持ち去れない箱と、玄関の来訪者
ゆなが机にぶつけた頭をさすりながら、涙目で「だ、大丈夫です……」と呟いていると、ユリアナがゆっくりと話し始めた。
「さて……しずかさん。どうやら、この箱が何であるか、ご存じのようですね」
その視線がしずかに向く。
「……うん」
短い肯定。
それを聞いて、ユリアナは小さく頷いた。
「他の方には分かりづらいでしょうから、わたくしから説明いたしましょう」
そう前置きしてから、穏やかな声で語り出す。
「この箱は、かつて“細工師”と呼ばれる者たちが作った特別な品です。
王族が代々、国にとって重要な品を保管し、継承するために使われてきました」
「継承……?」
「ええ。この箱そのものが“鍵”であり、“封”でもあるのです。
しかし、その技術はすでに失われ、今では新たに作ることも、仕組みを解析することもできません」
俺は箱を見る。
確かに、どう見ても普通じゃない。
「ですから――」
ユリアナは一拍置いてから、しずかを見る。
「子爵程度の者が、これを所有しているというのは不自然なのです。
しずかさん。あなたがこの家へ連れてこられた際、これを持っていた……ということはありませんよね?」
「……ない」
しずかは即答した。
「捕らえられた時、持ち物は何もなかった。
私は保管庫に入る立場でもなかったから、持ち出すこともできない」
感情の起伏はないが、言葉ははっきりしている。
「でしょうね」
ユリアナは柔らかく微笑む。
「形式的な確認です。お気になさらず」
どうやら、これは“儀礼としての質問”らしい。
では次に――とユリアナが口を開こうとした、その時だった。
ガチャ、と音を立てて部屋の扉が開く。
「いやー、いい風呂だった!」
上半身裸、タオルを肩にかけたコウヘイが、爽やかな笑顔で入ってくる。
「たける、次入るか?」
――沈黙。
空気が、完全に止まった。
「あら?」
最初に動いたのはユリアナだった。
「とても……開放的なお姿ですこと」
にこり、と完璧な笑顔。
「……あれ?」
ようやく異変に気づいたコウヘイが、部屋を見回す。
「たける。この人、誰だ?」
俺は観念して答える。
「……この国の王妃様」
数秒の間。
そして次の瞬間。
「――――――っ!!」
コウヘイは青ざめ、反射的に床へ滑り込むように頭を下げた。
「も、申し訳ありませんでしたぁぁぁ!!」
見事な土下座だった。
「謝る必要はありませんよ」
ユリアナは穏やかに言う。
「次がなければ、ですが」
その笑顔に、コウヘイは顔を上げられなくなった。
「それで」
しずかが、唐突に口を開く。
「この箱の所有者は、誰?」
話題が一気に本筋へ戻る。
「現時点では、不明です」
ユリアナが合図をすると、ローブを羽織った二人の老人が前に出た。
箱を囲み、低い声で議論を始める。
「この刻印は……」
「いや、我々の知る様式ではない……」
「魔力の流れも読めん」
しばらくして、二人は首を横に振った。
「申し訳ございません。
我々の知る技術では、この箱の所有者を特定することはできません」
ユリアナは少し考え込むように視線を落とし、やがて結論を出す。
「一度、城へ持ち帰りましょう。
保管庫で改めて調べます」
「……それでいい」
「俺も異論はないです」
了承すると、ユリアナは立ち上がる。
「では、進展があり次第、ご報告いたしますね」
護衛が箱を持ち、玄関へ向かう。
――その瞬間。
「うわっ!」
突然、護衛の身体が吹き飛ばされた。
床に叩きつけられる音。
箱は手から離れ、転がるが――傷一つない。
全員が凍りつく。
「……持ち出せない、ということかしら」
ユリアナが静かに呟いた、その時。
こんこん。
玄関の扉を叩く音が、はっきりと響いた。
――また、来客らしい。




