温泉前夜と、見捨てられた幽霊の逆襲
馬車に揺られながら進む旅は、思っていたよりも賑やかだった。
途中で何度か休憩が入り、そのたびに小さな騒動が起こる。
「……え、こ、ここですか?」
トイレ休憩で馬車を止めたとき、ゆなが真っ赤になって戸惑っていた。
簡易的な衝立と仕切りだけの野外用。
平民街でも使われている一般的なものだが、豪奢な馬車との落差がすごい。
「初めてなので……なんだか落ち着きません……」
「大丈夫だ、誰も見てない」
「見えなくても恥ずかしいです!」
その横で、ガラテアが不思議そうにしずかを見る。
「お姉さまは……行かれませんの?」
「……必要ない」
あっさりした返答に、ガラテアが固まった。
「……え?」
「私は、そういうの、ない」
しずかの体質を知らないガラテアはしばらく言葉を失っていたが、ゆなが小声で事情を説明すると、
「……なるほど」
と、妙に納得していた。
そして、トイレ休憩の間に、なぜかガラテアがこちらの馬車へしれっと乗り込んでくる。
「少しの間だけですわ」
そう言いながら当然のように座る。
護衛も何も言わない。
こういうのも悪くない、と俺は思った。
これまでの二回の旅とはまるで違う。
男だけの緊張感もない。
どこか緩くて、温かい。
俺たちの目的地は、結局――
ある小さな街の外れにある、「お湯が湧き出している場所」だと推測された。
「魔力の流れが綺麗な場所……温泉、かもしれませんわね」
ガラテアの推測。
エンデが言っていたというのも曖昧だし、本当にそこかは分からない。
だが違っていたら、また次の機会に探せばいい。
そう割り切って、俺たちはその街を目指した。
数日。
馬車は舗装されていない道を進み、尻がじわじわと痛くなる。
「……これ、結構きますね」
ゆなが苦笑いする。
「思ったより固いな」
「お尻が……」
最初は豪華な馬車にテンションが上がっていたが、長時間揺られると話は別だ。
ようやく街に着いた時、ゆなはさっさと馬車から降りた。
「やっと地面です……!」
ガラテアも優雅に降り立つ。
目の前には、大きくはないがさびれてもいない宿屋。
この街は平民街に近い雰囲気だが、どこか清潔だ。
時折、硫黄のような匂いが漂う。
「やっぱり温泉か?」
俺が呟くと、エンデが小さく鳴いた。
宿に入り、護衛が先導して宿泊の旨を伝える。
今回の旅費はガラテアが出すと言い張った。
「これは王女命令です」
便利な言葉だ。
俺がいくら交渉しても、
「王女命令です」
で終わる。
渋々了承した。
宿の者はガラテアの身分に気づいているだろうが、態度は変えない。
淡々としている。
それが逆に好印象だった。
最初に案内されたのは、宿で一番上等な部屋。
「ガラテア様はこちらです」
護衛が告げる。
ガラテアは軽く一瞥するだけ。
慣れているのだろう。
「お姉さま方のお部屋も見せていただけます?」
ついてくる。
案内されたのは、並びの二部屋。
いかにも宿の部屋、という感じだ。
護衛が言う。
「男女で分けさせていただきました。お好きな方を」
俺は肩をすくめる。
「どっちでもいい」
ゆながぱっと決めた。
「じゃあ、こっちで!」
荷物を運び、夕食をとり、部屋へ戻る。
廊下で俺がぽつりと漏らした。
「やっぱ風呂はないよなぁ」
すると、ガラテアが振り向いた。
「明日はお風呂に入れますから、楽しみにしているとよろしいですわ」
意味深な笑み。
そして自然な流れで、しずかの腕を取る。
「お姉さま、少しお話が」
止めようかと思ったが――
面倒だ。
俺とゆなは、そっと見守った。
翌朝。
やはりベッドは偉大だ。
旅の途中とは違う、深い眠り。
魔法で水を出し顔を洗い、部屋を出ると、ゆなも出てきた。
「おはようございます」
「おはよう」
二人で食堂へ向かう。
そこには、しずかが先に座っていた。
「おはよう」
「……おはよう」
返事はあるが、どこか元気がない。
「どうした?」
俺が聞くと、しずかは無表情のまま言った。
「昨日、見捨てられた」
「は?」
「ガラテアに連れて行かれたのに、二人とも止めなかった」
淡々とした声だが、少しだけ拗ねている。
「いや、あれはだな……」
「面倒だから放置された」
「違う!」
ゆなも慌てる。
「わ、私たちは信頼していたんです!しずかさんなら大丈夫だって!」
「……信頼という名の丸投げ」
ぐさりと刺さる。
俺とゆなは必死に弁明した。
「次はちゃんと助ける!」
「絶対助けます!」
しずかはじっとこちらを見て――
「……本当?」
「ああ、本当だ」
「約束」
「約束だ」
しばらくして、しずかは小さく頷いた。
「……なら、許す」
機嫌は戻ったらしい。
その様子を見て、俺とゆなはほっと息をついた。
温泉かもしれない場所へ向かう前に、なぜか精神的な戦いを終えた気分だった。
こうして俺たちは、次の目的地――
魔力の流れが澄むという場所へ向かう準備を整えたのだった。




