚悟はあるか?』


(私を誰だと思ってる⋯⋯)


『覚悟はあるか?』


 誰に言うでもなく、声が出ていた。


「私は、あなたたちを、誰よりも『推してる』んだよ」


 教わった方法で念じる。


 世界が、傾いた。

 白に包まれた――


 目を見開く。


(ここは⋯⋯?)


 視界が黒いもやに包まれる。


 崖道を、誰かが駆け上がってくる。

 黒髪のショートカット。紺色のスクラブ。杖を握った女。


『ありがとう! 二人とも!』


(あれは……私?)


 黒田さんの目から見た、私だ。


『内部の熱は限界に来ているはず! ナギちゃん、黒田さん、行きましょう!』

『ああ!』


 これは、あの日の記憶。


 直後、凍結魔法。

 レーザーの一撃が、竜に向けられる。


 鱗が、砕け散った。


 それを見て、地を蹴る。跳躍する。

 竜の体に飛び乗る。

 頸部を狙って、拳を振り抜く。


 衝撃。


 右拳の骨が粉砕されたかのような激痛が、脳を焼く。


 けれど、止まる気はなかった。

 もう一度、振り抜く。何度も、何度も。

 叩き込むたびに、熱が拳をいていく。


 腹の底から、声が出ていた。


 痛みで悲鳴を上げているのか。

 それとも、己を鼓舞する叫びなのか。

 もはや、区別がつかなかった。


 竜の頸部に、最後の一撃を叩き込む。

 そして、のめり込む巨頭を強引に踏みつけるようにして、後方へ跳んだ。


『今だ、リーダー!』


 後方へ跳んだ瞬間、視界の端に杖を構える女の姿があった。


 小さく、呟いた。


『後は、頼んだ⋯⋯』


 その瞬間、光が竜の喉を突き刺した。それを見届けると、意識が遠ざかっていく。


 落下の感覚。

 意識が、飛ぶ――


 今度は、地面の上で仰向けになっていた。

 厚い雲に向かって、右手を伸ばす。

 全身が鈍く痛んだ。呼吸がうまく整わない。


 目の前に、自分の手があった。

 ボロボロの掌。


 指の関節が、ひどく腫れていた。血が滲んでいた。

 その手を、しばらく見つめていた。


『なんだか誇らしいんだ』


 その声を聞いた瞬間、白い光が視界を埋め尽くした。


 とても、静かだった。


 ゆっくりと、目が開いた。

 窓の外。街の空が、白み始めていた。


 二つの顔が、そこにあった。

 どちらも、笑っていた。


「姐さん、おはよう」

「……良かった、河瀬さん」


 返事をしようとした。

 話したいことが、沢山あったんだ。


 でも、うまくいかなかった。


 代わりに、何かが溢れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ