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しずかがいない夜、俺は猫を猫だと認めた

あっさりと、しずかを送り出してしまった。


 ガラテアの馬車が角を曲がって見えなくなった瞬間、急に胸の奥がスースーしてくる。


 ……いや、心配しすぎか。


 ガラテアは王女だし、王も王妃もまともだ。

 しずかが“元王女”という立場も知っている。死んでいるとはいえ、変に扱われることはまずないだろう。


 俺はそう直感して、深く考えるのをやめた。


「まあ……なんとかなるか」


 いつものように玄関を閉め、家の中へ戻る。

 いつもなら椅子に座っているはずのしずかがいない。それだけで部屋が少し広く感じた。


 不思議なもので、あの無口な存在感がないだけで、空気が軽い。


 軽いのに、落ち着かない。


 俺はふと足元を見る。


 そこには、いつものようにエンデがいて、こちらを見上げていた。


「……なんだよ」


 猫っぽい顔のくせに、妙に悟ったような目で見てくる。


 俺はしゃがみ込み、エンデの顎を軽く撫でた。


「しずかいないの、ちょっと寂しいよな」


 エンデは目を細めて、ふにゃっと喉を鳴らした。

 ……鳴らした気がする。


 そういうことにしておく。


 そして俺は、気持ちを切り替えるように立ち上がった。


「よし。今のうちに料理の研究だ」


 しずかがいない夜。

 少しだけ自由な時間がある。


 それなら、やることは一つだ。


 ゆなが帰ってきた時に――とびきりうまい飯を食わせる。


 俺はキッチンに立ち、買ってきた食材を並べた。


 この世界の料理は、正直悪くない。

 でも、味が単調というか、決定打がないというか……。


 ライアンの屋敷で食べた食事も、雰囲気補正がなければ「まあ、うまいな」で終わる。


 俺はそれが悔しかった。


 そして俺には、ひとつの切り札がある。


 市場で見つけた、誰も買わない謎の実。


 潰すと黒い液体が出るやつだ。


 店主は言っていた。


『誰も買わないよ。苦いし、変な匂いするしなぁ』


 だが俺は、初めてその匂いを嗅いだ時、確信した。


 ――これ、醤油じゃね?


 完全に同じじゃない。

 でも、方向性が似ている。


 しかも安い。誰も買わないから。


 俺はそれを大量に買い込んでいた。


「これがあれば……焼き肉のタレ、作れる」


 口に出すと、なんか夢がある。


 俺は実を潰して液体を絞り、鍋に入れる。

 そこへ甘味のある果汁、少しの香辛料、干した草の粉末――いわゆる“だしっぽい”やつ。


 少し煮詰めて、味を見る。


「……おお」


 舌に乗った瞬間、背筋がゾワっとした。


 いける。これはいける。


 俺は思わず笑ってしまった。


「やば。これ、普通にステーキソースとして完成してる」


 付け合わせの野菜も切り分け、焼いた時の香りを想像する。


 いい肉が余っている。


 このソースで焼けば、絶対に勝てる。


 王族の食卓に。


 俺は勝利を確信した。


 そんな時だった。


 ちょんちょん。


 足に何かが当たる。


 視線を落とすと、エンデがこちらを見上げていた。


 ……あ。


 料理に夢中で、構ってなかった。


「ごめんな、エンデ」


 俺は屈んで頭を撫でる。


「ひと段落したし、遊ぶか?」


 エンデは、俺の手に前足をパシッと乗せた。


 ……肯定したな。


 俺はそう解釈することにした。


「よし。遊ぶぞ」


 と言ったものの。


 俺は一瞬、悩んだ。


 エンデは猫っぽい。

 だが猫じゃない。


 ……いや、猫っぽいだけの魔族かもしれない。


 猫じゃらしとか通用するのか?


 変なプライドを刺激して怒られたりしないか?


 ……いや。


 考えるのはやめよう。


 やってみれば分かる。


 俺は布の切れ端と細い棒を使って、簡易ねこじゃらしを作った。


 そして床にあぐらをかいて座り、エンデの前でちらりと揺らす。


 スッ。


 隠す。


 ちらり。


 スッ。


 すると――


 エンデの瞳孔が、明らかに開いた。


「……」


 そして、腰を落とし。


 お尻をふりふりし始めた。


「……あっ」


 俺は確信した。


「これ猫だ」


 俺はエンデを猫と認定した。


 次の瞬間、エンデが飛びかかってくる。


「うおっ!よし来い!」


 俺はねこじゃらしを逃げるように動かし、エンデが追う。


 飛ぶ。跳ねる。転がる。

 そして外す。悔しそうに鳴く。


 完全に猫。


 俺は久しぶりに腹の底から笑った。


「最高だな、お前……」


 エンデは勝ち誇ったように、ねこじゃらしを押さえつけていた。


 その時。


 玄関の方から声がした。


「ただいまです!」


 ゆなの声だ。


「おかえりー!」


 俺が返事をすると、ゆなが部屋に入ってきて――


 その場で固まった。


 俺の膝の上で、エンデがねこじゃらしに噛みついている。

 俺は床に座って、必死にねこじゃらしを引っ張っている。


 ……完全に猫と遊ぶ大人。


 ゆなは目をぱちぱちさせた。


「……たけるさん、なにしてるんですか?」


「いや、エンデと遊んでる」


「遊び……?」


 ゆなは少し近づき、エンデを見た。


 エンデは、ゆなを一瞥し――


 ふん、と鼻を鳴らしたような顔をした。


「……なんか偉そうですね」


「だろ?」


 俺が笑うと、ゆなもくすっと笑った。


「その棒、私もやっていいですか?」


「お、いいぞ。コツはな……」


 俺はゆなにねこじゃらしを渡し、動かし方を教える。


 ゆなが揺らす。


 エンデが飛ぶ。


 ゆなが笑う。


 エンデが本気になる。


 そして――


 ゆなは驚いた顔で叫んだ。


「えっ、待って待って!速い!速いです!」


「エンデ本気だな」


「これ、遊びじゃなくて戦いじゃないですか!」


「猫と遊ぶってそういうもんだ」


 俺はその光景を見ながら、なんだか胸が温かくなった。


 しずかはいない。


 だけど、こういう日常がある。


 悪くない。


 むしろ、少し救われる。


 ゆなは息を切らして床に座り込み、笑いながら言った。


「……エンデちゃん、すごい運動神経ですね」


 エンデはねこじゃらしを押さえつけ、勝者の顔をしている。


 俺は立ち上がり、キッチンの方を指さした。


「そうだ。今日、いいソースできたんだ」


「ソース?」


「うん。肉、さらにうまくなるぞ」


 ゆなの目が輝いた。


「えっ……ほんとですか!?」


「本当だ」


 俺は鍋の蓋を開け、香りを漂わせる。


 ゆなは匂いを嗅いだ瞬間、顔を明るくした。


「……なんか、すごく美味しそうな匂いします」


「だろ?」


 俺は笑って、鍋を見つめた。


 しずかがいない夜。


 でも、無駄じゃない。


 ちゃんと、明日に繋がってる。


 そう思えた。

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