第6話 それから
二月に入って、本格的にライブの準備で忙しくなる前にオフコラボ配信をしようということになった。十分忙しそうだったのに、今以上に忙しくなるのかという心配はある。けれどレイは負けずに最後までやり抜くだろう。そういう人だ。
レイに会いたいけれどライブに専念してほしいという春斗の葛藤が、「一緒に配信をするついでに泊まっていってもらう」という答えを出した。少なくとも週に一度、多い時は週に四度くらいはFTSOで顔を合わせるというのに、ゲーム内だけでは物足りない。それはレイの方も同じだったらしく、オフコラボの提案は喜んで承諾してくれた。
駅のサイネージ広告前で立っているレイを見つけ、駆け寄る。
「ごめん、お待たせ」
鍋の準備をしていたら家を出る時刻を過ぎてしまって、走って駅まで来た。結局三分の遅刻だ。
「大丈夫だよ」
今日のレイも可愛い。今日はキャップを被っておらず、マスクとマフラーとコートだけを身につけていた。先日より夜と朝が冷え込むようになっているが、これで平気なのだろうか。
「寒くない?」
「めっちゃ寒い。手袋忘れたんだよね」
コートのポケットに手を突っ込んだレイが、冷たい風に悲鳴を上げる。
「十分で着くから」
「うん」
「こっちきて」
「うん?」
レイと並んで腕をくっつけた。レイの右手をポケットから引っ張り出して春斗の左ポケットへ招く。着替える時間がなくてよかった。スウェットだから、と全身を隠すようにロングコートを着てきたのだ。低い位置にポケットがある。
「ちょっ、ハル」
焦って逃げようとする右手を力強く握る。確かにレイの指先は冷たかった。春斗も高体温ではないが、これがしてみたかったのだ。
「誰も見てないよ」
駅から家までの道のりだ。繁華街を歩くわけでもない。日も沈んでいて薄暗い。疲れたサラリーマンやスマートフォンを持つ学生が、並んで歩く二人の手の行く先をわざわざ確認しないだろう。距離が近いとは思われるかもしれないけれど、それ以上の興味はないはずだ。有名な芸能人でもあるまいし、誰かに見られて大騒ぎされることもない。
レイは大人しく手を繋いだまま春斗のマンションまで歩いてくれた。
右手で鍵を回してエントランスの自動ドアをくぐる。エレベーターを呼んで五階で降り、自室の扉の前で再び鍵を回した。手は繋いだままだ。
玄関扉を閉める。そのまま扉にレイを押しつけて、マスクを下げたレイが少し顎を上げる。顔を近づけて、二人で目を瞑った。
ゲーム外で恋人同士になってから、対面するのは初めてだ。通話をしたり、配信をせずにゲームで遊んだりはしていたが、二週間以上経ってようやくの逢瀬である。
世間一般の恋人同士はどのくらいの頻度で会うのだろう。正直春斗は今日までレイに会いたくてたまらなかった。
何度も啄んで、ようやく離れる。レイを見下ろす春斗も、こちらを見上げるレイも、息が上がっていた。
「……おじゃまします」
「うん」
靴を脱いで廊下を歩く。キッチンを通り過ぎるとリビングとして使っている部屋だ。夕食としてすきやきを用意した。あとは温めれば食べられるというところまで準備が出来ている。食事は、配信が終わってからだ。
リビングには家庭用ゲーム機であるPlay Galaxy 4、配信用ノートパソコン、マイクを用意した。
「荷物その辺に置いていいよ」
ローテーブルの辺りを指して言う。リュックと紙袋を置いてレイもそこに着席した。時刻は午後六時三十分。午後七時から配信をすると予告しているため、まだ余裕はあった。春斗は買い置きしている五百ミリリットルのペットボトルの水を冷蔵庫から二本取り出す。
春斗はそれを持ってレイの左隣に座った。
「一応レイアウトこうしたんだけど」
マイクを繋いだノートパソコンを手繰り寄せて画面を見せる。
真っ黒な画面の下部中心にSDキャラクターのイラストが浮かんでいた。宣伝動画を見たところゲーム画面は基本的に二分割されるようだったから配置はこれでいいはずだ。
「あ、かわいー。描いてもらってよかったね」
「うん。ナイス提案だった」
レイがにこにこで画面を見る。コラボ配信をするにあたり画面上に何もないのはさみしいだろうとレイが発注してくれた。春斗一人ならいいが、同じ空間にれいがいるうえで実写ワイプを映すのはあり得ない。バーチャルアバターを表示してもいいが、その場合はレイ一人になってしまう。それらの代わりのイラストだった。
世界観や服装を統一したいからとSDキャラクターの元はFTSOのキャラクターを使ってもらった。確かに実写のH4ruと、精霊という設定があるレイが並ぶよりペア感がある。FTSO内でのコラボではないが、出会いのきっかけはそれなのだからいいだろう。
「冬雪の制服、本当に可愛いんだよなあ」
自画自賛をするレイを見つめ、そういえば、と思いついたことを口にした。
「レイも冬雪みたいな格好したいって思うの?」
「え、全然」
即答に笑う。女性になりたくて女性アバターを使っているわけではないようだ。こういう話は、対面でないとできない。
「こんなの似合わないでしょ」
「うーん」
曖昧に応えておいた。春斗より身長が小さく、丸顔のレイは本気を出せば似合うのではないかと思ってしまったからだ。
雑談をしながらゲームを起動し、コントローラーの設定をするなど配信の準備を整える。
パソコンの画面上で時刻が七時になったことを確認し、配信開始ボタンをクリックした。
「あー、聞えますか? 音小さい? 上げようか」
スマートフォンで自分の配信を開いてコメントを確認する。ノートパソコンでは画面が小さくて、コメント欄が見づらいからだ。
「物音拾ったらごめんね」
謝罪をしてマイク感度を上げる。配信に反映する音量も上げて、これでどう、と問いかけた。
「はい、じゃあ今日はなんと、事前に告知したとおり、俺の家にレイが来てくれてます」
ぱちぱちと手を叩く。コメント欄には普段見かけない視聴者も多い。レイのファンだろう。
「はーいこんばんは、ぶいタメ所属4SEASONSの冬を司る精霊、冬芽レイです。今日は誘ってもらったので遊びに来ました。よろしくお願いします」
挨拶を終え、今日やるゲームを紹介する。オフライン版しか出ていない協力ゲームのため、スタジオや家で一台の機器を使わないと出来ないものだった。
大まかなあらすじとしては喧嘩をしていた二人が異世界に飛ばされてしまって、協力して最後までクリアすると元の世界に帰れるというものだ。それ以外の細かいストーリーがあるゲームではない。
ステージの進め方は、二人の小さいキャラクターを操作してパズルを組んだり、タイミングを合わせてボタンを押したりして各ステージを進んでいくというものだ。パッケージには「二人の絆が試される!」と書いてあった。難易度は小学校低学年の子供同士でも遊べる程度。
「これそっちのスイッチ押さないと開かないやつじゃない?」
「俺? あ、ほんとだ。はい」
「ありがとー。通れる通れる」
雑談をしながらできるように、と軽い気持ちで選んだゲームだったが、案外しっかりとした連携が必要だった。余計な話ができるようになったのは中盤からだ。それでも、ゲームに慣れてくると悪戯心が芽生えてくる。
例えば、春斗が長押ししていないと通れない扉を途中でわざと閉めてみたり。
「あちょっ、ハル!」
ぱし、と隣から肩を叩かれる。インターネット上の存在ではなく、隣にいる実感が嬉しくて笑った。ヘッドフォン越しじゃない声も存在感があっていい。
「笑ってないで早く通してって!」
「ごめんごめん」
そうして二時間ほどのコラボ配信は、想定以上の盛り上がりで終了した。
「これから俺らはすきやきを食べるので、配信終わります。レイ、何かある?」
「えーっと、明日の配信はないです。あとはSNSを見てください!」
「はい。じゃあ二人で挨拶しよっか。せーの、ばいばーい」
カメラで映していないというのに手を振ってから配信を切った。自分でもテンションが上がっているのがわかる。
「はあー……、楽しかったぁ」
れいがコントローラーを置いて伸びをした。
「意外と面白かったね」
「騒ぎすぎてお腹すいちゃった」
「はは。温めるから待ってて」
すきやきを作るというのは事前に共有している。嫌いなものを入れたくなかったからだ。レイはすきやきの具の中に嫌いなものはないと言った。
「ちょっといいめの肉にしといた」
やった、とレイが喜ぶ。午前中、事務所へ出向いていたため外出ついでに肉専門店で購入した。スーパーの肉の二倍以上の値段だが二人分なら大した額ではない。
「レイ、そのマイクとか適当にテレビ側置いてもらっていい?」
「はーい」
キッチンの棚からカセットコンロを取り出してガスをセットする。それをローテーブルに置いた。
「火見ててほしい。ほとんど火は通ってるから、沸騰したら切っちゃって」
「わかった」
春斗は二人分の食器とカトラリーを揃えてローテーブルに出す。レイが酒に弱いのは知っているが、缶チューハイを買ってきていた。泊まる予定なので酔っ払って帰れなくなることはない。
味の種類は林檎、柑橘、葡萄。それを持ってリビングへ行く。
「飲む? 水と緑茶もある」
「んー……、これ飲みたい」
「どーぞ」
レイが選んだのは季節限定の冬林檎チューハイ。既視感がある。考えながらレイの向かいに座った。そしてどこで林檎を見たのか思い出す。
「レイ、林檎好きなの」
「なんでわかったの」
「打ち上げの時も飲んでたから」
そう。打ち上げ会場でも飲んでいた。アルコールが弱いサワーだったのに寝てしまって、春斗は自らの理性と葛藤しながらタクシーで家まで送り届けたのだ。
「そういえば。好きなんだよね、林檎」
レイの好みを一つ知れた。
春斗は自分用に買ってきたハイボールの缶を持ってプルタブを起こす。それに倣ったレイの缶と乾杯をした。
「いただきます」
二人で手を合わせて挨拶をする。ぐつぐつと煮える二人分のすきやきをあっという間に平らげた。満腹になってからも空の鍋を前にだらだらと話し続ける。
「レイは今日も練習?」
「そう。あ、ねえお土産持ってきたんだった」
レイは持ってきた紙袋を掲げた。それを春斗に渡してくれる。開いてみると、中身はドーナツだった。
「美味しそう。今食べる?」
「僕はお腹いっぱいかも」
「じゃあ明日の朝ご飯にしよう」
せっかく買ってきてくれたのだから、二人で食べたい。そう提案すると、レイは照れながらうんと頷いた。朝まで一緒にいられるのかと思うと喜びがこみあげてくる。
コンロや鍋、食器を片付けている間に、レイには風呂に入ってもらった。最後に洗った鍋を拭きあげて自分も入浴の支度をする。まだ上がってこないレイを待ちながら、Stream Channelをザッピングした。
「あ、今日アプデ日か」
XXXの大型アップデートが今日だったらしい。恐らく昼には済んでいて、もう解説動画を出している人がいる。それを流してなんとなく内容を追った。
「お、お待たせ。遅くなっちゃってごめん」
「全然。俺も入ってきちゃうね」
しばらくして出てきたレイと入れ替わりで風呂に入る。リモコンは好きに使っていいと手渡した。
他人の湯気が残る浴室に入ることなんて、もう銭湯以外で経験しないことかもしれない。レイの残り香のように感じながら息を吸う。ちょっと気持ち悪い思考かもしれない。
シャワーを浴びて身体を清め、ドライヤーで髪を乾かしてからリビングに戻る。レイがStream Channelで歌動画を流しながらローテーブルに上半身を伏せて眠っていた。
「おつかれ」
小さく声を掛ける。テレビを消すとレイが目覚めた。
「……寝ちゃってた」
「いいよ。俺も疲れたし、ベッド行こう」
「うん」
春斗の家のベッドは、ひと二人であればぎりぎり一緒に眠れる大きさだ。ただし寝返りが出来る隙間はない。
「奥行って」
壁際にレイを誘導して、春斗もベッドにあがる。普段かからない荷重にベッドがぎし、と鳴いた。
レイは壁に背を向けて春斗のほうを向く。上半身を起こした春斗をじっと見つめてきた。
「ハル」
妙に湿っぽい声で名前を呼ばれる。視線を移すと、レイの潤んだ瞳とぶつかった。
「なぁに」
どきどきしながら手を伸ばす。黒髪を撫でて耳に掛けた。
「しないの?」
眉を八の字に下げて小さく問いかけられる。このシチュエーションで「しないのか」と訊かれるのは九十九パーセント性行為だろう。
覆いかぶさってしまいたい衝動をぐっと堪えながら、春斗はレイのこめかみに口づけた。
「レイのライブ終わるまでは、しない」
「そんな、」
春斗は勝手に、レイに挿入する側だと思っている。入れられる側は身体の負担が大きいだろうし、練習の支障になってはいけない。残り一ヶ月もないのだから、そのくらいは待てる。
けれど、ライブがあるレイの方が不満そうな顔をした。
「したかった?」
「しっ……まあ、うぅん……」
煮え切らない返事にくすりと笑う。ちゃんとれいにも性欲があって、行為をしたいと思って泊まりに来てくれたことが嬉しい。
春斗は顔を近づけて頬にキスをした。れいを仰向けにして、額と鼻先にもそうする。
ぽんぽん、とれいの下腹部を優しく叩いた。男性に子宮はないけれど、入るならここだ。
「俺、するときはここに挿入れたいと思ってるんだけど、レイはそれでいい?」
確認をすると、れいがこくこくと頷いた。顔が真っ赤に染まる。
だったら尚更、ライブが終わるまではお預けにするしかない。
「ちゃんと好きだから、大事にさせてね」
宥めるように言って、ようやく唇同士を触れあわせた。セックスはしないがキスは出来る。
「ん、ぅ」
互いを確かめるように角度を変えて啄んでいるうちに、お互い息が上がってきた。一度離れて至近距離で見つめあう。
「ハル」
「レイ」
たまらないというようにレイが腕を伸ばしてきた。手首を首の後ろでクロスさせて、引き寄せられる。薄く開いたレイの唇の間を舌で割った。熱を持った口腔内で舌先を触れあわせる。そうして粘膜を擦っているだけで、体温が上がっていく。自身の下腹部の兆しは気づかないふりでキスを続けた。春斗だけでなく、レイも勃っている。そこに触れて絶頂する顔が見たい。でもそこまでしたら止まれなくなるかもしれないという不安で、ブレーキをかける。
その日は布で覆われていない場所に残らずキスをしあってから、抱き合って眠りに就いた。
***
4SEASONSのライブ本番がやってきた。春斗は関係者席で招待されている。色んな意味でこの日をずっと楽しみにしていた。
ピンクと青とオレンジと白。四色のペンライトが綺麗な海をつくる。レイのメンバーカラーは白色だ。受付で「よかったら使ってください」と渡されたイベントグッズのペンライトを白色に点灯させて始まるのを待つ。
ゆっくり客席の電気が消えた。はじまる、と会場内がざわめく。ステージ上と左右にあるモニターに映像が映し出された。一人ずつ名前が表示されていく。その度に客席の女性達がきゃー、と声援をあげた。
映像が終わって舞台上の明かりが消える。次に明るくなったときには、ステージ上の横長モニターに四人の姿が映し出されていた。音楽がかかって、四人が踊り出す。
テンポの速いダンスミュージックだ。春斗は振るはずのペンライトを手に固まったままモニターを見つめる。スムーズなフォーメーション移動、関節がどう曲がっているのだろうと思うくらいの足の角度、指先の形まで揃った動き。まだ一曲目だというのに、圧倒されたまま動けなくなった。
すごい。陳腐な言葉しか出てこないが、本当にすごい。
あっという間に一曲目が終わり、MCを挟まずに二曲目が始まる。途中から、ようやく周りの動きに合わせてペンライトを振れるようになった。
三曲目はバラード。ステージ上には、レイともう一人が残される。ペンライトは一気にオレンジと白の二色になった。背中合わせで悲恋のバラードを歌い上げる姿は、ちょっと嫉妬するほど絵になっている。仕事、仕事と自分に言い聞かせながら美しいハーモニーを聴いた。そうしてレイが出る一曲一曲をしっかり聴いて、極力瞬きをしないように見て、脳みそに刻んだ。MCで配信が買えるという情報を得て、帰ったら買おうと決意する。
アンコールを含めて二時間半のライブを終え、春斗は事前に言われたとおり受付で名前を告げてバックヤードへ訪れた。
「ハル!」
春斗を見つけたれいが、汗だくのまま駆け寄ってくる。身体に着けていただろう器具は取り去ってあった。レイ、と声を出す前に抱きつかれる。勢いが良すぎて春斗がよろめいた。
「ちょ、レイ、」
人前でそんな大胆に、と思いながらやんわり身体を引き剥がす。
「どうだった?」
あっさり離れたれいが首を傾げた。
「すっっっごい、よかった」
「よかったあ……」
ほっとしたように息を吐く。こめかみを汗が流れていった。
「おつかれさま」
その汗を拭ってやる。たくさん頑張っていたからこそ、成功が嬉しいのだろう。驚きと発見と感動があるライブだった。バーチャルストリーマーとは言うが、ほとんどアイドルと同じだ。春斗のようなただの配信者とは違う。それが努力の上に成り立っていることを知っているからこそ、レイを改めて尊敬した。
「ちょっと時間かかるかもだけど、帰れるから」
事前にもらった連絡と同じことを言う。
「待ってるよ」
お互い待てないからと、今日の夜、春斗の家に来てもらう約束をした。スタッフを含めてやりたいとのことで打ち上げは別日。明日は、丸一日休みらしい。
春斗は入退場口とは別の関係者出入口から外に出て、先に家へ帰る。電車に乗っている間ライブを反芻しながら配信を買った。
少しだけ昔を思い出す。プロゲーマーの大会というのは、オフライン会場での開催だ。全チーム同じ場所へ集まって、オープンな場で正々堂々戦う。その会場にはたくさんのファンが駆けつけて応援をしてくれていた。ペンライトこそなかったが、撃ち勝ったときの声援はヘッドフォンを貫通するほどの威力があったと思う。
懐かしい。ああいう期待を、きっとレイも背負っているのだ。
春斗は家についてベッドを整えた。シーツを新しくして皺ひとつなく伸ばす。それから部屋着も洗濯したばかりのものを選んで、風呂に入った。髪を乾かしている途中でスマートフォンが震える。着いたらしい。
玄関でレイを迎える。髪は半乾きだがいいだろう。
「お待たせしました」
靴を脱いでフローリングに足を上げたレイを、廊下の壁に引き寄せる。顎を掴んで上を向かせ、眼鏡を抜き取った。
「キスしていい?」
訊ねると、レイは小さく頷く。髪の毛を耳にかけて、マスクのゴム紐をそこから外した。露わになった唇に己のそれを重ねる。さっきまでファンのために言葉と歌を紡いでいた唇。そう考えると余計に興奮した。体温が上昇していく。堪らなくなって、レイの手首を掴み寝室へ向かった。
***
余韻を引き延ばすように、顔や腕、腰や胸などを撫であって、手を繋いだりキスをして時間を過ごす。
それから身体のどこかをずっと触れあわせながらシャワーを浴びた。お互いに髪を乾かしあって、寝室で服を着て、整え直したベッドに寝転ぶ。
向かい合わせで見つめ合った。どちらからともなく指先を絡ませて手を繋ぐ。部屋の中はしんとしていて、この世にふたりきりなのではないかと錯覚してしまうほどだった。
サイドボードに置いてあるスマートフォンを使ってSNSで発信をすれば数秒でたくさんの人から反応が返ってくる世界に生きているのに、インターネットに触れないとこんなに静かになる。
「ねえ、ハルはどうして僕のこと好きになってくれたの」
唐突な問いだった。
「言ってないっけ」
「聞いてない」
確かに好きだと言いあって身体を繋げるまでしたが、どうしてかまでは話していなかったかもしれない。しかし、あまりにも短絡的すぎて恥ずかしい。
「……ハル?」
「ああー……その、顔、……なんだよね」
その大好きな顔から目を逸らしながらぼそぼそと理由を話した。
「え、」
「最初に会ったときから、レイの顔が、本当に好きで……」
レイはぱっと頬に手を当てて、視線を彷徨わせた。
「そんなこと、初めて言われた」
「で、でもその前からいい人だって知ってたから。だから好きになったんだよ」
なんとなく言い訳のように聞こえる。しかし、人として好ましく思っていたのは事実だ。例えば何も知らずに街で見かけて、レイの顔だけでレイを好きになるようなことはない。FTSOで一緒に時間を過ごした上で、顔が好きだったという話をしている。
「レイは否定するかもしれないけど、やっぱり練習して結果出してるのはすごいことだと思うな。今日のライブだって、大成功だったし」
肯定しすぎると、またあのときのようにレイを傷つけてしまうかも知れない。それでも伝えたかったから、一言断ってから、褒めた。
「ハルにそう言われると、そういう気がしてきちゃうよ」
「もっと天狗になれー」
あれだけの人達を楽しませられたのだ。レイはもっともっと自分を誇っていい。手を伸ばして、レイの髪を撫でた。
「まあでも、これからも頑張りたいなって思ったかな」
「ライブ?」
「うん。へこんだら、春斗が慰めてくれるでしょ」
「もちろん」
ちゅ、と額に口づける。
「だからね。これからも、よろしくね」
上目遣いで乞われた。顔が好きだと言ったからだろうか。ずるい。そんな顔をされたら、嫌がられても手放せなくなる。
「こちらこそ」
春斗はレイの背中に手を回して、引き寄せる。
牧師もおらず、正しい誓いの言葉もないけれど、この先を誓うキスのつもりでやさしく唇を触れあわせた。




