雨音の距離と、王城の静かな決断
朝、目を覚ますと――
隣にいるはずのしずかの気配がなかった。
一瞬、胸の奥がざわつく。
慌てるほどの事じゃない。
いつも朝は早いし、たぶん台所だろう。
そう自分に言い聞かせ、身体を起こしていつもの場所へ向かう。
やはり、そこにいた。
しずかは台所に立ち、静かに朝食の準備をしていた。
その背中を見て、なぜかほっとする。
「おはよう」
できるだけ普通に声をかける。
「……おはよう」
返事はあった。
けれど、こちらを見ようとはしない。
「しずか?」
名前を呼んだ、そのタイミングで――
「おはようございます!」
ぱっと場の空気を変えるように、ゆなの元気な声が響いた。
しずかはそちらにだけ視線を向ける。
「おはよう、ゆな」
……やっぱり、避けられてる気がする。
理由は薄々わかっている。
昨日の、あの何気ない一言だ。
四人で囲む朝食。
味はいつもと変わらないのに、どこか落ち着かない。
ゆなは普段通りに話し、普段通りに笑う。
しずかは必要な事だけを口にし、俺とは目を合わせない。
そんな空気のまま、朝は過ぎていった。
今日は雨。
仕事は休みだ。
ゆなはいつも通り元気に準備を整え、
「じゃあ、行ってきます!」
と雨の中へ出ていった。
家に残ったのは、俺としずかだけ。
静かすぎる時間。
(やっぱり、昨日の事だよな……)
思い返す。
年齢の話をした瞬間から、明らかに距離ができた。
怒らせるつもりなんてなかった。
ただ事実を口にしただけだ。
でも――
そういう問題じゃない事も、経験上わかっている。
考え込むのは性に合わない。
俺は、正面から聞く事にした。
「しずか」
名前を呼ぶ。
「もしさ、俺が何か気に障る事言ったなら、正直に言ってほしい」
しずかの手が止まる。
「正直な話、俺は女の人と接する機会が少なくてさ。
どういう言い方がまずいのか、よくわからん」
「言ってもらえなきゃ直しようもないし、
言ってくれたら次から気を付ける」
「だから……教えてほしい」
少し間があって、しずかがゆっくりこちらを見た。
「……たけると私は、対等だと思ってた」
その一言で、だいたい察した。
「でも、年下みたいに言われて、
距離を取られた気がして……それが嫌だった」
なるほど、と思った。
意図はなくても、言葉一つで相手の立ち位置は変わる。
「ごめん」
素直に頭を下げる。
「そんなつもりはなかった。
でも、そう感じさせたなら俺が悪い」
「気を付けるよ」
しずかは小さく頷く。
「……うん。気を付けて」
そう言って、ほんの少しだけ俺の方に近づいた。
それだけで、十分だった。
(女は、ちょっとした事で機嫌を損ねる)
昔、友人に言われた言葉を思い出す。
今なら、その意味がよくわかる。
正直、少し面倒だとも思う。
でも、これも一緒に暮らすって事なんだろう。
そう考えると、悪くない経験だ。
一方、その頃。
王城の奥深く。
執務室にて、王カエサルと王妃ユリアナはガラテアからの報告を受けていた。
「……一大事ではないか」
カエサルは重く息を吐く。
「ええ、本当に困った状況に陥っておりますわね」
ユリアナは柔らかな微笑みを浮かべながらも、どこか楽しげで、同時に憂慮しているようにも見えた。
「アルバトスの詳細な報告は、今は待とう」
カエサルは指を組み、低く告げる。
「だが、あの家は――
この国、いや、この世界にとって極めて重要な地点となりつつある」
「国内の貴族へは通達を出せ。
無用な接触は厳禁とな」
「子爵のような愚か者は、もはや存在せぬと信じたいが……
これ以上混乱が生じれば、収拾がつかなくなる」
「承知いたしました」
控えていた護衛の一人が、深く頭を下げる。
その背を見送りながら、ユリアナは小さく呟いた。
「本当に……
あの家は、退屈という言葉を知らぬ場所ですわね」
静かな雨音の中で――
運命は、確実に動き続けていた。




