留守番の家で、魔族がうるさい
たけるが旅立った、その日。
ゆなはいつも通り仕事へ向かい、家に残ったのは――しずかとエンデの二人だけだった。
静まり返った室内。
しずかは窓際の椅子に座り、湯気の立つ茶を手に、ぼんやりと外を眺めていた。
別に、寂しいわけではない。
そう思おうとしているだけかもしれないが。
たけるがいない日々は、また始まってしまったのだ。
エンデはというと、部屋の隅で丸くなり、猫の姿でじっとしている。
警戒はしている。
だが、襲ってくるわけでもない。
だから、放っておいた。
いつも通りの沈黙。
しずかは茶を一口飲み――また、外を見た。
……その時だった。
ふわり、と。
白い毛玉が淡い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には小さな少女の姿へと変わっていた。
椅子に腰を下ろし、ふぅ、と息をつく。
そして、当然のように言った。
「ふぅ。たけるがいないのであれば、この姿でも問題なかろう」
しずかは視線を動かさないまま、静かに返した。
「……好きにすれば」
するとエンデは、肘をついて頬杖をつき、偉そうに言い放つ。
「私にも茶をくれ」
しずかはゆっくりと目を向けた。
「私は使用人じゃない。自分のことは自分でして」
「……むぅ」
エンデは口を尖らせたが、意外にも反論はしなかった。
「しょうがない。自分で入れようかの」
そう言って椅子から降り、スタスタとキッチンへ向かう。
しずかは再び窓の外へ視線を戻し、静かに息を吐いた。
……たけるがいないと、家の空気が少し広い。
そんな感覚が胸に広がり――
「……あら。届かん」
キッチンから、妙に情けない声がした。
「……」
しずかの眉が、ほんの少しだけ動く。
「……あら、届かん。むぅ……届かん」
ぴょん。ぴょん。
何かが跳ねる音。
しずかはついに耐えきれず、ゆっくりと立ち上がった。
そしてキッチンへ向かう。
「……何をしているの?」
そこにいたのは、小さな魔族の少女――エンデ。
炉の前で背伸びをし、ぴょんぴょんと跳ねていた。
手は湯を沸かすための道具に伸びているが、完全に届いていない。
エンデは涙目でしずかを見上げた。
「届かん」
「……」
しずかは深く息を吐いた。
「私がやる。座ってて」
「うむ」
悪びれもせず頷き、エンデはちょこんと椅子に座った。
しずかは湯を沸かし、茶を淹れる。
――それを、エンデは当然のように受け取って飲んだ。
「うむ。悪くない」
「……」
しずかは何も言わず、エンデの向かいに座った。
静寂が落ちる。
だが、しずかはぽつりと口を開いた。
「……どうしてこの前、ゆなと一緒に寝たの?」
エンデは一口茶を飲み、平然と答える。
「あの状況は、子を成すための行為をする予兆だったじゃろ?
空気を読んだまでよ」
「……?」
しずかは目を細めた。
「……どういうこと?」
エンデは呆れたように肩を落とした。
「はぁ……。いい雰囲気だったではないか。
二人で見つめ合い、二人の世界に入っておった」
「……」
「なのに、何もせず朝を迎えた。
私は困惑したわ。だから起こした」
――朝、肉球で叩かれたことを思い出す。
あれは単なる嫌がらせではなかったらしい。
しずかは淡々と言った。
「私たちには、いつもの日常。言っている意味が分からない」
エンデは頭を抱えた。
「鈍い……鈍すぎる……!」
そして、真顔で言い放つ。
「好き合っていれば、子を成そうとするのが本能であろう?
おぬしは、たけるが好きなのではないのか?」
しずかは少しだけ考えた。
そして、静かに答える。
「たけるのことは好き。でも、異性として好きなのかはわからない」
その瞬間。
エンデの堪忍袋が切れた。
「はぁーっ!!煮え切らん!!」
机を叩きそうな勢いで立ち上がり、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「じゃあ私がこの姿でたけるを誘惑して子を成しても、なんとも思わんのじゃな!?
そんな曖昧なことばかり言うのであれば、私はたけるとの子を孕むために行動を起こすぞ!」
しずかは眉ひとつ動かさず、冷静に返した。
「子供にそんな行為は早い」
「子供ではない!!」
エンデは必死に胸を張る。
「私はおぬしらより何倍も生きておる!
今は小さくなっているだけで、本来の姿であればナイスバディーな淑女だ!!」
「……そう」
しずかの反応が薄すぎる。
それが逆にエンデの心を折った。
しかし、エンデは引き下がらない。
「そうか!では、たけるが帰ってきたら遠慮はせん!
私とたけるの子を成す行為を見ながら後悔するといい!!」
強気な宣言。
だが――しずかは、その顔をじっと見た。
そして、静かに言った。
「今の言葉は記憶した。必ず実行して」
「……えっ」
エンデの目が泳ぐ。
「……う、うむ。わかった……」
急にしおらしくなった。
しずかはその様子を見て、少しだけ確信する。
(……やっぱり)
しずかは淡々と告げた。
「楽しみにしてる」
「……っ」
エンデは口を開けたまま固まり、ぷるぷる震えた。
そして小さく呟く。
「……この女、怖い……」
しずかは何も言わず、茶を一口飲んだ。
窓の外は静かで、いつも通りの空。
――たけるがいないだけで、家はこんなにも騒がしい。
しずかは、少しだけため息を吐いた。




