第2話 告白
満天フェス当日。キッチンカーで出店する冬雪は先に現地で仕事をしていて、ハルはログイン後しばらくメカニックの仕事をしてからそちらへ向かった。
海が見渡せる展望台は、街の東側にある。マックスギアからも近い。車で一分も経たずにたどり着く距離だ。
会場である白い展望台の入口に、大きなステージが設置されていた。普段はただ展望台があるだけの場所だから今日のためにアップデートしたのだろう。
春斗は画面内でキッチンカーを探してそちらへハルを操作する。キッチンカーは二台停まっているが、水色と白に塗装された方がフェアリーサンドだろう。制服や内装と同じ色だ。
「冬雪」
ちょうど人が途切れたタイミングだった。車の中に立っていた冬雪がハルに気が付いて声を掛けてくる。
「ハル! おはよー」
制服も特に変わりなく、いつも通り、勤務中の冬雪だ。
「おはよ。売れてる?」
「うん。みんな結構買ってくれる。嬉しいよね」
結構、とはどのくらいだろう。この街の住人が飲食物を買う時は大抵十個単位だ。嬉しいと言って冬雪が喜んでくれるなら春斗もたくさん買いたい。幸いゲーム内では金銭的にかなり余裕がある。
「俺も買う。五十ちょうだい」
「えっ、五十個? いいの、そんなに」
「持てると思うよ」
「そうじゃなくて、限定メニューだからちょっと高いし」
高い、という言葉にカウンターの下のメニュー表を見た。先日渡してくれたものと同じ写真が掲載されている。価格は二万円。普段一万円で売っているからたった二倍だ。そこまで高くはない。
「高くないだろ」
「あ、ありがとうっ。準備するから、ちょっと待ってね」
戸惑いつつも喜んでもらえたことが声音で分かる。半分はメカニックの食料庫に入れようと考えながら準備をする後姿を眺めた。ふとメニュー表に目線を落とすと、お飲み物は後ろのキッチンカーへ! という文字が目に入る。振り向くとグラスホッパーのキッチンカーが停まっていた。ここでようやく、もう一台のキッチンカーがグラスホッパーだったことを思い出す。
「お待たせしましたー」
向こうのキッチンカーの中にいるのがカナリアかどうか判別する前に、冬雪の声で引き戻された。渡されたサンドイッチ五十個をポケットに詰める。
「あとこれチケット! 全然渡せてなくてごめん」
「いや、俺もいなかったし」
満天フェス、とポップ体の文字が躍るチケットもポケットへ入れた。これがあればこのキッチンカーの先の客席スペースへ立ち入ることができる。
「冬雪はいつまでここにいなきゃいけないの」
「始まる五分前くらい? 後ろの方で見てようかなって」
「そう。じゃあ俺もギリギリでいいや」
冬雪に誘ってもらって来ているし、他に一緒に見たい相手もいない。始まるまであと十五分はある。
「誘っておいてごめんね」
「冬雪が誘ってくれなかったら来なかったし、一緒に見れるならどこでもいいよ」
ハルにとって今日の目標はライブ終わりに告白をすること。ライブを見ることはさほど重要ではない。誘われるまで行く気もなかったイベントだ。
「え、じゃあこのキッチンカーもうちょっと前に出してさ、上に乗って見ようよ。めっちゃ見やすくない?」
「あはは。なにそれチケットいらないじゃん」
「いやさすがにチケットないとライブ中この辺から追い出されちゃうよ」
ハルと冬雪が会話をしているところに、別の客がやってくる。
「いらっしゃいませー」
冬雪はすぐに接客モードに切り替わってにこやかに対応を始めた。店員ではないため黙ってキッチンカーから離れる。
手持ち無沙汰になってグラスホッパーのキッチンカーを覗くと、店員の好人がいた。カナリアでなくてよかったと胸を撫でおろす。
「こんにちは」
「ああ、やっぱりハルくんだ」
フェアリーサンド以外の飲食店に行くことが少ないため、好人と会うのもかなり久しぶりだった。特段仲がいいわけではないが、好人とも初日からの付き合いである。
世間話をしつつ、限定メニューの青いクリームソーダを十個購入した。
「そろそろ始まるね。チケットはある?」
「あ、はい。冬雪と約束してるので」
ばいばい、と可愛いモーションで手を振られ、ハルも振り返す。ちょうどキッチンカーの扉を閉めた冬雪が車に乗り込むところだった。
「ほんとに車から見るの」
問うと、当たり前じゃん、と返ってくる。こういう、おとなしそうに見えてギリギリを攻めるようなことをするところが好きだと思った。冒険心があるというのだろうか。
「綾乃ちゃん、これチケット。私たちここから見ます」
入口に立っている女性に話しかけた冬雪がチケットを渡す。ハルもそれに倣った。パルクールモーションを使って車の上に乗ると、会場を上から見下ろす形になる。
「いいな、ここ」
思わずつぶやく。冬雪が得意げにふふん、と腰に手を当てた。
ちょうどMCの声が聞こえてくる。フェスの始まりだ。トップバッターを務めるのがマックスギアで一緒に働いている颯太。見に行くよ、と伝えたら喜んでいた。ハルがいつもこういったイベントに興味を持たないから珍しかったのだろう。
カバー曲二曲を歌って次にバトンタッチする。出てきたのは女性二人組。この街でパン屋を営んでいる双子で、ハモリがきれいなオリジナルソングを歌っていた。
その次に出てきたのがモネだ。
「お、モネくんだ」
冬雪が今までよりちょっとだけ嬉しそうで、もやもやが生まれる。彼を見に来ているのだから当たり前なのだが、やはり面白くなかった。
告白をすると決めたからか、冬雪のモネに対する反応がいちいち気になる。
「初めましての人も、僕のことを知ってくれている人もこんばんは! モネです」
ギターを持った男がステージ上にあがった。青いベストに黒ネクタイで長袖の白ワイシャツを着ている。ステージ衣装にしては地味なほうだ。この街には派手な洋服がいくらでもある。トップバッターの颯太はメカニックの宣伝も兼ねてツナギを着ていたから、男性陣はそんなものなのかもしれないけれど。
「それでは聴いてください」
タイトルコールのあとにギターの音が入る。前奏で、ハルでも知っている曲だと分かった。
伴奏はギター一本。純粋に歌声で勝負をしに来ている。実際音楽に興味がないハルでも分かるくらいずば抜けて上手い。普段どんな活動をしているのかは知らないけれど、音楽を主軸にしているのだろう。
「ありがとうございました! 来月はグラスホッパーさんでライブさせていただくので、よかったら見に来てくれるとうれしいです。それでは最後の曲です」
二曲目も同じ、ギター一本での伴奏。一曲目はゆったりとしたテンポの曲だったが、今度はアップテンポだ。九十年代ごろの曲だったと思う。耳にしたことがあった。
歌い終わった勢いそのままに、モネが退場する。そのあと二組ほど登場し、フェスは大盛況で幕を閉じた。
「みんなすごかったね」
「うん」
ハルは素直に頷く。冬雪に褒められる人々に羨ましさを感じないでもないが、春斗自身は歌が上手いと言われたことはないし、ここで見栄を張る必要はない。
「楽しかった。誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ。付き合ってくれてありがとね」
二人で車から降りる。動線を塞ぐ場所ではないため、車を移動させる必要はなさそうだ。人が引けるまで待っていられるだろう。
「車、どこ仕舞うの」
「主催に返すからここで待ってる」
「じゃあ俺も待ってよっと」
冬雪の隣に立ったまま会話を続ける。
「冬雪が何もなければ、この後ちょっと話があるんだけど」
「話?」
首を傾げたような声だった。改まって切り出すとなると緊張する。ロールプレイではあるが、春斗にとっても初めての告白だ。
「あー、えと、その、怖い話とかではない、と、思う」
いい話だよとは言い切れない。冬雪にとっては迷惑になるかもしれない。
「そうなんだ? 珍しいね、ハルのそういうの」
「あはは……」
そんな話をしていると、チケットのもぎりをしていた綾乃が声を掛けてきた。車の回収をしてくれるらしい。おつかれさまでした、と挨拶をしてキッチンカーを見送った。会場に残っている客はほとんど帰っている。そろそろ頃合いだろう。
「冬雪、こっち来て」
冬雪を連れて展望台のほうへ歩く。ステージ脇の階段を登って、展望台の入口を目指す。ステージ自体が展望台の前に作られているからか、展望台からは裏が丸見えになっていた。
演者たちがたむろしている。今日の成功を称えあっているのだろうか。まだいるね、とか適当なことが言えればよかったが、緊張でそれどころではない。
ハルの緊張が伝わったのか、冬雪も終始無言だった。螺旋階段を登る。画面には三人称視点でハルと冬雪が映し出されていた。
展望台の展望デッキにたどり着く。二人の目の前に、満天フェスという名前にふさわしい星空が広がっていた。
「意外ときれいだな」
「うん」
切り出し方を迷ったまま、空を見上げて固まる。
「ねえ、話って、なに?」
耐えかねたらしい冬雪がやわらかく問いかけてきた。
「いちおう、確認。冬雪って彼氏とかいないよな」
「いないね」
いないことを嘆くでもない、それが当たり前だというような言い方だ。プレイヤーが男だからか、恋人をつくることははじめから頭にないのかもしれない。
「じゃあ、ってわけじゃないけど」
キーボードを押下して、デッキの手すりに身体を預けて空を見ている冬雪の方に身体を向けた。
「俺を、冬雪の彼氏にしてくれませんか」
「……うぇ?」
間抜けな返事。ハルの告白が予想外だったのだろう。春斗自身も数日前までは予想もしていなかった。
「俺、冬雪のことが好き……だから」
ダメ押しのように好意を口にする。改めて音にするとなんだか気恥ずかしい。何の反応も返さなくなった冬雪をマウスカーソルでぐるぐるなぞった。
沈黙が長い。心臓がどくどくといつも以上に脈動している気がする。ゲーム内だけの話だということは分かっているはずなのに、口の中が乾いてきた。
今度は、ハルが耐えきれなくなる。ハルというより春斗の気持ちがもたない。
「返事はぜんぜん、今じゃなくていいから。聞いてくれてありがとう」
ぺこり、と腰を折るモーションを実行してから階段の方へ駆ける。
「待って!」
階段を半分ほど降りたところで呼び止められた。声の範囲を広げたのだろう。春斗は反射でキーボードから指を浮かせる。冬雪が、階段の入口に見えた。
「私でよければ、……彼女にしてください」
ハルの告白を倣った言葉だった。息が止まる。じわじわ身体が熱くなっていく。ロールプレイだと、ハルに向けた言葉だと分かっているが、春斗も嬉しい。
「ほんと?」
「本当」
去っていくのと同じスピードで冬雪の前に戻った。抱きしめるモーションを送る。冬雪が受けてくれて、フェアリーサンドの制服のままの背中に手を回した。エヴァと交わしたのとは違う種類の、恋人同士が使いそうなモーションだ。この街は十五秒同じモーションを保っていると勝手に解除されるシステムで、そうされるまで無言のまま抱き合った。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
先にそう言ったのは、冬雪。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
顔が熱い。春斗用のワイプを画面に出していないから誰にも見られていない。にも関わらず、お辞儀をしながら挨拶を交わした。
***
付き合う、と言っても日常は変わらない。ハルは今まで通りメカニックとして働くし、冬雪も今まで通りフェアリーサンドの店長として働く。空いた時間は二人でファームをする。実装前段階で出回るかわからない車の使用感を試す時はドライブに誘うし、フェアリーサンドの新作が出るときは試作品を真っ先に食べさせてくれた。これも付き合う前からしていたことだ。日常が戻ってきたと言った方がしっくりくるかもしれない。
「ハル、相談があるんだけど」
ちょうど恋人になって二週間。現実の季節と合わせて夏を楽しむため、浮き輪などが実装されたというので試しに海に来た。海の上に板状のフロートを浮かべて並んで寝転がっている。もちろんハルも冬雪も水着だ。現実と違って、日焼けをしないし暑さも感じない。眩しすぎもしないし、それがいいところだろう。
「ん? なに」
「今ね、ある女の子に毎日遊びに誘われてて」
初耳だった。春斗は前のめりで話を聞く。
冬雪によると、街案内をしたみなみが異常なほど懐いているらしい。店を開けるとすぐにやってくるし、募集をしていないと言っているのに何度も働かせてほしいと志願してくるし、店を閉めるときにSNSに投稿すると必ず電話がかかってきて一緒に過ごそうとする。その度に人と約束があるとか、今日はもうログアウトすると言って断っているらしい。
「最初は嬉しかったんだけど、なんか、ちょっと怖くて」
「それは怖いな」
「だからね、ハルと付き合っていて、って話をしたら今より誘われなくなるかなあ、と思ったんだけど」
ハルも冬雪も、付き合っていることを積極的に公表はしていない。ハルは相談に乗ってくれたエヴァには伝えたけれど、冬雪は誰にも言っていないらしかった。
「俺はいいよ。近々カナリアにも言わなきゃかなーって思ってたとこだし」
「……ありがとう」
ほっとしたような声に、心配が増す。
「店閉める時とか、困ったら呼んでよ」
「ん。そうしようかな」
みなみがどうして冬雪にそこまで懐いているのかは知らないが、交流サーバーである以上、相手の意思も尊重してプレイをするべきだ。これはハルではなく、ハルを動かす春斗としての感覚だけれど。
「ていうか、多分、店開けたらくるから、一緒にお店来てくれる?」
「いいよ。行こう」
冬雪の提案にすぐに身体を起こした。みなみの前へ彼氏です、と出ていった方が説得力はある。フロートをポケットに仕舞い、砂浜を歩いて車に乗った。そのままハルの運転でフェアリーサンドへ向かう。
店の前で車から降りて、お互いが水着のままここまで来てしまったことに気がついた。
「ハルも中で着替えなよ」
着ているものを変えるには、クローゼットがセットされた場所に行くか着替え用バックというアイテムを使うしかない。手持ちにアイテムはなく、店の中で着替えさせてもらうことにした。
「ねえ見て、服残してるの」
普段着に着替える前、なんとなく一度、フェアリーサンドの制服に着替えてみる。一日体験アルバイトの時に保存して以来ずっと残してあった。
「えっほんとだ! 働く?」
「雇ってくれるの」
「今日だけならね」
なんでそこは頑ななんだ、と思いながらクローゼットを開く。私服セットの中身を上から順番に確認した。
「まあ、今日の俺は彼氏の顔してなきゃだからな」
従業員ではなく、冬雪の彼氏としてみなみに会う。
私服セットの中に、ちょうど夏らしいものがあった。確かメカニックの同僚とバーベキューに行った先月に作ったセットだ。黒のセットアップで、インナーとして白いティーシャツ、首元にはレザーのネックレスを着けている。足元は黒いサンダルだ。
「初めて見る服かも」
「どう?」
「ハルは黒似合うよね。かっこいいよ」
ふふん、と口角が上がった。冬雪に褒められるのは嬉しい。
「じゃあ開店報告するね」
スマートフォンを取り出した冬雪がSNSで「フェアリーサンド、オープンです」と発信した。ハルは自分のスマートフォンからそれを確認する。
果たして数分後、みなみは現れた。早すぎるだろう、と心の中で突っ込む。この調子で店を開ける度に来ているのだろうか。だとしたら本当に怖い。
「ユキさんっ。おはようございます!」
「おはよう」
「もうお客さんいるんですね。あ、えっと、」
一直線に入ってきたみなみがショーケースの前に立っているハルに気がついた。
「どうも、ハルです。初日にお会いしましたよね」
「はい! お久しぶりです」
本当に覚えていたのかはこの際どうでもいい。初対面はそうでもなかったのに、何となく、あまりいい感触のしない相手だ。冬雪が迷惑がっていることを知っているからかもしれないけれど。
「この街はどう? もう馴染んだかな」
あくまで自然な会話を心がけて、近況を訊ねた。この街ではよくある質問だ。
「んー……馴染んだかどうかはわかんないですけど、楽しいです!」
「それはよかった。どこかに就職したりしたの」
「いや、銀行強盗とコンビニ強盗で生計を立ててますね」
堂々と犯罪者宣言をされる。ただし組織名を言わないあたり、ギャングに属しているわけではないのだろう。犯罪者であること自体は珍しくない。
「ギャングに入りたいんだ」
「いやあ、そういうわけでもないんですけど」
「犯罪してるのに?」
「入りたい会社に入れないニートだと思ってくださいよぉ」
冬雪の話からして、入りたい会社イコール、この店だろう。そんなに冬雪と一緒がいいのだろうか。ハルでさえ職場は別々で満足しているというのに。
「み、みなみちゃん。何か買いに来たんでしょう。ご注文は?」
「今日のユキさんのおすすめを十個ずつで!」
冬雪がサンドイッチ十個、飲み物十個をみなみへ渡す。請求を送るまでの流れを黙って見守った。
「今日はどのくらいお店開けてますか」
「そんなに開けないかも。このあとデートなんだ」
「……デート?」
「ね、ハル」
話を振られる。
「うん」
二人で顔を合わせた。付き合っていることを言いたいという話だったが、これでよかっただろうか。
「ユキさんの彼氏なんですね」
「あんまり人に言ってないんで秘密にしといてくださいね」
「……はあ」
明らかにテンションが下がっている。これで冬雪への執着が減るのだろうか。どういう意図で冬雪に接触しているのか分からない以上、対応がこれで合っているかも分からない。
「じゃあお邪魔しないように今日は帰ります。また来ますね!」
みなみは手を振って店を出て行った。
「……良かった、のか?」
「わかんない。けど、ありがとう。助かった」
「んーん。冬雪のためなら何でもするよ」
自分の口をついて出た甘い言葉に、驚く。動揺してコメントを見ると「スパダリきちゃ!」「あっっっま」などと流れている。
「……うぅん、うん、」
冬雪がしゃがみ込むモーションをした。自分が恥ずかしいことを言った自覚はある。ちょっとだけ気まずい空気が流れた。恋愛ロールプレイを常にやっている人達はこれに耐えているのか。
「店閉めたらさ、ほんとにデートしよう」
「ん」
海で遊んでいたところだったから、海に戻ってもいい。ドライブをしてもいいな、と考えながら店の端へ歩いていく。設置されている椅子に腰掛けて、閉店を待つ。
店を閉めたあと、結局素材が足りないという話になって、一時間半素材集めをして、ゲームを終えた。
春斗はH4ruとして運用している現実のSNSで「今日もありがとうございました。恋愛ロールプレイおもろいね」と発信してキッチンへ向かう。おもろいと書いたがむず痒い、恥ずかしい、が本音だ。
キッチンの入口で立ち止まって深呼吸をする。いったんロールプレイのことは忘れよう。
一人暮らしを始めた当初からなるべく自炊をするように心がけている。実家にいた頃からやっていたから、苦ではない。一瞬脳裏を過ぎった実家の風景に気分が引きずられそうになる。放置されたままの食器、雑に置かれた一万円札、誰もいない家。
「何作ろっかなー」
頭を振って映像を消し、一人の部屋で努めて明るい声を出した。冷蔵庫に入れていた白米を使って炒飯を作り、映画配信サービスをで映画を一本観ながら遅い夕食を摂る。ゲームが出来なくなったとき何か他のことをしたくて映画を観ることにハマった時期があった。今でも時間があるときは気になったものを観るようにしている。
ロールプレイ交流鯖でゲームをしているのもそうだが、自分の人生ではないものを見聞きしたり演じたりするのは面白い。春斗がゲームを触り始めたのもたぶん、そういう理由だったと思う。FPSの戦場なんて実生活とは程遠い。だからこそのめり込んだ。
使った食器を洗い終わって、事務作業をするために防音室へ戻る。開きっぱなしだったSNSの画面に、春斗の文言を引用した「男同士のイチャイチャキモい。見てらんないわ」という文字を見つけてしまった。レイを描いたイラストをアイコンにしているから、彼のファンなのだろうか。少なからず不快に思う人がいるということは分かっていたが、向こうのファンにそういう思いをさせてしまうのは申し訳ない。
ただ自分の配信上では否定のコメントは寄せられないし、全員が満足する配信が出来ないのは人間である以上仕方がないと思う。ひとつのミスで末代まで呪われるんじゃないかと思うほど叩かれた経験がある側としては、このくらいは許容範囲内だ。
「レイさんのところに行ってないといいな」
呟いて、画面下部の通知に気がつく。配信者同士で連絡を取るときに使うアプリケーション、ツールズの通知だ。開くと、ちょうどレイからの連絡だった。
「時間があったらちょっと話せますか?」
恋人同士になったときですらこんな連絡は来なかったから、少し驚く。なにかあったのだろうか。先ほどの引用を思い出した。
「今からでよければ大丈夫です」
返事をして、向こうからのアクションを待つ。すぐに通話がかかってきた。ヘッドセットをつけてから許可ボタンをクリックして、こんばんは、と挨拶をする。
「すみません、メッセージさっき気づきました」
「あ、ううん。いつでもよかったので。……今日はありがとうございました」
二時間半ほど前に終えたゲームの話だ。ロールプレイが外れるとお互い敬語になることにすこしだけ違和を感じる。ゲーム内ではすっかり打ち解けたのに、友人ですらない気になってしまう。
「あれでよかったですか?」
「本当に助かりました。結構ずっと悩んでて、女の子同士だから断るのも難しくて」
「それで言ったら彼氏がいても女友達とも遊ぶと思いますけど」
「いや、申し訳ないけどこれからはハルを盾に断らせてもらいます」
「あはは、いいですよ、全然」
インターネットを通じて数百人、多いときで一、二万人以上に見られている。どんな相手でもある程度は丁寧に接しないと見ている人達の反感を買う。
「直接お礼がしたかったのと、なんかこうやって話したことなかったかも、と思いまして」
「たしかにそうですね」
声はほとんど変わらないのに、喋り方が違う。大したやり取りもしていないのに耐えられなくなった。
「レイさん、敬語じゃなくていいですよ。なんか変な感じするんで」
春斗は思わずそう提案する。レイはすぐに受け入れた。
「じゃあ、そうする。はる、でいいんだっけ」
「あ、はい。H4ruです」
「呼びやすくていいね。あとハルも僕のこと呼び捨てでいいよ? 敬語もいらないし」
ゲームの外で通話をするのが初めてで、まるで初対面のような会話を繰り広げている。ゲーム内の言動と行動だけで恋人関係にまでなれたのは、もしかしたらすごいことなのかもしれない。
「じゃあ、れい……?」
「うん。今度さ、別のゲームもやろうね」
「いい、っすね。大体暇なんで」
「ありがとう」
会話が途切れた。たったこれだけのために通話をしようと言い出したのだろうかと首を傾げる。
「……これ、ハルには言っておこうかなって思ってたんだけど」
案の定、この通話の真の目的はこっちだったのだろう。レイは真剣な声音で切り出した。
「浜菜みなみのプレイヤーの子、僕の昔からのファンらしいんだ。初日に街案内したあと個別でメッセージ来てて。ハンドルネームにも心当たりあったし、本当なんだと思う。セリ鯖に来たのも、僕目当てっぽくて」
FTSOをみんなで楽しむためのサーバーは大きさを問わずたくさん存在する。その中でもセリ鯖は配信者間で広く知られており、有名な配信者も多い。フォロワー数の条件をクリアするような配信者なのに、そういう私的な目的を持っていたのか。
「あー……ね? 察したわ」
「一応運営さんには言おうと思ってたんだけど、向こうも今ブイストだから、追い出すみたいになるのも申し訳なくて」
それで、ハルを盾に彼女を遠ざけようとしたのだろう。
「そういうことなら尚更、ハルのこと使っていいと思う。束縛彼氏でもなんでも」
「そこまでは悪いよ。助けてーって電話は掛けるかもだけど」
サーバー運営の責任者であるセリの考えも分かる。視聴者が多い配信者と視聴者が少ない配信者同士で交流をして、少しでも有名になる配信者が増えれば業界も活気づく。春斗はどちらかというと視聴者が少ない側だという自負もある。だからサーバーの在り方として運営側を責める気持ちはない。
普通に活動していればチャンネル登録者数やSNSのフォロワー数などの参加条件は突破できるはずだし、いちファンがバーチャルストリーマーとして活動をしていても「○○さんのファンです」と言わないでいれば誰にも気づかれない。今回は運が悪かったのだろう。
「ハルのことは、いつでも頼っていいよ。だいたいメカニックしてるだけだから」
「ありがとね」
それからしばらくゲーム内のことを話して、何かあったらロールプレイを通さなくても相談してくれと言って通話を切った。
女の執着は怖い。男の執着ももしかしたら似たようなものなのかもしれないが、幼い頃から身近にあったのは母親の、男への執着だった。その影響で女性との恋愛という選択肢が存在しなかったのかもしれない。
今更うっすらと気がついた事実に苦笑いをして立ち上がり、防音室を出た。




