第28話:黄金の債務者
宿を出た日から、さらに何日も歩いた。
1人だから、野宿にならないよう計画的に。それでも急ぎながら進み続けた。
3人で歩いた道も、1人だと果てしなく長い。それでも、足は止まらなかった。
そしてとうとう――始まりの町。
向かう先は、ヴェリウスさんの屋敷だ。
空は西に傾き、石畳が橙色に染まり始めていた。夕暮れまで、まだ少しある。
石造りの重い門構え。変わっていない。
あの時と少しも。
門の前に立って、深呼吸をひとつ。
(金貨を返しに来た。でも、それだけじゃない⋯⋯)
私は杖を握り直し、門を叩いた。
◆◇◆
「……お前か」
重い扉を開けたヴェリウスさんは、私の顔を見た瞬間、わずかに目を細めた。不機嫌そうな顔はあの頃と変わらないが、驚いた色が一瞬だけ滲んだ気がした。
「お久しぶりです。上がらせてもらえますか」
「……入れ」
エントランスに足を踏み入れた瞬間、目に入った。私のレーザーで穴を空けてしまい、すぐに修復された、あの壁。
懐かしいような、気まずいような感覚が胸に残った。
案内された部屋は、魔導書が乱雑に積まれた棚と、埃っぽい空気。
この屋敷の空気は、あの頃と少しも変わらない。
「今日はお前1人だけか?」
「ええ、少し訳があって」
「今日は何の用だ?」
私はテーブルの前に立ち、空間魔法を展開した。異次元の収納空間から取り出したのは、金属製のケースだ。カチャリと蓋を開けると、薄い光の中でも分かる、黄金の輝きが溢れた。
「お借りしていた、金貨30枚です」
ヴェリウスさんの目が、金貨から私の顔へ移った。
「これはどうした?」
「漆黒の竜討伐の報酬、その一部です」
しばらく沈黙があった。
それから、ヴェリウスさんが低く言った。
「……漆黒の竜を。本当に、お前たちが⋯⋯?」
「ええ、やり遂げました。黒田さんと、中村さんと。そうでなければ、こんな大金用意できないと思いませんか?」
驚きなのか、呆れなのか。
目の前の男は短く息を吐いた。
そして尋ねた。
「もう一度聞こう。あの二人は今どこにいる。なぜ一人で来た?」
「ちょっと事情があって。今はフィリアという街の、診療所で眠っています」
ヴェリウスさんの顔が、一瞬、固くなった。私はそれを見逃さなかった。
「……今は眠っている、か。随分と含みのある言い方だな」
「それは後で話します。先に、このお金の話をしなくちゃいけないので。このお金を届けて欲しいからです」
「届けて欲しい? 今、金貨30枚全額を、私に返しに来たのではないのか?」
「いえ。この金貨は、あなたのお金じゃないんでしょう?」
ヴェリウスさんの表情が、微かに動いた。
「……何を言っている。私が出した金だ」
「あなたが最初に私たちに渡したのは、銅貨でした」
私は構わず続けた。
「あの日のことを覚えていますか。私たちが這いつくばって懇願していた時のこと。あなたは決して聞き入れることはなかった。でも、あの青年が来てから、あなたの態度が一変した。追加の銅貨数枚のお願いすら首を縦に振らなかった人が、突然、金貨30枚という大金を託した。しかも、その返済条件は『自分たちで稼げるようになったら受け取る』とだけ告げて」
ヴェリウスさんは何も言わなかった。
「この町では、使い勝手の悪い金貨に、過剰な枚数。そして、あの青年の現れたタイミング。あまりにも不自然です。私たちの答えは、ひとつでした。この金貨は、あの時にいた男性のものだと」
私は金貨を見下ろし、続ける。
「あなたが善意でそんなことをするはずがない。もしそうだったら、初めから私たちのお願いを聞き入れていたはず」
長い沈黙。
ヴェリウスさんは椅子に深く沈み、天井を仰いだ。それからフンと鼻を鳴らし、腕を組んだ。
「……口だけは回るようになったようだな。それで? その金をどうしろと?」
「あの時にいた男性に渡してください。そして、『ありがとうございます』という言葉も伝えてもらえますか」
「⋯⋯この私が? あの男との、仲介役だとでも言いたいのか? 」
「そうです。お願いします」
ヴェリウスさんはしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……まあいい。それで、今日はそのためだけに来たのか?」
「いいえ」
そして、ヴェリウスさんの目をまっすぐに見た。
「あなたに依頼があります」
「依頼?」
「ええ。絶対に引き受けてもらいます。そして、断れない理由もあります」
ヴェリウスさんの眉が、わずかに上がった。
「……ほう。随分と強気で来たな」
「強気でいなければ、この世界ではやっていけないことを学びました。あなたから」
私はそう言って、ケースから追加の金貨を取り出し、テーブルに置いた。
「詳しい話、聞いてくれますか?」
もう、この場に救世主は現れない。
だから――
私がやる。何としても。
テーブルの上の金貨が、ランプの灯りを受けて静かに光っていた。




