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初夏の高原3点セット


色々と欲張りセットです。村人たちの勘違いが、結果としてナルボスとの遭遇を避けるナイス判断になりました。

 朝の陽射しが、拠点の町の石造りの建物を柔らかく照らしていた。夏の気配は既にそこかしこにあって、通りを行く人々も少し汗ばむ季節の装いになっている。


 冒険者ギルドの扉を押し開けて中へ入ると、室内の空気はひんやりと涼しい。窓を閉め切った石壁が、外の熱気を遮ってくれているのだ。


「ったく、小口ばっかり溜まりやがって……」

 カウンターの奥で、ヤルクが依頼書の束をばさりと机に広げる。いつもの快活そうな表情は変わらないが、眉間には軽く皺が寄っていた。


「おはよう、ヤルク。朝から元気じゃん」

 ひょいとカウンターに肘をついたリアが、にやりと笑って紙束を覗き込む。ルゴルはその隣で静かに立ち、内容に目を走らせていた。


 ヤルクは彼女の様子にちらりと目をやり、鼻を鳴らす。


「元気なんかじゃねぇよ。小口依頼がこうも続くと、帳簿の処理も面倒でな。まとまった討伐でもあれば助かるんだが……」

「ふうん。どれどれ……」

 リアが紙束から数枚抜き取り、テーブルに並べる。

「これ、まとめて受けたらいいんじゃないか? 場所も近いし」


 並んだ三枚の依頼書に、ルゴルの目が留まる。

『魔物の噂調査(高原地帯)』『特定植物の採集(高地に自生)』『野鳥の営巣地の記録(調査報告用)』


「……ああ、確かに場所は被ってるな」

 ルゴルが地図を広げて確認を始めると、リアは得意げにヤルクを見た。

「ほら、いい感じだろ? 『欲張り高原三点セット』ってやつさ。どう?」

 

 ヤルクは呆れたように肩をすくめたが、広げられた地図を覗き込み、「遠いぞ、あそこ」と眉をしかめた。


「途中で一泊すれば問題ない。経路はここを通って……二日目の午前には調査地に入れる」

 ルゴルが地図の上を指でなぞると、ヤルクは眉をひそめつつも「まあ……この計画ならな」と、しぶしぶ頷いた。


「お前らなら、無茶な寄り道でもなけりゃ、大丈夫だろ」

「へいへい。じゃあ、これから携行食買っていこうかなー。山は湿気が少ないっていっても、今の季節は傷みやすいしな。何がいいかな」

 リアがカウンターを離れようとすると、ヤルクが追いかけるように声をかけた。


「知ってると思うが、高原は天候が変わりやすい。雨具と防寒具、忘れるなよ」

「はいはい、わかってますって。……まあ、お土産でも期待しといてよ。避暑だよ、避暑」

 リアは軽やかに手を振ってギルドを出ていく。その背を見送ったあと、ルゴルがヤルクに一礼し、静かに後を追う。

 扉が閉まり、ギルドには喧騒の余韻だけが静かに漂った。


「まったく……元気だけが取り柄のやつらだな」

 そうぼやきながらも、ヤルクの頬にはかすかに笑みが浮かんでいた。


---


 翌朝、まだ日の低いうちに、リアとルゴルは町を出た。日中の暑さを避けるためだ。夏の陽射しはすでに強く、平地の空気はじっとりと肌にまとわりつく。


 山道に入ると、空気は急に澄んで涼しさを増す。木々が陽を遮り、朝露の残る葉が風に揺れるたび、ひんやりとした香りが鼻をかすめた。


 リアは荷袋の重みに慣らすように歩幅を一定に保ち、時折足元の小さな花を見下ろしては、「お、もうこんな時期か」とひとりごちた。


 斜面の途中で、短く立ち止まる。


「……ねぇ、これ。ツィルベじゃない?」

 指さした先には、細長い茎の先に紫がかった苞をつけた薬草が、小さく群れて生えていた。


「……ああ」

 ルゴルがちらと目をやる。

「根に熱冷ましの成分がある」


「持って帰ろ。こういうの地味に喜ばれるんだよね」

 リアはしゃがみ込み、手際よく数株を摘み取っていく。その間、ルゴルは視線を上げ、木の枝を確かめるように見渡していた。


 木の高い位置に、乾いた草を編むようにして作られた巣が見える。

 その中から、小さくも鋭い鳴き声がひとつ。


「営巣を確認」

 ルゴルが短く呟き、記録用の小冊子に印をつける。


 袋に依頼の薬草も詰め終えたリアが立ち上がる。

「これで……よし、これで二つ目も終わり」

 ぱん、と手をはたいて笑った。


「小口の依頼も、こうやって組み合わせれば十分稼ぎになりそうだな」

 荷袋を背負い直しながらそう言ったリアに、ルゴルも「効率は悪くない」とうなずく。


 そのままさらに高度を上げる。傾斜が緩やかになり、視界がぱっと開けた。


 風が、草の海を走っていた。


 高原の地面は野生の花と短い草に覆われ、場所によっては腰ほどの高さに茂った細い葉が陽光を揺らしている。遠く、尾根の向こうには白く光る湖面。


「うわ、気持ちいい……」

 リアが小さく目を細め、息を吸い込む。


 足を止め、ふたりはしばし静かに景色を眺めた。耳に入るのは風の音と、遠くでさえずる鳥の声だけ。汗ばんだ首元に風が通り抜け、露の乾いた匂いがした。


 干し果実を袋からひとつ取り出して噛みながら、リアは地図を広げたルゴルの隣に腰を下ろした。「いる?」と袋をルゴルに渡しながら地図を覗き込む。


「あと一山越えれば、例の村か」

「ああ。湖の反対側から下る。午後には着く」

 ルゴルの言葉に、リアは「了解」と頷いて立ち上がった。


「じゃ、あとひと踏ん張り。涼しいうちに行っちゃおうか」


 荷を整え、ふたりは再び歩き出す。足元を照らす陽射しは、少しずつ角度を変えながら、草花の影をゆっくりと伸ばしていった。


---


 午後の陽射しの下、小さな集落が見えてきた。

 斜面の途中、段差を活かして家々が建ち並んでいる。その先には広場のような空き地と、川沿いの畑が広がる。背後には森があり、風に揺れる枝の音がどこか静かだ。


 宿と酒場を兼ねた建物が一軒、道沿いにぽつんとあり、その隣に雑貨屋。その程度の規模だが、家々の屋根は新しく、荒れた印象はない。


 だが、空気に、微かな重さがあった。

 日常は続いているのに、ふとした隙間から滲み出るような、曖昧な不穏さ。

 リアはその気配を嗅ぎ取るように目を細める。

「……人の姿、少ないね」


 ルゴルが頷く。

「子どもが表で遊んでいてもおかしくないはずの時刻だ」

 周囲を見渡す彼の視線は、宿の戸口でこちらを見ていた老女に止まる。


 ふたりが近づくと、老女はためらいながらも口を開いた。

「あんたら、ギルドから来た人かい?」

「はい。依頼を受けて来ました。『魔物の噂調査』について詳しく聞けたらと思って」

 リアが穏やかに答えると、老女は少し安堵したように扉から身を引いた。


「なら……中に入りな。宿の主人も詳しい話は知ってるだろうし。ちょっと込み入ってるんだよ」


 宿の中はひんやりとしていて、樽酒の匂いと乾いた木材の香りが混ざっていた。簡素な机がいくつか並ぶ食堂の奥から、がっしりとした中年の主人が出てくる。


「ギルドから来た冒険者か。ごくろうさん。……噂、っていうか、あれは本当にいたんだと思うがな」

 椅子を勧められ、リアが腰を下ろす。ルゴルは立ったまま背後を軽く警戒している。


「家畜が何頭か攫われた。夜に限らず、昼間もあった。柵を壊して持っていかれたらしい」

「魔物を見たんですか?」

 リアの問いに、主人は眉を寄せて言った。


「見たっていう村人もいるよ。でかい鳥だったってな。翼が生えてて、牙が光ってたとか……まぁ、話がどんどん盛られてってる気もするがな」


「鳴き声の目撃情報はありますか?」

 今度はルゴルが訊ねると、主人はうなずいた。


「あるある。妙な声が響いたって。夜の森の奥から、とか、裏山の上の方からとか……。けどな、聞いたやつによって言ってることが違うんだ。泣き声ってより、怒鳴り声だったとか、笑ってるみたいだったとか……」


 リアとルゴルがちらと目を見交わす。

 情報がどれも曖昧で、断片的だ。だが、ひとつ確かなことはある。


「少なくとも、家畜が襲われたのは事実ですね。柵の破損跡や、血痕などは残ってますか?」

 ルゴルの問いに、宿の主人がうなずく。

「ああ。案内してやるよ。あとでな。ちょっと下の方の畑近くだ」


 リアが立ち上がり、「助かります」と礼を言う。

「今の話を聞く限り、どっちかと言えば……正体不明の目撃談が一人歩きしてる気もしますね」

 扉に向かいながらそう言うと、主人は苦笑して答えた。


「俺もそう思ってるよ。だが、村の連中は怯えてる。言ったもん勝ちみたいに話が広がっちまってな」


 宿を出ると、再び静かな風が吹いていた。

 ふたりは、午後の陽を受けながら、柵のある畑の方へと歩き出す。


---


 畑の外れ、斜面の下に建てられた家畜小屋の跡地は、思った以上に荒れていた。

 柵の一部はへし折られ、引きちぎられた縄の繊維が風にそよいでいる。地面には乾いた血痕。踏み荒らされたような跡がいくつも重なり、正確な痕跡の読み取りは難しかった。


 リアが屈み込み、爪で土を軽くなぞってみる。

「……何かが、相当暴れたのは間違いないね」


 ルゴルは少し離れた木立の方へ視線をやっていた。

 風の音はある。木々のざわめきもある。だが――


 鳥の声が、消えていた。


 リアがそれに気づいた瞬間、肌が粟立った。

 風の中に、違和感のある沈黙がある。

 ルゴルが素早く矢を番える。


「……ルゴル」

 斧を構えながら名を呼んだ次の瞬間――


 茂みから、地をかすめるような影が音もなく飛びかかってきた。

「ッ……!」

 リアは即座に身をひねり、首筋をかすめてきた魔物を、体ごと躱す。


 砂色の毛皮。黒く塗ったような耳と尾。獰猛な目。

 着地と同時にギャアッと甲高く喚いたそいつは、馴染みのある魔物だった。


――ヘルバス。


 リアは咄嗟に斧を振る。

 刃はヘルバスの前脚にかすり、体勢が崩れたその瞬間、矢が一本、空を裂いた。

 まだ体勢を立て直しきれないヘルバスの首筋に、鋭く突き立つ。


「ギャアアアァァッ!」

 のたうつように叫び、もつれた足でよろめいたヘルバスの肩を、リアの斧が叩き伏せるように打ち据えた。


 血が弾け、喚き声が一際高く響く。

 だが、倒れてもなお気配が消えない。


 リアが斧を抜きつつ辺りを警戒する。「これ、一匹だけか?」


 その時――

 ルゴルの矢が、すっと茂みに向けて放たれた。


「ビャッ!」

 突如、茂みからもう一頭のヘルバスが飛び出してきた。

 背に矢を受け、狂ったように喚きながら斜面を駆け下りようとする。


 そこへ、もう一矢。

 脚を射られたヘルバスが転倒し、リアが駆け寄る。


「ギャッ、ギャアアアア!」

 その声のうるささに、リアが目を細める。

 喚き立てる声を、振り下ろした斧が断ち切った。


 風が戻り、鳥の声も少しずつ戻り始める。


 リアは息を整えながら、斧の柄を握ったまま立っていた。

「……終わり、か」


 ルゴルが屍の一体に歩み寄り、牙を確認する。

「番だな。時期的に、もう少しすれば繁殖していたかもしれない」


 牙を丁寧に引き抜き、袋にしまう。

 リアはもう一体のヘルバスを見下ろしていた。


「家畜を襲ってたの……こいつらって考えるのが妥当だよな?」

「そうだな。『巨大な鳥型魔物の恐ろしい叫び声』も、ヘルバスで説明がつく」


 ルゴルが矢を回収しながら応じると、リアは少し眉をひそめた。

「でも、飛ばないよね? ヘルバスって」


 そのときだった。

 ギャア、と甲高い鳴き声が頭上から響く。


 反射的にリアが斧に手をかけ、ルゴルは素早く弓を構える。

 だが、上空をゆっくり旋回するのは、一羽の大きな鷲だった。


「……あれ、だね」

 リアが斧を肩にかけながら言う。「ハイロスよりずっと小さい。魔物じゃない、ただの鷲か」


 ルゴルも警戒を解き、視線を上空に送る。

「ああ。巣が近いんだろう。俺たちを威嚇してる」


 リアが空を見上げながら首をひねる。

「もしかして、これが“鳥型魔物”の目撃情報の正体?」


「ありうる」

 ルゴルはうなずく。「あのサイズの鷲では羊をさらうのは無理だ。だが、ヘルバスの残骸をつついていたのを見たなら……」


 リアが「うわぁ」と肩をすくめて笑う。

「そりゃ、怖いわけだよ。誤解とはいえ、目撃談は本物だったんだな」


 ふたりは、静かになった森に目を向ける。

 死骸を確認し、素材をいくつか回収したルゴルが立ち上がる。


「村人が襲われた、という話は、巣に近づきすぎたんだろう」

「鷲が威嚇してきたってだけか。……まぁ、魔物じゃなかったってことで、ちょっと安心?」


 リアが笑って斧を背に回し、ふたりは静かにその場を離れた。


---


 山道を戻りながら、リアはゆるく肩を回した。

「ふー……なんだか、いろいろ混ざってたね、今回」


 ルゴルは荷袋を背にかけ直しながら、静かにうなずく。

「素材としては上々だった。ヘルバスの牙なら報酬額も悪くない」


「それはそうだ。ナルボスじゃなくてよかったな」


 リアが笑いながら前を歩く。

 足元には乾いた草と、小さな花が咲いている。高原の昼は明るく、空気は澄んでいた。


「でさ、整理しとくけど、あの鷲は結局――」

「普通の猛禽だ。魔物ではない。大きいが分類上も野生動物だな」


「で、羊を襲ったのはヘルバス。鷲は、その残りを食べてたと」

「おそらく、そうだ」


「巣の近くで威嚇してくるのを見た村人が、“襲われた”って言った……と」

「ああ。鳴き声のうるささと、姿の大きさで、混同された可能性が高い」


 リアは斜面の木立に目をやる。遠く、木の枝に止まった鷲がこちらを見下ろしていた。


「じゃあ、“魔物の噂”は、全部が全部、外れじゃなかったってことか」

「正確には、“魔物と勘違いされた鷲”と、“実際にいた魔物”が、偶然同じ場所にいた」


「なるほどね。そりゃ混乱もするわけだ。ていうか、私らいなかったら、鷲が討たれてたかもね。それか、その人達がヘルバスに襲われてたか……」

「……十分ありえる」


 ルゴルが小さくため息をついた。


「結果的には、三件とも処理できた形だ」

「植物と野鳥の方もね。あー……欲張りセット、正解だったな」


 ふたりはそのまま村へと戻った。

 魔物の正体が判明したことを告げると、村人たちはほっとしたような、微妙なような顔を見せた。


「そ、そんなもんで羊がやられてたのか……」

「いやでも、あの声はな……ほんと怖かったぞ」

「鷲が魔物じゃなかったってのは……思ってもみなかったな……」


 リアは苦笑しながら、簡潔に報告書をまとめていく。

 ルゴルは集会所の片隅で、素材の整理を始めていた。


 日が傾きかけていた。宿のある一角まで歩き、今夜はここで泊まることにした。

 簡素な部屋に荷を下ろし、外の水場で顔を洗うと、高原の夕風が頬を撫でた。


「……やっぱ、山は涼しくていいなあ」

 リアが小さく笑うと、ルゴルも軽く目を細めた。


---


 翌朝、ふたりは山を下りはじめていた。

 村を出てしばらくは、まだ朝の冷気が残っていたが、日が高くなるにつれて、足元の草がぐんと香り立ち始める。


「……やっぱり高原の空気って、ちょっと名残惜しくなるよね」

 リアがそう言って、袖口をはらう。頭上の空は、濃く、深く、抜けるように青かった。


 ルゴルは歩を緩めずに答えた。

「湿り気が少なく、風もある。下界とは違うな」


「だよねー……ふもと戻ったら、暑いんだろうなー。あー、もう既に高原の空気が恋しいなー……」


 言いながらもリアの足取りは軽く、時おり立ち止まっては薬草を摘んでいる。

 岩陰に生えた薄紫の葉を手に取って、「これ、町じゃ高いんだよ」と笑う。


「ちょっと取っていこう。羽は取れなかったから、まだ荷袋に余裕あるし」

 ルゴルは斜め後ろからリアの動きを見ていた。


「“採りすぎると次が生えない”……と教わったんだろう?」

 ルゴルにそう言われたリアは、少し目を丸くした後、小さく笑った。

「へーい、へーい。分かってますって」

 ひらひらと手を振りつつ、次の株には手を出さなかった。


 森の中はまだ涼しい。だが、斜面の先に見える平地はもう、陽炎のような光に揺れていた。


「今回、なんだかんだで、全部うまくいったな」

リアの言葉に、ルゴルは小さくうなずく。

「ああ。十分な成果だ」


「うん。欲張りセット、やっぱり正解だったな。“魔物の噂”も、はっきりしたしね」

 リアが肩をゆすり、背中の荷袋を少しずらす。

 ルゴルは、その音を背に受けながら、道の先へ視線をやった。

「実際に見ないと、分からないこともある」

「ほんと、そうだな」


 言葉の間に、葉擦れの音が差し込んだ。

 高原を背に、ふたりは山を下っていく。風がまた、山の上から向かう先へと抜けていった。

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