第22話:たぶん距離感を間違えている少女
「……あなたは、私の『マリア様』です……」
光の中でそう言った少女――ノエルの言葉が、まだ耳に残っていた。
いや、待って。
「え、あの……今の『マリア様』っていうのは……そのどういう意味で……」
私は恐る恐る、隣を歩く少女を見る。
すると、きょとんとした顔をした後、にっこりと微笑んだ。
「はい。『河瀬真理亜』様のことですよ?」
「いや、あの、どういうこと⋯⋯?」
フルネームで認知されてる。説明になっていない。いや、なっているのか。
私には、もはや何がどうなっているのか分からない。
そして次の瞬間。
ぎゅっ。
「……え?」
ノエルが、私の腕に抱きついてきた。
修道服越しに伝わる体温。
「え、ちょ、え?」
「どうかされましたか?」
さっきより距離が近い。明らかに近い。
そして、無垢な顔で見上げてくる。
その顔は、反則では?
「え、どうしたの……?」
「なんでもないですよ?」
絶対、なんでもある。
「おーい、大丈夫か?」
前を歩いていた黒田さんが振り返る。
ナギちゃんも振り返り、柔らかく微笑む。
「すっかり仲良しさんですね」
黒田さんも頷く。
「まるで本当の姉妹みたいだな」
「いやー、彼女と私は、容姿が違いすぎますよ」
客観的事実として、思わず否定。
「ふふ」
ノエルが小さく笑った。
(今の笑みは、いったい⋯⋯? )
私は、前を歩く二人の背中を見つめる。
ナギちゃん、黒田さん――ついさっきまで命を懸けて竜と戦っていたはずなのに、今は穏やかに言葉を交わしている。
横顔が柔らかな光に包まれている、気がする。
ああ……尊いなあ。
『推し増し』したら、『箱推し』になりました。
私は三人目のメンバーではなく、三人目のファン。それでも彼らは、こんな私を、リーダーだと言ってくれた。
こんな嬉しいことはない、
これはファンサなのか――いや、レスなのか。
課金はできない。財布はチーム共通のものだから。でも、私にできることなら何でもしたい。少しでも彼らに貢献したい。
そんなことを思った、その時だった。
……あれ?
二人の背中が、遠ざかっていく。
ゆっくりと。静かに離れていく。
(これが、推しとの適切な距離ってこと……?)
これは、いつか見た「悪い夢」の続き?
遠ざかっていく、推しの背中。
思わず、彼らに向かって手を伸ばす。
しかし、無情にも遠ざかっていくばかり。
「あれ……?」
腕と身体は、ノエルによってしっかり拘束されていた。その結果、私たちの歩く速度は明らかに遅い。
前の二人が私たちの方を振り返る。
「おーい、大丈夫か?」
黒田さんが声をかける。
「うん! 大丈夫! 気にせず進んで!」
反射的に答える。
私は、腕を抱きしめるノエルの様子を確認する。
「あの、体調とかは大丈夫? ゆっくり歩こうか?」
ノエルは首を横に振った。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。私はただ、マリア様と少しでも長くご一緒していたいだけですので。どうぞご安心ください」
(はて、安心とは⋯⋯?)
「あ、マリア様、私のことは、ノエルって呼んでください。⋯⋯ノエルって、呼んでください」
(復唱した⋯⋯これは、呼べと言っている気がする……!)
距離感が近い、近すぎる。
あなた、今日が初対面だよね⋯⋯!?
「は、はは……ノエルね。よろしくね」
「はい、マリア様」
……よく見ると可愛い。
透き通った金髪。整った顔立ちに、きめ細やかな肌。
いや、ダメダメ。そういうのはなし。
私は怖い思いをした少女を、送り届けるだけ。
なんだかペースを乱されている。話題を変えよう。
「そういえばさ、ノエルは、どこから来たの?」
「『フィリア』という場所からです」
そういえば、この世界の土地とか、町の名前とか全然覚えてないや。
「へえ。その場所は近いの?」
「ここからは、まだまだ距離があります。この渓谷には近くの村まで、その、知り合いに送ってもらいました。今も、私を待っているはずです」
「そうなんだ。じゃあ、その村まで一緒だね」
「はい!」
ぎゅっ。
さっきよりも強く、腕に抱きついてくる。
(すごいな……距離感の詰め方⋯⋯)
「私、なんだかマリア様といると、心が安らぎます」
「はは……そうなんだー、へえー」
ああ、今度は精神的距離を詰めてきた。
この子、将来、人たらしになる⋯⋯。
恐ろしい子!
でも、悪い気はしない。むしろ、ちょっと嬉しいかも。
(まさか、この子にとっての推しが、私……的な?)
いやいやいや。それは違う。たぶん違う。
……違うよね?
「どうかしました?」
「ううん、なんでもないよ!」
(なんでもあるけど!)
そうして、そのまま私たちは歩き続けた。
やがて、遠くに小さな村が見えてきた。
煙突から煙が上がっている。人の気配。
村の入口には、身なりの良い、一人の初老の男性が立っていた。
こちらに気づき、目を見開く。
「ノエル様!」
男は駆け寄ってきた。
ノエルは少しだけ名残惜しそうに、私の腕を離した。
「ご心配をおかけしました」
「本当に……よくぞご無事で……」
それから、私たちを見る。
「あなた方は……?」
男性が問いかけた。
「たまたま通りかかっただけです」
私はそう言うと、男性は私たちに深々と頭を下げた。
ノエルは、男性が用意していた馬車で帰るとのことだった。
馬車に乗り込む直前、彼女は柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございました。マリア様、皆さまも」
「気をつけてね」
少しの間を空けて、彼女は言い放った。
「マリア様、またどこかで」
去っていく馬車の後ろ窓から、彼女が私たちを見つめる
その姿が見えなくなるまで、私はただ立ち尽くしていた。




