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忠告という名の境界線

昼を少し過ぎた頃。

 家の中は静かで、雨上がりの湿った空気が窓からゆっくりと入り込んでいた。


 しずかはいつもの椅子に腰掛け、ぼんやりと宙を見つめていた。

 考え事をしていたわけでもなく、ただ時間が流れていくのを感じているだけだ。


 ――こんこん。


 控えめだがはっきりとしたノックの音が響く。


「……?」


 少し首を傾げていると、扉の向こうから聞き覚えのある声がした。


「失礼する。王女殿下のご訪問である。中に入れていただけるだろうか?」


 以前にも聞いた護衛の声だ。


 しずかは椅子から立ち上がり、扉の近くまで歩いていく。


「……どうぞ」


 そう声をかけると、扉が開かれ、見慣れた護衛の姿が現れた。

 そのすぐ横から、金髪を揺らして顔をのぞかせる少女がいる。


「ごきげんよう、お姉さま」


 屈託のない笑顔。

 だが、その一言でしずかの表情はわずかに冷えた。


 ――先ぶれを出して、と言ったはず。


 その視線に気づいたのか、ガラテアは慌てて一歩前に出る。


「お姉さま! 今回はどうしても急を要する訪問でしたの!」


「緊急でない場合は、きちんと形式に則って参りますわ。どうか今回は突然の訪問、お許しください」


 言葉は丁寧だが、焦りが滲んでいる。


 しずかはしばらく黙っていたが、やがて短く息を吐いた。


「……入って」


 そう言って、部屋の中へと案内する。


 今回は護衛を外に立たせ、部屋に残ったのは荷物を持つ護衛一人、侍女一人、そしてガラテアだけだった。


 ガラテアは軽く咳払いをすると、護衛に目配せする。


「急な訪問のお詫びとして、こちらを」


 テーブルの上に置かれたのは、やや大きめの箱だった。


「……開けていい?」


「もちろんですわ」


 箱を開くと、中には揃いのティーカップが二つ、ティーポット、ソーサー。

 どれも一目で高価とわかる品だった。


「この家には、それらしきものが見当たりませんでしたので」


「わたくしとお姉さまがお話する際に使えればと思い、持参いたしました」


「侍女に用意させてもよろしいかしら?」


「……うん」


 最初は硬かったしずかの表情が、ほんのわずかに和らいだ。


 だが、侍女がキッチンへ向かってすぐに首を傾げる。


「……水が、ありません」


「たけるが作った水がある」


 そう言って、しずかは少し大きな(かめ)を取り出した。


 蓋を開けた瞬間、透き通るような水が揺れる。


 侍女は目を見開いた。


「こちらを……使ってもよろしいのでしょうか?」


「うん。なくなったら、たけるがまた出してくれる」


 城で使われる水よりも澄んで見えるそれに、侍女は困惑しながらもお茶の準備を始めた。


「魔法で水を生成しているのですね」


 ガラテアが感心したように言う。


「そのような使い方、考えた事もありませんでしたわ」


「たけるの水は……美味しい」


「……そう、ですの」


 言い回しが微妙に引っかかり、ガラテアは一瞬だけ表情を崩した。


 しずかが席につこうとした、その時。


「お待ちください、お姉さま」


 ガラテアの声が制止する。


 向かい合う形で立たされる。


「お姉さま。ネックレスを外さなければ触れられるのですよね?」


「……一度、外していただけますか?」


 意図が読めず、しずかがネックレスに手を伸ばそうとした瞬間。


 護衛が一歩踏み込み、両手を掴んで後ろへ回した。


 一瞬、空気が張り詰める。


「――手を離しなさい」


 ガラテアの声は冷たかった。


「はっ!」


 護衛はすぐに手を離し、下がる。


 自由になったしずかを見て、ガラテアは静かに続けた。


「お姉さま。今の状態であれば」


「物理的に、あなたに何かをする事も可能です」


「今回の訪問の目的の一つは――忠告ですわ」


 しずかは、はっと息を呑む。


「お姉さまは、少々無頓着に見えました」


「何かが起きてからでは遅い。そう思い、急ぎ参りました」


「ネックレスでも構いませんが」


「もっと簡単に外せない形にする、あるいは代用を考えるべきでしょう」


 しずかはしばらく考え、ゆっくりと頷いた。


「……わかった」


 ガラテアは、その返事に小さく安堵の息をついた。


「それを聞いて安心いたしました」


 ティーカップから、湯気が静かに立ち上る。


 その場には穏やかな時間が戻ったようでいて、

 確かに――越えてはいけない境界線の存在だけが、はっきりと刻まれていた。

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