第27話:惑う人
夕暮れ時の空は、燃えるように赤かった。
山々の稜線が茜色に染まり、舗装された道に長い影を落としている。
深い赤色の煉瓦と白い漆喰。そのコントラストの町並みは、沈みかけた日を受けて静かに輝いていた。
全部、覚えていた。
ここに来たのは、二度目だ。
(懐かしいな⋯⋯)
あれから何日、歩いただろう。1人だから極力野宿は避けたかった。町から町へ、日が暮れる前に次の宿を探しながら、ここまでひたすら歩き続けてきた。
足の裏の感覚が、その距離を教えてくれる。気がつけば、見覚えのある煉瓦の町並みが視界に入ってきた。
私はゆっくりと歩きながら、町の空気を吸い込んだ。あのときは3人だった。
この町で、私たちはキメラを討伐した。ギルドでは、予言者おじいさんに「死ぬぞ」と言われて、カチンときて、ムキになって実力を見せつけたんだ。
それに――。
(ここで中村さんが、ナギちゃんになったんだよね⋯⋯)
ウィッグをつけた瞬間の、あの変貌。銀髪が揺れて、別人のように美しくなった中村さんの顔を、私はまだはっきりと覚えている。
胸の奥が、じわりとした。
懐かしさと、少しの寂しさが、同じ温度で混ざり合っている。
前回と同じく、コテージ風の宿を選んだ。
受付の人は覚えていなかっただろうけど、私はちゃんと覚えていた。木のぬくもりが感じられる内装。遠くに山々を望む。
あの時は、中村さんが元の姿に戻れなくなって大騒ぎしたんだっけ。同時に、私は新たな「推し」を見つけた日でもあった。
今夜は、その部屋に1人だ。
荷物を置いて、窓を開ける。
夕暮れから夜へと移ろいゆく空の下、連なる山脈が黒いシルエットになって浮かんでいた。風が頬をなでる。少し冷たい。この町の夜は、早く冷える。
(あっという間だったな⋯⋯)
2人と出会ってからの日々。そして、あんな強大な竜まで倒せたんだ。
そんなことをぼんやりと考えていると、ふと、町の外れに人影があることに気づいた。
宿の窓から少し身を乗り出して、目を凝らす。
夕陽が山の端に沈もうとしていた。その最後の光の中に、一人の老人が立っていた。
動かない。風が吹いても、人々が通り過ぎても。
ただそこに在るのが自然かのように、立っていた。
老人の視線の先には、山々以外は何もない。
何かを見つめていたが、私には見えない。
夕陽が沈む。
老人の輪郭が、夕闇へと溶けていく。それでも、動かなかった。
(⋯⋯あのおじいさん、だよね⋯⋯?)
もちろん、こちらには気づいていない。ギルドで見たあの鋭い目とは、まるで別人のようだった。
その横顔が、なぜか頭に残った。
翌朝。
青空の下、出発に向けて買い物をすることにした。深い赤色の煉瓦が朝日を受けて、昨夜とは打って変わった明るい表情を見せていた。
(ナギちゃんがウィッグ買ったのも、たしかこの町だったはず)
立ち止まって、小さな雑貨屋の軒先を覗き込む。色とりどりのウィッグが、風に揺れていた。
銀色、茶色、金色。
なんとなく手に取って、鏡の前に立ってみる。
(私も、つけてみる?)
一瞬だけ想像して、首を振った。
(いやいや、私には似合わないよ。ビジュが良い人のものだよ、ああいうのは。コスプレって柄でもないしね)
そんなことを思いながらウィッグを棚に戻そうとしたとき、背後から声をかけられた。
「あんたは、たしか⋯⋯キメラ討伐の?」
振り返ると、壮年の男性が目を丸くしてこちらを見ていた。人の良さそうな顔つきで、町の人らしい素朴な格好をしている。
「えーと、すみません、どなたでしたっけ⋯⋯」
「ああ、すまんすまん! あんたらがキメラ討伐したって報告、ギルドでたまたま見てたんだよ。知らなくて当然だから気にしないでくれ!」
「そうでしたか、あの場にいらっしゃったんですね」
「ああ。印象に残っててさ。今は1人かい? たしかお仲間がいたと思うが」
「ええ、少し訳あって、今は1人です」
「そうかい」
男性は少し表情をやわらげて、続けた。
「あんたらがキメラ討伐してくれて、町のみんなも喜んでたよ」
「そうなんですか?」
「ああ。あいつはな⋯⋯町長の娘さんの、仇みたいなもんだったんだ」
「町長の⋯⋯娘さん?」
思わず聞き返すと、男性は少し間を置いた。
「以前、腕の立つ冒険者のパーティーが、キメラに挑んだことがあるんだ。結局誰も、帰って来なかった。その中に、娘さんも⋯⋯いたらしくてな」
「⋯⋯そうでしたか」
それ以上、言葉が出なかった。
「あんたに絡んでたおじいさん、あの人が町長なんだよ。失礼なことを言ってたよな、代わりに謝るよ」
「いえいえ、お気になさらないでください」
「勝手な推測なんだが⋯⋯どことなくあんたに雰囲気が似てたんだ、娘さんと。きっと重なって見えちまったのかもな⋯⋯」
「⋯⋯そうですか」
「まあ、根は悪い人じゃないんだよ。この町や人々のことを思ってる人だ。あんたはすぐ旅立っちまうかもしれないけど、ゆっくりしていってくれ」
「はい。ありがとうございます」
男性と別れてから、私はしばらく一本道を歩いた。
自分の足音だけが響く。
あの時はただカチンときて、ムキになっていた。自分だけじゃない。推しのナギちゃんにも呪いの言葉を向けられたと思って。
でも――
あのおじいさんにも、きっと大切な誰かがいたんだね。
それを、私は知らなかっただけだ。
その夜。
窓を開けると、山の稜線の上に、星が出ていた。
街の灯りが少ない分、空が広い。吸い込まれそうなほど深い黒の中に、無数の光が散らばっている。
どれも遠く、どれも等しい。それぞれが、それぞれの軌跡を描きながら、夜空をさまよっている。
夕陽の中の、あの人。
誰を思い、何を見つめていたのだろうか。
私はしばらく、星空を眺めていた。




