薬と約束、そして戻る日常
先ほどの一連の忠告が終わり、張りつめていた空気がゆっくりとほどけていく。
テーブルの上には、淡い琥珀色のお茶と、小ぶりで上品な菓子が並べられていた。
香りはやわらかく、城で嗅いだものよりも、どこか丸みがある。
「こちらは、わたくしの好みのお菓子ですの」
ガラテアはそう言って、先に一口だけ菓子をかじり、続けてお茶に口をつける。
「お姉さまのお口にも合えば、嬉しいのですが」
「……どうぞ」
促され、しずかも静かに菓子を手に取り、口に運んだ。
続いてお茶を一口。
「……美味しい」
率直な感想だった。
「それはよかったですわ」
ガラテアはふっと微笑むと、カップの中の液体をじっと見つめる。
「それにしても……城で淹れるものとは、明らかに味が異なりますわね」
少し考え込むように視線を落とし、ぽつりと呟く。
「たけるさんに、今度わたくし専用の水を生成していただこうかしら」
先ほどまで少しだけ嫌そうだった表情は消え、真剣に悩んでいる様子だ。
その姿を見て、しずかは胸の奥がわずかに温かくなるのを感じた。
まるで、たけるが褒められたかのようで――それが、なぜか嬉しかった。
「……それで」
しずかはカップを置き、静かに切り出す。
「もう一つの要件は何?」
「ああ、そうでしたわ!」
ガラテアは思い出したように姿勢を正す。
「お姉さまは以前、薬も作っていたと仰っていましたわよね」
「道具さえ揃えば、今でもお作りになれますか?」
「……治癒の魔法が使えるから、できると思う」
「でしたら、お願いがございます」
ガラテアの声色が変わる。
戯れではない、本気の響きだ。
「最近、貴族の間で高熱に侵される者が増えておりますの」
「この国は魔法使いこそ多いですが、治癒魔法を扱える者は極めて少ない」
「ましてや、お姉さまほどの力を持つ者は……他におりません」
侍女も護衛も黙り込み、その場は静寂に包まれた。
「医療の知識も、正直に申せば十分とは言えません」
「どうか、お姉さまにご協力いただけないでしょうか」
しずかは少しだけ視線を伏せ、考える。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……協力すること自体は構わない」
ガラテアの表情がわずかに明るくなる。
「けど」
しずかは言葉を続ける。
「薬をどう渡すのか、誰が作ったことにするのか」
「そのあたりを曖昧にしたまま始めるのは、危険」
「準備を怠ると、善意が火種になる」
淡々とした口調だが、その言葉には重みがあった。
ガラテアは一拍置いて、深く頷く。
「……おっしゃる通りですわ」
「拙速は避けましょう。すべて整えた上で、改めてお願いに参ります」
その後は、他愛のない話が少しだけ続いた。
昔の城の話、茶葉の好み、甘い菓子の話。
やがてガラテアは席を立つ。
「本日はありがとうございました、お姉さま」
「また、必ず伺いますわ」
そう言って、彼女は静かに去っていった。
いつもの時間。
「ただいまー」
間の抜けた声が玄関から響く。
しずかは、その声を聞いた瞬間、胸の奥に小さな安堵を覚えた。
「……おかえり」
たけるは軽く手を振り、そのまま風呂の準備に向かおうとする。
だが、しずかは思い出したように声をかけた。
「今日、ガラテアが来た」
「え?」
手を止め、振り返る。
しずかは今日あったこと――忠告の件、薬の話、危険性について――簡潔に伝えた。
「……それは」
たけるの顔が、目に見えて引きつる。
「正直、俺もそこまで考えてなかったな……」
「物理的に何かできる状況ってのは、確かにまずい」
少し考え込み、顎に手を当てる。
「じゃあ、別の方法を考えよう」
「簡単に外せないけど、使い勝手のいいもの……」
「……指輪?」
「片手で外すの、結構難しくない?」
二人であれこれ意見を出し合うが、決定打は出ない。
「思った以上に、片手ですぐ外せる物ってないな」
「……うん」
結局、その日は結論が出なかった。
「明日、ゆなと買い物に行くだろ?」
「その時、それとなく探してみるよ」
「……わかった」
やがて、ゆなが帰ってくる。
いつも通り風呂を沸かし、夕食を作り、三人で食卓を囲む。
食事の途中で、再び「片手で外せるもの会議」が始まったが、やはり答えは出ない。
「まあ、明日だな」
「そうですね!」
「……うん」
こうして、その日は大きな事件も起こらず、静かに終わった。
だが、それぞれの胸には――
確実に、少しずつ重なっていく「次」の気配が残っていた。




