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黒糸の印は、王女の無言の宣言

先に城を後にしようと謁見の間を出たのはいいが――俺はすぐに足を止めた。


「あ……」


 そうだ。服。


 完全に忘れていた。今の俺、王城の人間が用意した謁見用の衣装のままじゃないか。


 扉の前に立つ護衛に近づき、俺は頭を掻きながら事情を説明する。


「すみません。服、借りっぱなしで……返しにきました」


 護衛は一瞬だけ俺の格好を見て、すぐに納得したように頷いた。


「少々お待ちを」


 重たい扉が開き、俺は謁見の間の外へと通される。


 そこはさっきまでの空気が嘘みたいに静かだった。


 そして――ちょうどその時だった。


 少し先に、ガラテアがしずかの元へと歩み寄り、部屋へ案内しようとしているところが見えた。


 俺はタイミングの悪さに、なんとも言えない気持ちになる。


 ……いや、俺が悪いんだけど。


 ガラテアが振り返る。


「はぁ……何をしているんですの?」


 呆れたような声だった。


 俺は居心地悪そうに肩をすくめる。


「すみません。服借りっぱなしでした」


 ガラテアは深いため息をつき、顎で先を示した。


「お姉さまと一緒に案内いたしますから、着いてきて下さい」


「……はい」


 俺はガラテアとしずかが話しながら歩く少し後ろを、とぼとぼとついていく。


 なんだろうな。


 こういう場所って、俺の居場所じゃないって感じがする。


 しずかは、いつも通り無表情だ。


 でも、その無表情がこの城の空気に妙に馴染んでいる。


 ガラテアが歩きながら、ふと思い出したように口を開いた。


「そういえば……指輪を外した後のことですわ」


 その声に、しずかの足がほんの一瞬だけ止まった気がした。


 ガラテアは続ける。


「たけるさんの視線を追っていたら、お父様のところで止まりましたわ。少し驚いていたような気もしますし……お姉さまが何かしたのではなくて?」


 しずかは淡々と答えた。


「少し確認していた」


「確認……?」


 ガラテアが首を傾げる。


 しずかは少しだけ視線を遠くにやり、短く答える。


「王冠。結界」


 その言葉で、ガラテアはすぐに理解したらしい。


 口を閉じ、静かに息を吐いた。


「……なるほど。そういうことですのね」


 俺は会話の内容を理解しきれていない。


 けど、しずかが“何かのために”動いたことだけは分かった。


 あの場で、王の頭を叩いたように見えたのも――遊びじゃなかったのか。


 ガラテアは少しだけ悔しそうに眉を寄せ、しかしすぐに笑みを作った。


「お姉さまは、たけるさんに本当の理由は言わなかったのですね」


 しずかはあっさりと言う。


「サプライズ」


 ガラテアの顔が微妙に引きつった。


 そして次の瞬間、小さく笑った。


「……ふふ。悔しいですわ」


 その声は、どこか羨ましさを含んでいた。


 それが何に対してなのか――俺はなんとなく分かってしまった気がした。


 そうしてガラテアの部屋へ案内され、しずかは侍女に手伝ってもらい着替えることになった。


 俺は外で待つよう言われ、廊下に一人取り残される。


 なんとも情けない。


 謁見の間で堂々と立っていたつもりだったのに、こうして廊下に一人で立っていると、急に現実に引き戻される。


「……はぁ」


 自然とため息が出た。


 どうにもあの場所に、俺はいたくないのかもしれない。


 額に手を当て、頭を落とす。


 すると――袖口に違和感があった。


「……ん?」


 俺は自分の服の袖を見た。


 白を基調にした衣装、その袖口に。


 すっと一本だけ、黒い糸が縫い込まれている。


 飾りか?


 模様か?


 そう思ったが、反対側にはない。


 ……いや、これ。


 明らかに意図的だ。


 誰が?


 いつ?


 俺は無意識に、その黒い糸の部分を指でなぞる。


 その感触が妙に引っかかって、胸の奥が少しだけざわついた。


 その時、扉が開いた。


「たける様、中へ」


 侍女に呼ばれ、俺は部屋へ入る。


 そこには、元の服に着替えたしずかが立っていた。


 さっきまでのドレス姿も綺麗だった。


 けど――


 いつもの服装のしずかを見ると、俺はほっとする。


 変な話だけど。


 あっちのしずかは“王女”で。


 こっちのしずかは、“いつものしずか”だ。


「それで……俺はどこで着替えれば?」


 そう聞くと、侍女が当然のように言った。


「その衣装は、今後また城へお呼びする際に着用できるよう、お持ち帰り下さいませ」


「……え?」


 俺は思わず声を漏らした。


「いやいや、こんな高そうな服、家で保管するの怖いんですけど」


 侍女は一切表情を変えずに答える。


「衣装箱もご用意いたしますので問題ございません」


 ……問題はそこじゃない。


 俺は渋々頷くしかなかった。


 そして馬車へ向かうため、ガラテア、しずか、侍女が先を歩き、俺はその後ろをついていく。


 城の廊下は相変わらず広く、静かで、よく分からない絵画が飾られている。


 歩いているだけで疲れる。


 そんな中――ガラテアがふっと速度を落とし、俺の横に並んだ。


 侍女にしずかを任せ、俺だけに聞こえる声で言う。


「お姉さまが、たけるさんの作ったお菓子が城のものより美味しかったと言っていましたわ」


「……はぁ」


 俺は気の抜けた返事をした。


 ガラテアは続ける。


「今度食べに行きますから、用意しておきなさい」


 その言い方は命令口調だったが、どこか納得していない顔をしている。


 俺は内心で叫んだ。


(また来るのかよ……!)


 だが口には出さない。


「わかりました」


 するとガラテアは、ふと俺の袖に目を向けた。


「あら……?」


 その視線の動きで、俺も思い出す。


 さっきの黒い糸。


 ガラテアは目を細め、まるで答え合わせでもするように呟いた。


「……なるほど」


 俺は思わず聞き返した。


「これ、何なんですか?」


 ガラテアは一瞬だけ口元を緩めた。


 そして、声を落として言った。


「これは……“宣言”ですわ」


「宣言?」


 意味が分からない。


 ガラテアは前を歩くしずかの背中を見つめたまま、淡々と言う。


「お姉さまは、口数が少ないでしょう?」


「……まあ」


「だから、こういう形で言うんですのよ」


 ガラテアは俺の袖口に縫い込まれた黒い糸を指で軽く触れた。


 まるで、そこに意味を刻むように。


「――“あなたは私の側の人間です”と」


 俺は言葉を失った。


 ガラテアは小さく笑う。


「お姉さまらしいでしょう?」


 俺は、もう一度その黒い糸を見た。


 ただの一本の糸。


 なのに、妙に存在感がある。


 しずかの顔を思い浮かべる。


 いつも淡々としていて、何を考えているのか分からなくて。


 だけど――


 こういうところが、しずからしい。


 俺は無意識にその黒糸をなぞりながら、前を歩くしずかを見た。


 その背中はいつも通り静かで、何も語らない。


 けど、確かに何かを語っていた。


「……ほんと、困った王女だな」


 俺がそう呟くと、ガラテアはくすっと笑った。


「ふふ。たけるさんも大変ですわね」


 俺は小さくため息をつきながらも――


 なぜか、胸の奥が少しだけ温かくなっているのを感じていた。

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