高地の遺跡と騒がしい声(1)
夏の陽射しを受けながら、馬車は山道をゆっくりと登っていった。標高が上がるにつれ、乾いた風にひんやりとした涼しさが混じりはじめる。遠くの景色を眺めていたカルドが、視界の広がりに思わず声をあげた。
「おっ……いい景色だな! こういう依頼も悪くないね」
眼下には深い緑の森が広がり、その先には拠点の町の輪郭がかすかに霞んで見えていた。
「……観光気分か」ルゴルが淡々と返す。
「ちょっとはそういうのも、いいじゃないですか」ノースが小さく笑いながら続けると、カルドも肩をすくめて笑った。
やがて馬車は石畳を抜け、山腹の町へと入った。ここは夏の間だけ賑わう季節の町で、涼しさと古代遺跡を目当てに旅人が集まる。白壁の家並みと木造の屋台が並び、広場では観光客や冒険者たちの声が飛び交っていた。
三人は馬車を降り、中央広場に設けられた仮設のギルド受付へ向かう。木の屋根の下、職員たちが忙しく人をさばいていた。
「遺跡調査の依頼で来た。ルゴル、ノース、カルドの三名」
ルゴルが名乗ると、中年の職員が名簿を確認して顔を上げる。
「はい、確認しました。皆さんには南区画の調査をお願いします。遺跡はここからさらに二時間ほど登った先です。魔物の報告は今のところありませんが、もし出た場合は討伐もお願いします」
「調査って、どこまでやればいいんだ?」カルドが腕を組んで尋ねる。
「石板や装飾の記録が主ですね。詳細は地図に記してあります」
職員の答えに、ルゴルは受け取った地図を一瞥し、頷いた。
受付を終えると、三人は町の石畳を抜け、宿へ向かった。白い建物の壁が陽光を反射し、風が通り抜けるたびに乾いた涼しさが肌を撫でていく。
町を出てしばらくは緩やかな上り坂が続いたが、やがて石畳は終わり、土の山道に変わった。両脇には深い緑が広がっていたが、登るにつれて木々の背は低くなり、幹の間から夏空が広く見えるようになっていく。
カルドが先頭で大股に歩く。双剣の柄が揺れ、乾いた砂利を踏む音が軽快に響いた。
「ふー、やっぱ山はいいね。空気が乾いてるだけで、こんなに違うもんか」
「湿度が低いから、大分楽ですね」とノースが頷く。
「……標高はそれなりにある。まだ登り口だが」ルゴルは短く言った。
最初は歩調が合わず、カルドが前へ出すぎたり、ノースが足元を気にして遅れたりしていたが、会話を重ねるうちに三人の間合いは自然と揃っていった。
「ってかさ、俺、調査なんて初めてなんだけど。正直、俺はほとんどやることないんじゃないの?」
カルドが笑いながら振り返ると、ルゴルが視線を前に向けたまま答える。
「警戒は前衛の仕事だ」
淡々としたルゴルの言葉に、ノースが柔らかく笑み、頷く。
「ええ。僕も攻撃魔法は使えますが、こういう依頼は前衛なしでは受けられません。カルドさんがいてくれるから安心して調査ができます」
カルドは一瞬きょとんとし、それから声をあげて笑った。
「なるほどな。そう言われると悪い気はしないね。じゃあ、ちゃんと見張っておくさ」
足元の土は乾いていて、踏むとぱらぱらと崩れる。次第に白くなっていく道を登ると、木々の切れ間から白く風化した石組みがわずかに顔を覗かせた。ルゴルが立ち止まり、前方を見上げる。
「……あれが遺跡だ」
「おお、やっとお出ましか」カルドが目を細める。
ノースは深呼吸をひとつ置き、胸の奥がわずかに高鳴るのを感じた。
遺跡に近づくと、風にさらされた斜面の上に白い石組みが連なっていた。柱の一部は折れ、壁は崩れているが、階段や土台の輪郭はまだはっきりと残っている。陽を浴びた石肌が、淡い色に溶け込みながら陽の光を静かに返していた。
「……でっけぇな。山ん中にこんなのが残ってるなんてよ」
遺跡を見上げながら、カルドが息を呑む。
ノースは鞄から魔石をはめた杖を取り出し、崩れた壁にそっと近づいた。先端に淡い光を宿すと、石肌に赤や青の色彩が浮かび上がる。
「やっぱり、塗料の痕跡です。ここ、赤い顔料が少し残ってます」
「ほんとだ、近づかないと全然わかんねぇな」
カルドが感心したように覗き込む。
一方、ルゴルは腰のポーチから手帳を取り出し、方向や崩れの状態を簡潔に記録していた。
「……俺、歩いてるだけじゃね?」
カルドが冗談めかして肩をすくめる。
「いざという時のために、前衛は要る」
ルゴルが短く返すと、ノースも頷いた。
「ええ。遺跡は、時々、魔物の巣になりますから」
カルドは頭をかきながら、軽く笑った。
「……そうだな。ま、警戒は任せとけ!」
遺跡の広場を渡る風は涼しく、夏の残り香を運んでくる。三人はそれぞれの作業を続けながら、静かな時間をゆっくりと積み重ねていった。
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着々と進んでいた調査の最中、遠くから甲高い叫び声が響いた。
「……なんだ?」カルドが顔を上げる。
風に乗って、金属の打ち合う音や短い怒号が耳に届く。続いて――獣の耳障りな咆哮が山肌に反響した。
――ギャアアッ! ビャアアアアッ!
人の声と混じり合い、町まで届きそうなほど騒々しい。
「ヘルバスだな」
ルゴルが即座に言い、声の方角を見据える。
「夏の高地に出ることは多いですが……この辺り、茂みは少ないはずでは?」
ノースは驚いた表情を見せつつ、杖を握り直した。
「木陰は少ないが、岩場や崩れ跡に潜む」
矢筒を指で確かめながら、ルゴルが淡々と答える。
カルドは口元を釣り上げ、双剣の柄を叩いた。
「よっしゃ。やっと出番か」
「気を抜くなよ」
ルゴルが短く釘を刺す。
「声が一頭ではない……おそらく、つがいだろう」
再びギャギャギャッと喚くような咆哮が響き、遺跡の石壁まで震わせた。まるで鬱陶しい鳥の群れのような声だが、突進してくるのは砂色の巨体だ。
三人は視線を交わし、音のする方角へ駆け出した。柱の影を抜け、斜面を滑るように下ると、別のパーティーが必死に応戦しているのが見えた。
二体のヘルバス――通常より一回り以上大きい巨体が、岩の間を縫うように走り回り、前衛を翻弄している。
「……でけぇな」カルドが舌を巻く。
「普通より一回りじゃきかねぇぞ」
「一・五倍から二倍はありますね……」
ノースの声が硬い。杖先に雷光を集めながら呟いた。
叫ぶような鳴き声が近づき、岩場の影から砂色の耳と尾が覗く。
「来るぞ」ルゴルが矢を番えた。
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巨体のヘルバス二頭のうち、一頭は別のパーティーに食らいついていた。砂色の体が岩場をかすめ、耳障りな叫び声が戦場を満たしている。
もう一頭が、柱の影を抜けて現れたルゴルたちに狙いを定める。
一歩前へ出たカルドが双剣をくるりと回し、口元に笑みを浮かべる。
「よし、こっちは俺らが片付ける!」
砂色の巨体が低く構え、筋肉の塊のような四肢で地面を蹴る。突進の気配に、ルゴルが素早く矢を番える。
「ノース、脚を狙え」
「了解!」
放たれた矢が前脚に突き刺さり、ほぼ同時に雷光が獣を撃つ。動きが一瞬鈍った隙を逃さず、カルドが地を蹴った。双剣が閃き、肩口を切り裂く。
だが、相手も容易くは倒れない。咆哮を上げ、獣の爪がカルドの胸を狙って振り下ろされる。
「っと!」カルドは身をひねり、片方の剣で爪をいなしながら反撃の刃を叩き込む。
ルゴルの矢が肩や腰を正確に狙い、ノースの雷撃が獣の動きをさらに削る。それでも巨体はしぶとく暴れ続け、岩を砕く勢いで跳ね回った。
「……クソ、こいつ硬ぇ!」カルドが歯を食いしばる。
「焦るな。足を削れ」ルゴルの冷静な声が返る。
三人の連携に追い詰められ、ヘルバスは次第に動きを乱していく。荒い息を吐き、岩に爪を立てた巨体の背には、傷と焦げ跡が幾つも刻まれている。
仕留めるのは時間の問題――そのところまで、三人は戦況を持ち込んでいた。砂色の巨体が最後の抵抗とばかりに跳びかかってくる。
「来るぞ!」
ルゴルの声と同時に、ノースの雷撃が閃き、獣の動きが硬直する。
そこへカルド踏み込み、双剣を交差させて斬り払った。
耳障りな鳴き声が途切れ、ヘルバスの体が岩場に崩れ落ちる。しばし痙攣した後、巨体は動かなくなった。
「ふぅ……しぶといな」
カルドが肩で息をしながら剣を払う。
「油断するな。もう一頭いる」
ルゴルは矢をつがえ直し、岩陰を見据えた。
視線の先では、別のパーティーが必死に応戦していた。そちらのヘルバスも深手を負いながら、なおも猛然と暴れ続けている。血に濡れた毛並みを逆立て、ギャアアアッと谷を震わせるように喚き散らす。
そして、戦場を一瞥した獣が、標的を変えた。
荒い息を吐きながら、岩場を蹴って一直線にルゴルたちへ突進してくる。
「させるかよ!」
カルドが先頭に躍り出て双剣を構えた。
ルゴルの矢が獣の肩口に食い込み、続けて目の脇に突き立つ。巨体が一瞬怯み、顔を振ったところに、ノースの雷光が脚を撃ち抜いた。
体勢を崩したヘルバスの首元へ、カルドの刃が深々と突き刺さる。
呻き声とともに巨体が崩れ落ちた。
カルドは勢いを殺さず、刃を引き抜きざまにもう一撃を叩き込み、とどめを刺す。
岩場に砂色の体が沈黙し、戦場を覆っていた喧騒が、徐々に静けさへと変わっていった。
「……はぁ、やっと大人しくなったか」
カルドが荒い息を吐く。
「無茶をしますね……」
ノースが小さく苦笑するが、その声には安堵が滲んでいる。
ルゴルは弓を下ろし、周囲を見回し、二人に向かって頷いた。
「片づいたな」
前衛無茶しがちですね。夏の終わりの大型個体祭りです。