大蛇の渡り(3)
山を越える道のりは、来た時よりもいくらか楽だった。
もう戦う必要はない。背後に脅威はなく、荷もそれほど重くない。疲労こそあれど、四人の足取りは軽かった。
風は乾いていて、陽射しは眩しく、鳥が時折、梢から梢へと飛び移っていく。
山道を下りながら、リアは背後で交わされる談笑に、何とはなしにと耳を傾けていた。
レネアが何かを話し、ノースが合いの手を打つ。少し間を置いて、ルゴルが静かに補足し、それにレネアが明るく笑う。
誰かの歩調がわずかに乱れれば、自然と全体が整い、無理のない流れが続いていく。
「もうすぐ町が見えるな」
ルゴルの声に、先を歩いていたリアが足を止めて振り返る。
「あ、ほんとだ」
木立の隙間から、見慣れた屋根の連なりが覗いていた。中腹にある中継の町。四人が行きに一泊した、あの宿のある場所だ。
宿の前まで来ると、女将が気さくな笑みで迎えてくれた。
「まあまあ、おかえり。四人そろって……無事でよかったねえ」
「お世話になります」
「部屋、空いてますか?」
「もちろんさ。前と同じ部屋にしておくよ。ゆっくりしてっておくれ」
そう言って冷たい水を差し出す女将に、レネアが笑顔で礼を言い、ノースが荷を受け取りながら頭を下げる。
宿の中は、変わらず居心地が良かった。汗を流し、軽く食事をとり、短い夜を休息にあてる。
翌朝、まだ涼しさの残る空の下、四人は町外れの馬車乗り場へ向かった。御者が馬の様子を見ながら声をかける。
「山道は崩れてなかったかい?」
「特に異常はなかった」
「道も乾いてたし、荷車でも通れそうだったよ」
ルゴルとレネアがそれぞれ応じると、御者はうんうんと頷いた。
荷を積み終え、四人は馬車に乗り込む。
車輪がきしみ、車体が揺れながら走り出す。山道の景色が、徐々に遠ざかっていった。
道中、話題は戦いの記録や見つけた痕跡の分析、次の依頼の方針など。
冗談も交えながらぽつぽつと喋り、やがてそれが静かに途切れる。
馬車の揺れに身を任せながら、それぞれが短い沈黙を過ごした。
昼を過ぎた頃、見慣れた拠点の町が視界に入ってきた。
門の前では農夫が荷を下ろし、通りでは子どもたちが木剣を振るって遊んでいる。
馬車が町に入り、車輪が石畳を叩く音が、ゆっくりと日常の感覚を呼び戻していく。
「戻ってきたな」
リアが小さくつぶやき、ルゴルが頷く。
変わらない町の匂い。けれど、心のどこかに微かに風が吹いたような感覚があった。
特に理由のない、けれど確かな一息をついて、四人は馬車を降りた。
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町の中心部へ戻った四人は、そのままギルドへ向かった。
受付で対応に出た職員が、リアたちが提出した詳細な記録と痕跡の報告書に目を通し、頷きながらひとつひとつを書き留めていった。
「なるほど……例の大蛇は、討伐ではなく誘導で済んだのですね。痕跡の情報もありがたいです。これで、周辺の安全確認がずいぶん楽になります」
資料を綴じて整えながら職員が言う。ノースが軽く補足を加え、それにレネアが冗談めかした返しを入れる。
リアとルゴルはそのやり取りを聞きつつ、必要な署名を済ませた。
全員分の報告が終わると、職員は明るく微笑みながら言った。
「これで、今回の依頼は正式に完了となります。皆さま、お疲れさまでした。しばらくは、どうかご無理なさらずに」
「そうしておきます」
「では、また」
四人はギルドを出て、建物の前で一度足を止めた。
「さて……私たちは、この町で宿を探そうかと考えてまして」
ノースがそう言い、レネアが笑いながら続ける。
「さすがにこのまま山越えはきついからねー」
「了解。私たちは、いつもの宿に戻るよ」
リアが肩を回しながら応じ、ルゴルも静かに頷いた。
「じゃあ、また後で」
「うん。いい宿が見つかるといいな」
別れの挨拶もそこそこに、四人は自然と二手に分かれて歩き出す。
誰も振り返らなかったが、その背には、静かな満足がにじんでいた。
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宿に戻ったリアとルゴルは、それぞれの部屋に荷を置き、一息ついた。
長い依頼の後らしい、ほっとした静けさが廊下にただよう。
ほどなく、部屋の戸がわずかに開き、隣室から控えめな声が交わされる。
「水、浴びてくる」
「ああ。俺もあとで使う」
汗を流したあと、軽く装備を整えたふたりは、ほぼ同時に階段を降りた。
宿を出て通りに出ると、リアが小さく伸びをし、ぽつりとつぶやく。
「……さて。腹減ったな。昼、行くか」
ルゴルが頷いた、ちょうどその時。
向かいの通りから、レネアとノースが並んで歩いてくるのが見えた。ふたりとも軽装に着替え、肩を並べて談笑している。
ノースがこちらに気づき、手を軽く挙げる。
「ああ、ちょうど今、昼を食べに行こうって話してたんです」
「……そうだな。こっちもちょうど、昼に出ようかってところだった。行こうか、一緒に」
リアは一瞬だけ目を細めてから、軽い調子でそう返し、隣にいたレネアの腕をぽんと引いた。
「先行くぞ〜。混んでるかもしれないしな!」
「あっ、ちょっ……」
レネアが笑いながら引かれていき、ノースがその背中を目で追いながら、柔らかく笑って手を振った。
「じゃあ、後で合流で」
ふたりで通りを歩き出し、角をひとつ曲がったところで、リアがふっと小さく息を吐くように言った。
「……あのさ」
視線は正面ではなく、ほんの少し横へ向けられている。
「私とルゴル、今は同じ宿使ってるんだけど……まあ、ちょっと、そういう関係でさ」
「ふーん」
レネアは足を止めることなく、肩の力を抜いたまま返す。リアも、その反応に少しだけ安堵の色をにじませた。
「気まずいってわけじゃないんだけど、そっちが泊まってると、ちょっとタイミング気にするかもで。……宿、変えた方がいいかなって」
レネアが肩をすくめ、あっさりと笑う。
「こっちが気にしてなくても、そっちが気になるなら、変えるのが自然でしょ。いいよ、そうする」
その気さくさに、リアも思わず笑って頷いた。
「助かる。ありがとな」
「どういたしまして」
ふたりはそのまま、歩調を合わせて食堂へと向かった。日差しはやわらかく、町のざわめきが穏やかに響いていた。
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食堂に入ると、まだ昼には少し早かったのか、客の姿はまばらだった。
リアとレネアは、窓辺の四人がけの卓に並んで腰を下ろす。
背中には、やわらかな陽射しが差し込んでいた。
メニューに目を通しながら、レネアがふっと笑う。
「組んで仕事してれば、いろんな変化があるよね。関係も、気持ちも」
声の調子は軽いままだったが、そこにはふわりと受け止めるような空気が混じっていた。
リアは一瞬だけ顔を上げて、レネアの横顔を見る。
彼女の視線は手元に落ちたままで、余計な探りも詮索もなかった。ただ、言葉の端に――“ちゃんと聞いたよ”という、やわらかな気配だけが乗っていた。
リアは小さく笑って、肩の力を抜いた。
「……ありがとう。ほんと、助かるよ。」
「うん」
それだけの短いやりとりだったが、不思議と、風通しのよさが残った。
そこへ店員が近づき、ふたりは軽めの定食を注文する。
焼いた根菜と豆のソテー、風味のある芋パン、きのこと香草のスープがつく。揚げた白身肉に果実のソースをかけた小皿も添えられていた。
注文を終えた頃、入口の扉が開き、ノースとルゴルが姿を見せる。ふたりとも軽装で、歩きながら何か話していたようだった。
ノースがこちらに気づいて手を挙げると、ルゴルも小さく顎を動かす。
「お待たせしました。空いててよかったですね」
「昼時までに入れて正解だったな」
ルゴルが空いた席に腰を下ろす。
リアは、さっきまでの空気をすっと仕舞い込み、自然な調子に戻ったようだった。
料理が次々に運ばれ、卓の上は次第に彩りを増していく。
温かなスープが、長旅の疲れをじんわりと癒す。
「……このスープ、妙にうまいな。何入ってんだろ」
リアが匙をくるくる回しながらつぶやくと、ノースが口を拭ってから答えた。
「セロリに似た香草と、干したキノコの出汁だと思います。昨日の宿の夕食にも出てましたね」
「おお、記憶力すごいな」
レネアが目を丸くして笑い、ノースは少し照れたように鼻をかく。
食事のあいだは、各地の食文化や、山道で見かけた鳥の話など、軽い話題がぽつぽつと続いた。
ルゴルも、黙って食べながらも、ときおり短く相槌を打つ。
レネアとリアは、それぞれ違う方向の話題をゆるやかに拾っていた。
「で、あのあとどうしたんだっけ?」
「えーと……たしか斜面を下って……あ、鹿の足跡見つけた時か」
「そうそう、それでノースが滑って、レネアが引っ張り上げて――」
笑い声が重なり、卓の上にはゆったりとした時間が流れる。
話題は自然と、ノースとレネアの宿探しの話になった。
「宿、どこにしようかなって迷っていて……」
ノースが空いた皿を脇に寄せながら、続ける。
「あ、そういえば僕たち、付き合うことになりました。でも、部屋は二部屋とろうかなって相談してまして」
そう言って、ノースは少し照れくさそうに微笑んだ。
リアの動きが止まる。
ぽかんとした顔でレネアを見つめるものの、「えっ……」とだけ声が漏れ、その先の言葉は浮かんでこなかった。
ルゴルは「そうか」とだけ答えた。
”へえ……”という顔を一瞬した後、何事もなかったかのようにパンをちぎる。
レネアは湯気越しに、まだ固まっているリアを見て――ウインクした。
昼下がりの食堂に、陽の光が静かに差していた。
山の中腹で一泊した時に、ノースが「月の光を受けた鱗がきれいだ」ということを言い、レネアが「今度は本気にするよ?」と言い、ノースが「はい。そのつもりで言いました」と頷いたため、付き合うことになりました。




