はじめての外と、はじめての色
結局、コウヘイはそのまま泊まると言い出したが、あまりにも何度も気持ちの悪い視線を向けてくるので、「また次な」と半ば強引に追い返した。本人は不満そうだったが、正直こちらの平穏の方が大事だ。
その後、ようやく家の中が落ち着いた。
ゆなは今日は仕事が休みらしく、久しぶりに俺たち三人だけでテーブルを囲む時間ができた。湯気の立つお茶を前に、それぞれがどこか気の抜けた顔をしている。
「なんだか楽しかったですけど……すごく疲れちゃいました」
ゆながそう言って、ふうっと息を吐く。
「だな。人が来るのは悪くないけどさ……やっぱりこの三人でいる日常が一番落ち着くよな」
「本当に、そうですよね」
「……私も、そう思う」
しずかの短い言葉に、妙に安心してしまった。
賑やかだった一日が終わり、ようやく“いつもの空気”が戻ってきた気がする。
しばらくは他愛のない話をしながら、ゆっくりとお茶を飲んでいたが、ふと気になって口を開いた。
「そういえばさ。あの札、結局なんだったんだろうな。しずか、何かわかる?」
「箱については……何となく。でも、札については分からない」
「だよなぁ」
考えても答えは出ない。
ただ、その流れで、ふと引っかかっていたことを思い出した。
「……なあ。箱を開けてから、箱も札も外に持ち出されたよな?」
二人がこちらを見る。
「もしかしてさ。これで、しずかも外に出られるようになった……とかない?」
その言葉に、ゆなとしずかが同時に息をのむ。
「しずかさん! 出てみましょう!」
「……わかった」
いつも通りの落ち着いた返事だったけど、どこかそわそわしているのが伝わってきた。
三人で玄関へ向かい、俺が扉を開く。
しずかが一歩、前に出る。
以前なら、見えない壁に阻まれるように止まっていたはずだった。
――けれど。
何の抵抗もなく、しずかは外へ出た。
「しずかさん! 外に出られましたね!!」
「……うん」
「よかったな」
俺の声が耳に入っていないのか、しずかはただ、空を見上げていた。
青い空と、ゆっくり流れる雲。
どれほどの時間、この景色を見ずに過ごしてきたのかは分からない。
感情を表に出さない彼女だけど――
その横顔が、ほんの少しだけ柔らいで見えた。
しばらく外の空気を感じたあと、しずかは静かに家へ戻った。
俺たちも続いて中に入り、いつもの椅子に腰を下ろす。
「さて。外に出られるようになったわけだけど、行きたいところとかある?」
「……街の中でも、その辺でもいいから。少し歩いてみたい」
「いいですね! 今から行きます?」
ゆなの言葉に、しずかは口を噤んだ。
「……何か、不安ある?」
「……この見た目のせいで。生きていた頃も、外に出る時はずっとフードを被っていた。外に出ていいのか、正直わからない」
それは、無理もない。
俺はこの国でステルベンの伝承を聞いたことはないけど、知らない人がいないとは言い切れない。
どうするか、と考えていた時――
ふと、以前読んだ小説の一場面が頭をよぎった。
……髪の色を変える魔法。
理屈は分からないし、正直ご都合主義だと思っていた。
でも、今の俺は魔法が使える。
試すだけなら、タダだ。
「……なあ。髪の色を変えられるとしたら、何色がいい?」
「えっ!? 髪の色、変えられるんですか!?」
「いや、分からない。ただ……やってみようかと思って」
「なるほど……」
しずかは少し考えてから、小さく呟いた。
「……金の髪」
意外だった。
目立つ色なのに。
まあ、できるかどうかも分からない。
俺は適当に、光の屈折がどうとか、色の反射がどうとか、それっぽいことを頭の中で組み立てながら、しずかに手を向けた。
次の瞬間。
きらきらとした光が降り注ぎ、しずかの黒髪が、ゆっくりと色を変えていく。
深い夜色だった髪は、やがて柔らかな金色へ――。
「……」
「……」
「……すごい……」
ゆなの声で、ようやく我に返った。
そこにいたのは、見慣れたはずのしずかで、
でも、どこか新しい、金髪のしずかだった。
本人は、自分の髪をそっと触りながら、静かに言った。
「……変わった」
その声は、ほんの少しだけ弾んでいるように聞こえた。
――外へ出る準備は、もう整ったのかもしれない。




