第18話:漆黒の捕食者
街道の脇、ナギちゃんの見事な手際で縛り上げられた盗賊たちが、転がっている。
「……よし、これでよし。あとは通りがかりの誰かが拾ってくれるでしょ⋯⋯」
ナギちゃんが、満足げに手をパンパンと叩いた。
「あっ、そうだ」
そういうと、街で買ったのか、取り出した紙とペンで何かを書き、リーダー格の赤服の男の背中に縄で挟み込んだ。
私は読み上げる。
「えーと、『私たちは盗賊団です。どんな裁きも受けます』」
「こいつら悪い人たちなので、通りすがりの人たちが、また騙されないようにと思って」
抜かりないな、天使。
「さあ、姐さん、クロさん。行きましょう。漆黒の竜のいる渓谷は、この森の奥。もう近いですよ」
私たちは気を取り直し、再び歩みを進めた。
◆◇◆
森は、進むほどにその密度を増していった。
頭上を覆う巨木の枝葉が日光を遮り、昼間だというのに、世界は薄暗い藍色に沈んでいる。
空間魔法のおかげで手荷物がない分、足取りは軽いはずなのに、心臓の奥がじりじりと重い。さっきまでのナギちゃんとの和やかなやり取りが嘘のように、森の空気が刺さるようで痛かった。
そして――
不意に視界が開けたそこは、あまりに深い渓谷だった。
世界から色彩が剥ぎ取られたような、灰色の岩肌。風が吹き抜けるたびに岩の隙間がヒュウヒュウと低く鳴いているようだ。鳥の声も、虫の羽音もしない。
ただ、澱みのような重苦しい死の気配だけが、渓谷の底に溜まっていた。
「……静かすぎるな。竜はいるのか、本当に」
黒田さんが低く呟き、護身用の短剣に手をかける。私たちは慎重に、足元の悪い崖道を下っていく。
最深部に差し掛かろうとした時。
私は自分の目を疑った。
「……え?」
そこに、いたのだ。
岩陰にうずくまる、一人の少女。
黒と白を基調とした、凛としたシスター服。
こんな場所でさえ、穢れ一つなく清らかで、この世のものとは思えない異様さを放っていた。
彼女は一心に祈りを捧げている――ように見えたが、違った。
震える指先で地面を這わせ、必死に何かを探している。タイムリミットが押し迫るかのように、急かされ、焦っている。
震える指先は、何かを求めている。
(あの子……何かを探してる? こんな場所で? どうして?)
その必死な様子は、自身の首に、ナイフでも突きつけられているかのようだった。
場違いな姿が、あまりにも危うくて、目が離せない。
声をかけようとした、その瞬間だった。
ゴオォォォォォォォン――
空気が、鳴った。
振動ではない。世界そのものが恐怖で震え、魂を直接掴み潰されるような圧倒的な重圧。
見上げた崖の頂から、それは降りてきた。
漆黒。
光をすべて飲み込み、反射すら許さない、絶望の黒。
本能で理解する。「捕食者」の存在を。
食物連鎖の頂点と、その下位である存在。
もはや、何もかも手遅れだった。
きっと、私たちは、ここに来るべきではなかった。
竜の瞳が、じろりと下を向いた。
シスターの存在に、飢えた好奇心が向けられる。
死ぬ。彼女は、殺される。
もはや疑う余地もなく。
いつ死ぬか。どう殺されるか。
そんなものは、ただの誤差に過ぎない。
「……どうする?」
黒田さんの掠れた声。引き返すなら今しかない。
けれど、私の足は一歩も後ろへは動かなかった。
「彼女を救いたい」
気づけば、口が動いていた。
「見殺しになんか、できない。ごめん。私一人でも、行く」
「何を言ってるんだよ」
分かってる。
これは、軽率な判断。自殺行為だ――
「一人で行かせるわけないだろ、河瀬さん」
黒田さんが、短剣を構え直して笑った。
「姐さん。僕ら、一緒でしょ?」
ナギちゃんが杖を握りしめ、静かに、けれど激しい魔力を練り上げる。
「黒田さん、中村さん。ありがとう⋯⋯。でもこれは、本当にみんな死ぬかも――」
「分かってる。だから、河瀬さん」
黒田さんが、私の目を見据えた。
「この三人の中で、一番冷静で、誰よりも強力な一撃を持ってるのは、君だろ? 俺たちは、『リーダー』についていくよ」
「え……?」
「お願いします。姐さん、僕たちを導いてください」
彼らの言葉で、私の脳裏に電流が走った。
(私がリーダー? そんな器があるの……?)
けれど、この震える指先を、かつて看護師として何度も握りしめた「命の重み」が支えた。
(私が看護師を目指したのは、なんでだっけ?……誰かを、見殺しにするため⋯⋯? 違う。誰かを救うためだ⋯⋯!)
シスターが、何のためにあの場所にいたのか。それは分からない。
でも、一つ言えることは、彼女のこれからを、アイツに断ち切らせるわけにはいかないってことだ。
「……本当の、本当に、まずくなったら、自分のことを優先してね。絶対だよ!」
「ああ、分かってる!」
「了解です! リーダー!」
みんなを危険に晒しているのは、分かってる。
だけど、やれるところまでやりたい。
「……行こう」
命がけの任務が、今、始まった。




