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声を持たぬものが、口を開く朝

この家の一員として迎え入れられたエンデは、就寝の時間になると当然のようにたけるの後をついてきた。


「寝る場所もないし、一緒に寝ようか」


 そう言ってゆなに話すと、

 その夜は たける、エンデ、しずか の三人で同じベッドに入ることになった。


 久しぶりだな、この感じ――

 そんなことを考えながらベッドに横になる。


 だが、意識は一瞬で闇に落ちた。


 朝。


 いつも感じるしずかの体温とは、少し違う感触。


 眠たい目をこすりながら視線を向けると、

 そこには白い毛並みを丸めて眠るエンデがいた。


「……そっか」


 今日は、こっちか。


 新鮮だな、と思いながら小さく笑う。


「おはよう」


 そう声をかけると、

 エンデはぱちっと大きな紫の瞳を開いた。


 まるで挨拶を返すような、その仕草。


 猫のいる生活って、やっぱりいいな。


 顎を撫で、背中を軽く撫でる。

 エンデは気持ちよさそうに喉を鳴らした。


 そのとき――

 別の視線を感じた。


 隣のベッド。


 じっとこちらを見ている、しずか。


「おはよう」


「……おはよう」


 声は静かだが、どこか硬い。


 ほんのわずかな違和感を覚えつつも、

 三人はくっつくようにして居間へ向かった。


 朝食を四人で囲み、

 たけるはいつものように仕事へ向かう。


 今日はハローワークのような場所へ、

 土木作業の進捗を見に行くらしい。


 ゆなも仕事の日で、

 家に残るのは しずかとエンデ の二人だけになった。


 会話は、ない。


 しずかは警戒を解かず、

 エンデは気ままに過ごす。


 寝て、

 腹が減れば食事をせがみ、

 トイレの前では当然のように扉の前に座る。


 ――開けろ。


 そう言わんばかりに。


 しずかは一瞬だけ眉をひそめるが、

 結局、何も言わず扉を開けてやる。


 たけるが気に入っている存在だ。

 それだけで、拒む理由にはならない。


 そんな日常が、数日続いた。


 だが――

 夜になると、エンデは必ずたけるの元へ行く。


 しずかが、くっつく余地はない。


 その積み重ねが、

 確実に、しずかの中に澱のように溜まっていった。


 そして、ある朝。


「行ってくる」


 いつもの言葉。


 だが、その瞬間――

 しずかは、耐えきれなかった。


 ぎゅっ。


 背後から、たけるに抱きつく。


「……どうした?」


 返事はない。


「何かあったか?」


 それでも、しずかは離れない。


 しばらく沈黙が続き、

 たけるは静かに言った。


「仕事だからさ。

 帰ったら、話そう?」


 少しだけ、優しく諭すように。


 しずかは、ゆっくり腕を離した。


「……うん」


 それだけ。


 何も言わないが、

 何かを抱えていることだけは、はっきり伝わった。


「行ってくるな」


 そう言って、たけるは家を出た。


 今日は、ゆなも休みだった。


 その一部始終を、見ていた。


「……しずかさん。何かあったんですか?」


 しずかはすぐには答えない。


 だが、ぽつりと。


「……最近、たけるが少し遠い」


 表情は変わらない。


 けれど、その言葉は――

 明らかに、寂しさを含んでいた。


「そんなことないと思いますよ」


 ゆなはそう言いながらも、

 自分の胸にも同じ感情があることに気づいてしまう。


「……でも、確かに。

 エンデちゃんのこと、すごく構ってますよね」


 少し、沈黙。


 そのとき。


 スタスタ、と足音。


 エンデが歩き、

 たけるの椅子へと軽やかに跳び乗った。


 二人の視線が、自然とそこへ集まる。


 エンデは、ゆっくりと二人を見下ろし――


 そして。


「――おぬしらは、何をしておる?」


 確かに、言葉が発せられた。


 空気が、止まる。


「……え?」


「……?」


 ゆなとしずかは、同時に固まった。


 エンデは、当然のように尻尾を揺らす。


「朝から、随分と湿った顔をしておるな」


 しずかは、静かに息を呑んだ。


 ――やはり。


 警戒は、間違っていなかった。


 この生物は、

 ただの“猫”ではない。


 だが同時に。


 この家の日常が、

 もう一段、深い場所へ踏み込んだことを――

 二人は、まだ理解しきれていなかった。

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