第23話:個人情報を気にする奴と、限界を超えていた男
渓谷を抜けた先で見つけた小さな集落は、私たちが期待していたものとは、あまりにも違っていた。
「嘘でしょ⋯⋯」
村で唯一の診療所だと言われた掘っ建て小屋の前で、呆然と立ち尽くした。
診療所とは名ばかりで、中にあるのは埃をかぶった木のベッドが一つだけ。怪我人を診るためのまともな器具はなかった。
元看護師としての経験が、ここでは十分な治療は受けられないと告げていた。
「宿も当たってみたが、旅人を泊められるような場所はないそうだ。悪い、河瀬さん」
黒田さんが、包帯を巻いた拳を庇いながら戻ってきた。その表情には隠しきれない疲労が滲んでいる。
「……仕方ないですよ、気にしないでください」
私はリュックから地図を取り出して、2人に見せた。
黒田さんが地図を覗き込みながら言う。
「ノエルが言っていた『フィリア』。地図を見る限り、この街道を真っ直ぐ行けばそう遠くないはずだ。俺たちもここを目指さないか?」
黒田さんの提案に、私は少し心配になって顔を覗き込んだ。
「そうだね。でも、二人とも具合は本当に大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ!」
「僕も平気です!」
ナギちゃんも、いつもの調子で笑ってみせた。
私たちは村を後にし、再び歩き始めた。
「……それにしても」
左右に広がる草原を歩きながら、私はふと思い返していた。
「あのノエルって子、結局なんだったんだろう。『マリア様』なんて、最初はびっくりしたけど」
「あの子からしたら、竜から危機を救った恩人ですからね!」
「でも、私たちのステータスだって、名前とか表示されてないし、初対面なのに名前を当てて呼ばれた時はびっくりした」
私は歩きながら、意識を集中して自分のステータスを念じてみた。
空中に半透明のウィンドウが浮かび上がる。
【名前:カワセ (26歳・冒険者・元看護師)】
【レベル:580】
【特殊スキル:レーザー】
「ほらね、こんな感じで名字の『カワセ』しか出ないし。この世界、意外と個人情報に配慮してるのかも」
(うーん、ただ年齢は出すんだよね、26歳とか⋯⋯やっぱり配慮してないかも⋯⋯)
私は軽く肩をすくめ、次の数字に目が行く。
そして思わず、二度見した。
「え⋯⋯?」
【レベル:580】
あまりの数字の跳ね上がりに、私は自分の叫び声が裏返るのを感じた。
「レベル⋯⋯580!?」
「どうした、河瀬さん」
「二人とも! 今のレベルってどうなってる!?」
私の剣幕に驚き、二人はそれぞれ自分のステータスを展開した。
「えーと……僕は530です!」
「俺も530だ、すごい上げ幅だ!」
私は愕然として、二人の数字と自分の数字を見比べた。
「そうか……あの漆黒の竜を倒したからだわ。でも二人との、この『50』の差はなんだろう」
「なんですかね……。あ、もしかして、ワイルドウルフの大群とか、あのキメラ討伐の時じゃないですか? あの時は姐さんだけで倒しちゃいましたし」
それを聞いて「そうか」と黒田さんが頷く。
「その場にただ居合わせただけでは経験値が入らないのかもな。直接関与した者に、多く配分されるシステムなのかもしれない」
なるほど、その説は一理ある。
竜はみんなで戦ったけれど、道中のモンスター討伐とその蓄積が、この差になったのだ。
それにしても、580。
私たちは、どれほど格上の存在に挑んでいたのか。獲得した経験値の大きさから、そのことを今になってようやく実感した。きっと、かなり無茶をしていたのだ。
「あの竜を倒して、私たちだいぶ強くなりましたね」
「そうですね!」
「今回はみんなでやり遂げたって感じだったしな。その恩恵がこのレベルアップなら、やった甲斐もあるな」
レベルアップという目に見える成果を確認できたことで、私たちの足取りは少しだけ軽くなった。
やがて、道は深い森の中へと続いていく。
すると、森の先の方から鋭い叫び声が響いた。
「――助けて!」
目を凝らすと、木々の隙間から巨大な黒い影がそびえ立っているのが見えた。
その足元には、一人の女性が倒れている。
「あれは⋯⋯熊か!? 女性が襲われてる!」
「急ごう!」
女性は冒険者風の格好をしていたが、足に深い傷を負い、地面を這って後ずさりながら私たちに気づく。
そばには、黒い体毛の大きな熊。
「お願い! 助けて!」
考えるより先に、私は杖をかざしていた。
熱破壊式のレーザー。それが私の力。
一筋の閃光が森の静寂を焼き切り、巨大な熊の胴体を正確に捉えた。巨体の内部まで、一瞬で焼き切った。
黒い体毛の巨体は、咆哮を上げることすら許されず、そのままズシンと崩れ落ちた。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、彼女は右足から激しく出血していた。熊の爪で傷ついてしまったようだ。
「あ……ああ、ありがとうございます……でも、足が……」
私は迷わず、彼女の傷口に手をかざした。
「動かないで」
杖の先端、その宝石から放たれるのは、攻撃の時とは違う、穏やかなエメラルド・グリーンの光。
癒やしの光が彼女を包む。
「痛みが⋯⋯」
女性の顔から苦痛の色が消えていき、損傷が修復されていく。
「これで大丈夫。でも、無理はしないでね。あくまで応急処置だから」
「助かりました……! 本当に、なんとお礼を言えばいいか……それにあなた方は⋯⋯?」
「お礼なんて大丈夫ですよ。それに私たちは通りすがりの者ですので。それでは」
私たちは感謝の言葉を背に、素早くその場を立ち去った。今は黒田さんとナギちゃんを休ませる場所に急がないと。それに、ナギちゃんも今日は疲れているのか、いつもの捨て台詞は言わなかった。
さらに森を歩き続けていくと、森を抜けた私たちの視界に、圧倒的な光景が飛び込んできた。
陽光を浴びて輝く、白く巨大な城壁。
街全体が質実剛健な石造りで統一されながらも、至る所に色鮮やかな花々が咲き乱れている。
まるで平和と友愛を象徴するような、華やかで活気に満ちた光景。
「街だ……」
思わず声が出ていた。
そして、私たちは吸い寄せられるように、その正門をくぐった。
ようやく、辿り着いたんだ。
しかし、喜びも束の間だった。
「クロさん、大丈夫?」
ナギちゃんが黒田さんに声をかけた。
振り向いた瞬間、黒田さんの呼吸が明らかに乱れていることに気づいた。顔色が白い。
反射的に手を差し出そうとした、次の瞬間――
黒田さんは、その場に膝をつき、直後に倒れた。
私たちは通行人に慌てて尋ね、街で一番大きな診療所へと駆け込んだ。
◆◇◆
「……骨は折れている。そして筋肉も酷く痛んでいる。よくこれで、ここまで歩いてこれたな⋯⋯」
清潔な診療所。
ベテランの先生が、苦い顔で黒田さんの拳を診察していた。
厚い鱗を持つ強大な竜を、自らの拳で何度も叩きつける。その代償は、想像以上に大きかった。
漆黒の竜との激闘。その戦いの後。
彼は己のアドレナリンだけで、両拳の激痛と、全身のダメージを抑え込んでいたのだ。
きっと、私たちを守るために。
「ここでは魔法による治癒も併用するが、それでも完治には時間がかかる。しばらくはここで絶対安静だ。いいな?」
医師の言葉に、黒田さんは悔しそうに顔を伏せた。
「……すまない。河瀬さん、中村。俺としたことが、最後の最後で足手まといに……」
「何を言ってるの。あなたが命懸けで体を張ってくれたから、私たちは今ここにいるんだよ」
「姐さんの言う通りですよ! ゆっくり休みましょうよ!」
私は彼のベッドの横に座り、包帯を取り替える医師の手伝いを買って出た。
その無駄のない手つきに、医師が少し驚いたような顔をしたが、今はそれどころではない。
黒田さんは、そのまま診療所で休むことになった。
ナギちゃんと私にも、疲労が押し寄せてきたのか、すぐに宿屋を探して休むことにした。
「ナギちゃん、私たちはしばらくこの街にいよう。黒田さんが、回復するまで⋯⋯」
「……そうですね」
花の都フィリア。
美しく、そして平和の街に辿り着いた私たちは、傷だらけの状態からのスタートになった。
しかし、この時の私たちはまだ知らなかった。
勝利の代償の、本当の重さを。




