大蛇の渡り(1)
朝のギルドには、早くも一日のざわめきが満ちはじめていた。夏の白い陽ざしが差し込む建物の中、足元には夜の涼しさがまだわずかに残っていた。
帳簿を広げていたヤルクが、「おう」と軽く手を上げる。奥の掲示板の前には、すでに数人の冒険者が立ち止まり、依頼票を真剣な表情で見比べていた。
リアはカウンターに斜めにもたれながら、掲示板に目をやってぼやいた。
「……めんどくさそうなのばっか残ってるね」
「大蛇か」
隣でルゴルも視線を走らせる。
「支部のない地域だと、物好き以外は避けたがる」
依頼の内容は「大蛇とみられる大型魔物の追い払い」。まだ現地に被害は及んでいないが、村が不安を感じ、早期対応のためにギルドが依頼を出したらしい。だが、現地には支部もなく、報告や支援も限られる。
そのため、受注条件には「最低四人のパーティー編成」と明記されていた。
「二人で行ってもいいんじゃない? 現地で合流でもすれば」
「それは、“もう確実な二人が向かっている”場合だ。今はいない」
ルゴルが依頼票を軽く叩きながら言う。
ちょうどそのとき、背後で帳簿を閉じる音がした。
「お前ら、ちょうどいいかもしれん」
ヤルクが顔を上げ、声をひそめる。
「今、二人組で迷ってるやつらがいる。組めばちょうど四人だ」
「……あー、はいはい。毎度おなじみのやつね」
リアが肩をすくめる。
「で? どんな人たち? 酒癖が悪いとか、“気を緩めろ”とか言ってくる系じゃないよね?」
「安心しろ。腕もいいし、信頼できる奴らだ。……おっ、いいとこに来たな」
ヤルクがカウンター越しに手を上げた。
ちょうどギルドの入り口から、二人の冒険者が姿を見せた。
一人は背の高い女性剣士。肩にかかる布の下から、日差しを照り返すように鱗が光っている。竜人だ。朗らかな目元で、周囲を見回している。
もう一人は、長衣をまとったロンデ(人間)の青年。帽子を手に持ち、少し暑さにやられたように額の汗をぬぐっていた。
ヤルクが手招きする。
「おい、レネア、ノース。こっち来い。ちょうど、話の早いのがいてな」
「へえ、話の早い人たち? ありがたいな」
レネアと呼ばれた竜人の女性が笑いながら歩み寄る。
「えっと……あ、どうもこんにちは」
青年も丁寧に頭を下げた。少し緊張しているようにも見えるが、その仕草には誠実さがにじんでいる。
ヤルクが二組を見渡し、まとめるように言った。
「この大蛇の依頼、どっちも二人組で考えてたんだ。なら組めばいい。話が早い」
「……えっ、えーと、あ、そうか」
ノースが慌てて依頼票とリアたちを交互に見る。
「もしかして……あの、タラウズを倒した方々、ですか?」
「そうだね」
リアがあっさりと返す。
「ああ、聞いたことあるよ。すごいなーと思ってたんだ」
レネアが笑って言った。
「こっちはまだ、そんな大物とはやったことないけど。よろしくね」
リアはちらりと視線を流し、ルゴルと目を合わせる。互いに何も言わないまま、軽くうなずき合う。
「じゃあ、受けようか。ひと夏の大蛇退治」
リアが依頼票をはがし取る。
「……追い払いだったっけ? ま、どっちでもいいか!」
そう言って、依頼票をひらりと振りながら笑った。
---
出発の朝。日が昇りきる前だというのに、町の空気はすでに少しむっとしていた。
「夏はほんっと馬車のありがたみを感じるよな……」
リアが荷物を積みながら、心からの声と言った調子でつぶやいた。
「この距離を歩くのは非効率だ」
ルゴルが簡潔に返す。
荷台に腰をかけると、レネアがひょいと隣に座った。
「ふたりとも動き早いね。だいぶ慣れてる感じ」
「そりゃまあ、年中やってるしね」
リアは笑って荷紐を引き締める。
「でもこうして、他のパーティーと一緒に長距離を移動するのは初めてだよ。新鮮って言えば新鮮かな?」
「へえ、そうなんだ? うちらは、たまーに組むかな。馬車代とか浮くし、悪くないよ」
レネアが屈託なく笑う。鱗の光る肩が、朝の光に柔らかく照っていた。
ノースも少し遅れて荷台に上がってくる。
重そうな鞄を肩から下ろし、丁寧に荷の隅に据えてから、そっと座った。
「……すみません。暑さに少し弱くて」
「わかる。これからどんどん本番だし、体力は温存しとこ」
リアが、すっと水袋を差し出す。
ノースは目を丸くしたあと、丁寧に礼を言って受け取った。
馬車がゆっくりと動き出す。
まだ舗装の甘い町外れの道を抜け、草の匂いが濃くなるころには、誰ともなく言葉がこぼれはじめていた。
「そういえば、大蛇って、まだ姿は確認されてないんだよね?」
レネアが前を見たまま言う。
「足跡とか、食われた痕とか、そういうのは出てるんでしょ?」
「うん、痕跡だけ。でも人は襲われてない」
リアが答える。
「だから今回は“追い払い”扱いなんだと思う。実物が出てきたら、話が変わるかもね」
「……それって、出たら報酬も変わるんですか?」
ノースが少し身を乗り出して尋ねた。
「変わるだろうな。少なくとも、戻ってから交渉の余地はある」
ルゴルが淡々と応じと、ノースが感心したように頷いた。
「なるほど……自分たちの範囲だけで動いてると、そういう勘どころが抜けがちで……」
「つい、目の前の依頼に集中しちゃうんだよね」
レネアが笑い、空を見上げた。
「……それにしても、日差しがじわじわくるな。馬車じゃなかったら、今ごろ干からびてるよ」
「ここから先、登山だし。高原に入れば、多少はマシになるんじゃないかな?」
リアが手をかざして日を避けながら言う。
「標高の恩恵ってやつ」
馬車は、緑の風を受けながら、ゆっくりと山の中腹へと進んでいった。
---
中継の町で一泊した翌朝、四人は荷を整えて山道へと分け入った。
背を押す陽射しは相変わらず厳しかったが、木々が密になるにつれ、空気にはわずかに涼気が混じりはじめる。
「風が出てきたね。もう少し登れば、虫の数も落ち着くか」
リアが前を見たまま、ひと息つくように呟いた。
「それなら、奴らが出る頃合いだな」
ルゴルが弓を握り直す。
その言葉とほとんど同時だった。
「ギャアアッ……!」
不快な金切り声が茂みの奥から跳ねたかと思うと、砂色の影がふたつ、ぬっと現れる。
黒く尖った耳、茂った尾、しなやかな筋肉に覆われた脚──ヘルバスが二頭。
「出たな!」
レネアが前に出て剣を抜いた。
リアが斧を構え、軽く息を吐く。
一頭が突進してきた。狙いはノース。
ルゴルが矢を横から滑らせ、毛並みをかすめる。わずかにバランスを崩したところへ、ノースが呪文を唱えた。
ぱん、と空気が弾けたかと思うと、ヘルバスの背中に電撃が走る。獣の体が跳ね、瞬間的に動きが鈍る。
「よし!」
リアが素早く飛び込み、斧の柄で胴を打つ。
体勢を崩したヘルバスに、すかさずレネアの剣が切り込む。切っ先が浅く腹を裂き、獣が鋭く吠える。
その背後では、もう一頭がレネア目がけて飛びかかろうとしていた。
「後ろ、もう一匹!」
リアが叫び、ルゴルの矢がその声と同時に走る。
矢はヘルバスの肩をかすめた。身を捩って矢を避けたヘルバスが地を蹴って角度を変えると、レネアが振り返りざまに斬撃を放つ。ヘルバスはそれも器用に避け、再び森影に潜り、警戒を高める。
「うるさいよな~、コイツら!」
リアが笑って斧を構え直す。
「静かにしてれば、もうちょい長生きできたかもね」
返すように、もう一頭が茂みから飛び出す。今度はリアに向けて一直線。
が、次の瞬間には、ルゴルの矢が喉元を正確に射抜いていた。
叫び声が途中でひしゃげる。地面を滑った体が、がくりと倒れ、動かなくなる。
残る一頭は、レネアの剣をかいくぐって逃れようと跳び退いていたが、自然に見える動きの中で着実に追い込まれていた。
レネアの斬撃を皮一枚でかわし、反対側の逃げ道へと跳び退いたヘルバスに、ノースの電撃が走る。
動きが鈍ったその背に、リアの斧が強く叩き込まれる。
「……はい、終了」
リアが息をついて、斧を肩に担ぐ。
「動きは鈍ってた。暑さでバテていたな」
ルゴルが静かに矢を回収する。
「でも、こういうやつらが獲物を減らすんですよね。人里に降りてくるのも時間の問題だったと思います」
ノースがやや息を整えながら言った。
「うん、今のうちに仕留めて正解だったね」
レネアが剣を拭いながら頷く。
「牙、使えるかも。……毛皮はこっちもあっちも、ちょっとボロいかな」
リアが足先で二頭の片方を転がし、顔をしかめる。
「持ち帰るには遠い。牙だけ抜いて、あとは土に還すか」
ルゴルの判断に、全員がうなずく。手早く簡易な処理が進められた。
空は変わらず晴れているが、湿った土と血の匂いが、さっきまでとは違う空気を作っていた。
素材を集め終え、リアが斧を背に回しながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば、この前の高原でもヘルバス出たよね。……夏の山って、やっぱヘルバス増えるもんなの?」
「暑さを避けて、標高が高い場所に移動しているのでしょうね」
ノースが静かに頷き、答える。
「アンタ、そうやって魔物の行動を分析するの好きだね。いつもそんな感じ」
レネアが笑って言うと、リアも面白そうに笑った。
「ルゴルと同じタイプだ」
「行動の分析や習性の把握は大事だ」
荷を背負いつつ、ルゴルが簡潔に応じた。
その応酬に、ノースがほんの少しだけ照れたように笑う。
「さて、まだまだ登るよ」
リアが軽やかに言い、足を踏み出す。
「このペースなら、今日中に野営地まで行けそうだね」
---
尾根筋へと近づくにつれ、空の色がじわじわと鈍く変わり始めていた。
「……雲、厚くなってきたな」
ルゴルが立ち止まり、空を仰ぐ。淡い灰色が、ところどころ墨を落としたように濃くなっている。
「まだ午後にもなってないのに、暗いね」
ノースも足を止めて、目を細めた。
「山の天気、変わりやすいんだよなぁ。風も冷たくなってきてる」
レネアが額の汗を拭い、肩越しに後ろを振り返る。
そのほんの数秒後──
ぽつ、ぽつ。
「……降ってきたな」
リアが額に当たった雨粒をぬぐいながら、つぶやいた。
ぽつぽつと地面に水玉を作っていた雨音が、すぐにザアザアと叩きつける激しいものに変わる。冷たい雨粒が一斉に葉を打ち、土を打ち、空気を塗り替えていった。地面のぬかるみがじわじわと広がっていく。
「よっし! 洞があったはず、こっち!」
レネアが前方の斜面を指さし、さっと駆け出す。
幸い、すぐに見つけたのは、小さな天然の洞窟だった。入口は狭いが、中は意外と奥行きがある。獣の痕跡もなく、四人が腰を下ろすには十分だった。
「ふぅ……びしょ濡れだよ」
レネアが顔を伝うしずくを払い、外套の裾を手で絞る。
「……着替え、持ってきてないな」
ノースがそっと自分の袖を見下ろしながらつぶやいた。
「脱いで絞るのが早いけどなー」
黙々と火を起こすルゴルを見つつ、リアは服の裾をつまむ。ぽたぽたとしずくが指先を伝った。
「……いや、ふたりの前では、脱ぎづらいか」
リアは視線を火へと落としながら小さく苦笑し、外套だけ脱いで軽く払う。
「ま、そりゃそうだね。あたしも初対面の人に突然脱がれたら、ちょっとは気になるし」
レネアが軽く笑って、濡れた上着を握るようにして絞った。
「お気遣い、ありがとうございます」
ノースが軽く頭を下げるが、真面目すぎて逆にちょっと場が変な空気になる。
「着替えなくてもさ、火があるし、外套くらいなら広げて乾かしといた方がいい」
リアが少し声を和らげて言う。
「自分が冷えるのが一番損だよ」
その言葉に、ノースもようやく口元を緩めた。
ぱち、ぱち、と焚き火が音を立てはじめる。雨は止む気配がないが、洞内にはじわじわと熱が満ちていく。
「ねえ、さっきの天気の変わり方、雷きそうな感じだった?」
レネアが火を見つめたまま尋ねる。
「可能性はある。でもこの地形なら、ここに居れば安全だ」
ルゴルが簡潔に返す。
「……だよね。なら、よかった」
レネアがそっと息をつき、肩の力を抜く。
「まあでも……野営は、もう少し上の方がいいかな。ここ、湿気がすごいし、まあまあ虫もいる」
リアが外のぬかるんだ地面を眺めながら言った。
「標高が上がれば風も抜ける。日が落ちる前に、もう少し進むのはありだな」
ルゴルも静かにうなずく。
火を囲みながら、四人はそれぞれに荷を整えたり、濡れた布を広げたりしながら、しばし黙って雨音を聞いていた。
火の温かさと少しずつ整っていく間合いの中で、彼らの距離もまた、少しずつ心地よい形に馴染み始めていた。
---
雨が上がったあとの空気は澄んでいて、肌を撫でる風に冷たさが混じっていた。木々の葉にはまだ雨粒が残っており、それが夕光を受けてちらちらときらめいている。しっとりと湿った地面が金色に染まり、森全体が少しだけ、静かに光って見えた。
「今のうちにもう少し上がろう」
火を落としながら、ルゴルが言った。
「日が落ちるまでに、尾根筋まで出ておきたい。風通しが違う」
「だね。このまま泊まったら、明日の朝、地面に張りついて起きることになりそう」
リアが立ち上がりながら、肩と首を軽く回した。
「虫も減るし、湿気も逃げるし。移動はもう少し頑張りどころだな」
そこからの登りは、傾斜こそ緩やかだが、長く続く一本の獣道だった。ところどころぬかるみが残っており、濡れた草が足首を湿らせる。木々の合間から、時折ちらりと空の色が見えるたび、光の質が変わっていくのが分かる。
やがて道が開け、背の低い灌木と草に囲まれた緩やかな斜面に出た。
周囲には大きな樹もなく、ほどよく風が抜けていく。視界の先には、さらに高い尾根が、幾重にも折り重なって続いている。
「ここ、よさそう」
レネアが足を止めて、深く息を吸い込んだ。
「湿気が逃げてる。風、ちゃんと流れてるし」
彼女は両腕を広げて空を仰ぎ、軽く伸びをした。濡れた外套の裾が、風に揺れる。
「焚き木は……向こうの方の木陰に少し落ちてるな。乾いているかは微妙だが、なんとかなるだろう」
ルゴルが手早く確認しに行く。
「じゃ、私は火の準備するね。こういう時、着火の魔法習っておいてよかったと思うよ。多少の濡れた枝なら火で乾かせるしね」
リアが荷物を下ろし、調理器具が入った袋を取り出す。
「うちらはテント。これ使って」
レネアがノースに布を渡すと、彼は少し照れたように笑って受け取った。
「ありがとうございます。風が抜けすぎない場所に張りますね」
ノースは草の密度と傾斜を見ながら、地面に手をついた。
それぞれが役割を分担し、黙々と動く。リアとルゴルは言葉少なに、慣れた手つきでいつものように動く。石をどかし、焚き火を囲む場所を平らにしていく。
「……今日、なかなかの湿度だったね」
レネアが焚き火のそばに腰を下ろし、湿った布で額を押さえながらぽつりと言った。
「うん。あのまま下で野営してたら、朝にはベタベタで、虫貼り付けてたかも」
リアが苦笑しながら隣に腰を落とす。靴を脱ぎ、足を軽く伸ばすと、思わず小さな息が漏れた。
「虫……私、虫が一番ダメ。刺すとかじゃなくて、這うのが……あの感触が……」
レネアが腕を抱えて身震いする。
「それで、最初今回の依頼も受けようか迷ってたくらい」
苦手さは真剣なようで、言葉の調子にもそれが表れていた。
「分かる。這うやつ、音がないのが怖いよね」
リアは笑いながら応じた。
「こうして風が抜けると、気分が変わりますね」
ノースが静かに言いながら、湯を沸かす鍋を焚き火にかける。布の端で手を拭い、炎をじっと見つめる横顔には、少しだけ安堵の色があった。
「空気も澄んでるな」
ルゴルも腰を下ろし、短く言った。
その言葉どおり、尾根の向こうには、陽が沈みかけた遠山の稜線が淡く浮かんでいた。草がざわりと揺れ、虫の声が、焚き火の音に交じって控えめに響く。
四人はしばし口を閉じたまま、風の通り道となった空間で、それぞれの静けさを楽しんでいた。
やがてリアがぽつりと口を開いた。
「……こういうの、贅沢だよね。仕事じゃなかったら、泊まりでゆっくりしたいくらい」
「ほんとそれ。山の上だけ、季節が違う感じ」
レネアが同意しながら笑った。
「……下界の暑さを忘れますね……」
ノースがぽつりと漏らすと、三人の口元から同意の笑いがこぼれる。
焚き火の光に照らされた輪の中で、それぞれの荷の重さも、汗の疲れも、いつのまにか風とともにほどけていった。
---
朝焼けが斜面の草を淡く染め上げる頃、四人は既に出発の準備を整えていた。夜露を含んだ風はまだ冷たく、草の先にはかすかに光を帯びた雫が揺れている。尾根の高みは静かで、鳥の声も遠く、森の目覚めはゆっくりだった。
「……夜はぐっすりだったな。高原の朝は、やっぱり気持ちいいや」
リアが背の荷を締め直しながら、大きくひとつ息を吸い込んだ。空気は澄んでいて、葉の香りがほのかに混じっている。
「ぐっすり眠れてるのがすごいよ。あたし、地面の固さで腰バキバキだっての」
レネアが苦笑して肩を回す。けれど顔にはどこかすっきりとした表情が浮かんでいた。
「日が上がる前に進もう……昼には暑くなる」
ルゴルが短く言い、周囲の荷がきちんと整えられたことを確認してから歩き出した。
朝の光は斜めに射し、草むらのあいだから小さな羽虫がふわりと舞い上がる。斜面をゆっくりと降りていくと、やがて下の方から水の音が聞こえはじめた。さらさらと、岩をすべるような優しい音だ。
草を分けて進むと、細い清流が姿を現した。岩と岩のすき間から湧き出るように流れる水は、驚くほど澄んでいて、浅いながらも流れは速い。冷気を含んだ空気が周囲に広がり、一歩近づくだけで汗が引いていくのがわかる。
「うわ、ここ……めちゃくちゃ涼しいじゃん」
レネアがさっそく水辺に近づき、手を差し入れた。「冷たっ!」
「傾斜があるから、山の中でも水が溜まらずに流れるんですね。だから腐らないし、澄んでる」
ノースが少し目を細めて、水の流れを見ながら静かに言う。声の調子は説明というより感嘆に近かった。
「ちょっと足だけでも浸けよっかな。靴、蒸れてるし」
レネアが草の上に腰を下ろし、靴の紐をほどきはじめる。靴を脱いだ足が、涼しげな朝の光の中で青く光って見えた。
リアも迷いなく装備を外しながら、「せっかくだし、ちゃんと入るか」と言いかけた——が、ふと周囲に視線を巡らせる。
レネアがちらりと目を向けたのに気づき、リアは「あ、そうか」と納得したように小さく肩をすくめた。
「悪い悪い。普段、ルゴルとしか行動してないからさ。ちょっと、距離感のこと忘れてた」
服を脱ぎかけた手を止め、ズボンの裾をまくりながら気さくに笑う。
「いや、いいけどさ」
レネアも笑みを浮かべて返しつつ、目を細めて冗談めかすように言った。
「もしかして、オーク的価値観に染まってるとか?」
「まぁ……うん。そうかも」
リアが軽く笑って肩をすくめる。
「オーク的価値観?」
ノースが首を傾げた。
「ほら、“肌は見せるために出してるんじゃない”ってやつあるでしょ」
リアは説明しながら、水の中に片足を滑らせた。冷たさに目を細め、ゆっくりともう片方の足も沈めていく。
「筋肉とか、日焼けのあととか、そういう生活の痕跡のほうが、ずっと魅力的っていうやつだよね。ラーグはちょっと違うんだよね」
レネアが水面を見つめながら、自分の喉元に指を添えた。
「昔はさ、鱗のキメが荒いほうがワイルドでモテたんだよ。野性っぽくて、強そうでさ。でも今は、細かく整ってるほうが“知的でスマート”って感じかな?流行ってやつ」
その言葉に、リアもルゴルも、「そうなんだ」「なるほど」と軽く相づちを打った。否定も賛同もせず、けれど関心は確かに伝わる、そんな静かな反応。
「レネアさんの鱗、整っていてきれいですね。やはりモテるのですか?」
ノースが、真顔で、悪意なくそう言った。
一拍、空気が止まる。
「……ノース、それナンパっぽいよ」
レネアが苦笑して言うと、ノースは動揺し、両手を振って否定した。
「えっ、いやっ、そういうつもりではっ……!」
「分かってるって。ありがと。でもね、ラーグの鱗ってちょっと繊細だから。やたら褒められると、ちょっと照れる」
レネアはさらりと流しながらも、目を逸らした仕草がわずかに照れくさそうだった。
「……外見の話題って、加減が難しいよね」
リアがふっと笑いながら言った。
「でも、嫌な感じじゃなかったよ」
レネアが水面に指先を落とし、ゆらりと波紋をつくりながらつけ加える。
その言葉に、ノースはようやく肩の力を抜き、安堵の吐息を漏らした。
四人はしばし、涼しい水音に耳を傾けながら、草と風と朝の光に包まれてそこに佇んだ。言葉は少なくとも誰も焦らず、ただ穏やかな時間を受け入れていた。
やがてリアが立ち上がり、足を振って水気を切りながら言った。
「さて……体も冷えたし、そろそろ行こうか。蛇と会う時に体が固まってたらイヤだしね」
「それな」
レネアが即座に同意して笑った。まだ水に濡れた足を軽く払いながら、すっと立ち上がる。
朝の光はもう少し高くなり、木々の影を短くしていく。
四人はまた、柔らかな土と風の匂いを踏みしめながら、先を目指して歩き出した。
「息が合うペアとの4人旅」を書きたくて、レネアとノースに出てもらいました。あと、大蛇を出したくて、出すなら夏しかないなと。




