死んでる王女が王の頭を叩いた日
ガラテアとしずかの後をついて歩きながら、俺は内心ずっと落ち着かなかった。
慣れたと思っていた王城も、こうして“しずかと一緒”となると、空気の重さが別物だ。
廊下の赤い絨毯、磨き上げられた床、壁に掛かった絵画。
どれも「俺は場違いです」と言わんばかりに主張してくる。
……いや、俺はいい。
しずかが不安じゃなければ、それでいい。
謁見の間の前で立ち止まると、ガラテアがくるりと振り返った。
「それではお姉さま。わたくしは先に参りますわ」
そう言って、彼女は少しだけ声を落とし、しずかへ丁寧に説明する。
「合図がありましたら、たけるさんと共に入ってきて下さいませ。
本日は数名の高位貴族、そして以前お母様と共に来ていた老齢の方もおりますが……皆、事情は理解しております」
ガラテアは視線をまっすぐ向けたまま、落ち着いた声で続けた。
「口外や妨害をするような者はおりません。
お母様が選定した者たちですので……ご安心くださいませ」
その言葉には、王族としての重みと、妹としての優しさが混ざっていた。
しずかは小さく頷く。
「……わかった。ありがとう」
感情の薄い声なのに、そこには確かに安堵があった。
ガラテアは満足そうに微笑むと、軽く会釈して扉の向こうへ入っていった。
静寂が残る。
俺はしずかを見て、小さく言った。
「……よかったな」
「……うん」
短い会話。
でも、こういうのが俺には一番落ち着く。
……さて。
ここで俺はふと、重大なことに気づいた。
「……しずか。どうやって入ればいいんだ?」
作法がわからない。
一人で入る時は、適当に頭を下げて歩いて終わりだった。
でも今日は違う。しずかと一緒だ。
腕を組む?
手を繋ぐ?
横に並ぶ?
後ろに立つ?
どれが正解か分からず困惑していると。
するり、と。
しずかの腕が、自然に俺の腕に絡んできた。
「……背筋を伸ばして。顎を引いて」
小さな声で、淡々と命令される。
「腕は張りすぎないで。
力を抜いて、私の腕を感じて」
「……わかった」
言われた通りに姿勢を整えると、不思議と“それっぽく”なった。
……しずか、こういうのは王女だった頃に叩き込まれてたんだろうな。
「これでいい?」
「……うん。いい」
その瞬間、扉の向こうから侍女の声が響いた。
「――王女殿下、並びにたける殿、入場を」
扉がゆっくりと開く。
冷たい空気が流れ込み、謁見の間の重圧が一気にこちらへ押し寄せた。
俺はしずかの腕の感触を頼りに、前へ進む。
視線は前。
周囲にいる貴族たちの顔は見ない。
教えられた通りだ。
玉座の前まで歩くと、しずかが腕を離した。
俺たちは並び、揃えて膝を折り、頭を下げる。
「たける、参上いたしました」
「……しずか、参上いたしました」
俺の声は思ったより落ち着いていた。
王が低く、威厳ある声で告げる。
「――うむ。よく参った」
玉座に座る王カエサルは、相変わらず“王様”という言葉をそのまま服にしたような人物だ。
そして隣には、柔らかな笑みを湛えた王妃ユリアナ。
空気が張り詰める。
王が口を開いた。
「今回呼び出したのは、札の件と、しずか殿の状態を確認するためである」
王は周囲に視線を流す。
「ここにおる者たちには、すでに事情を伝えてある」
ざわ、と小さな気配が揺れる。
「ではまず、しずか殿。
今どのような状態か、確認させてはくれぬか?」
形式的なやり取りだ。
ガラテアから聞いていた通り。
俺は一つ息を吐き、頷いた。
「……承知しました」
しずかに目を向ける。
しずかも小さく頷く。
俺は彼女の手を取り、指輪を外した。
その瞬間――。
「……っ!」
周囲から、息を飲む音が聞こえた。
「消えた……!?」
「姿が……見えぬ……!」
貴族たちがざわつく。
だが俺には、しずかの姿が普通に見えている。
しずかは無表情のまま、俺を見上げていた。
俺は指輪を戻そうとした。
……その時だった。
しずかが、すたすたと歩き出した。
向かう先は――玉座。
「……え?」
俺の心臓が嫌な音を立てる。
やめろ。
余計なことをするな。
頼むから大人しくしててくれ。
だがしずかは止まらない。
そして王の前に立つと――
ぱしん。
軽い音がした。
しずかが王の頭を叩いたのだ。
「――はぁ!?」
俺は思わず声が出そうになった。
しかし、王は何も反応しない。
当然だ。
しずかの手は王の頭をすり抜けた。
周囲も気づいていない。
ただ俺だけが、その光景を見ている。
しずかは満足したように小さく頷き、何事もなかったように俺の前へ戻ってきた。
そして、手を差し出す。
「……付けて」
「……うん」
わけがわからないまま指輪をはめると、再びしずかの姿が現れた。
その瞬間、また周囲がざわつく。
「おお……!」
「これは……これは本当に……!」
「どのような理屈で……!」
あまりの反応に場が少し騒がしくなる。
俺はその隙を狙い、しずかへ小声で問いかけた。
「……しずか。何をしてるんだ?」
しずかはいつもの無表情のまま、少しだけ顔を近づけた。
「……ちょっとした、たけるへのサプライズ」
「……サプライズの方向性が間違ってるだろ」
頭が痛い。
だが、しずかの瞳はどこか楽しそうだった。
俺はため息を飲み込み、王へ向き直る。
王カエサルは興味深そうに頷いた。
「ふむ……確かに、これは興味深い。
しずか殿、貴殿は“死してなお存在する”のだな」
ユリアナが静かに微笑む。
「ええ。見えなくても、そこにいる。
……その事実が、何よりの証明ですわね」
しずかは静かに答えた。
「……私は、ここにいる」
その言葉が、妙に重く響いた。
死んでいるのに。
確かに存在している。
この世界の理屈は、まだ俺には分からない。
けれど――。
しずかが王の頭を叩いたのは、たぶんただの悪戯じゃない。
あれはきっと。
“私は生きてる”と言いたかったんだろう。
そんな気がした。




