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森の異変と毛に着いた粉

 ダンジョン解除の依頼を受けて移動中、通り慣れた森を抜けようとしていたふたりだが、森の空気は何かがいつもと違っていた。


 それなりに手入れされた道を外れ、目的地へと続く林道に入ったとたん、小型の魔物にやたらと遭遇するようになった。地面もぬるく湿っている。足元の草はべったりと水を含み、木の間から差す光も鈍く、葉の色がくすんで見えた。


「……なんか、やけに小型が多くないか?」


 前を歩いていたリアが、草を分けながら振り返る。すぐ後ろでルゴルが矢を引き絞り、飛びかかってきたネズミ型の魔物を一撃で仕留めた。


「昨日、雨が降ったからかと思ったが……違うな。数が揃いすぎてる」


 リアが斧を構えたまま、ちらりと周囲を見渡す。目立った巣もないし、発情期にしては季節が違う。体の大きさにもばらつきがある。共通しているのは──


「なんか、動き変じゃない?落ち着きがないというか……」


 ルゴルが矢を番えたまま、頷く。

「走ってばかりだ。突っ込んでくるが、狙いは滅茶苦茶だな」


 リアは、先ほどの魔物の倒れた場所に歩み寄る。鼻をひくつかせ、毛の間に絡んだ白い粉のようなものに目を留めた。

「……これ、胞子? 花粉か?」


ルゴルもそれを見下ろし、視線をめぐらせる。

「森の下草に、黄色い花が混ざってるな。……あ」


 ほぼ同時に、ふたりが後ろを振り返る。

 さっき突っ込んできた魔物の毛が、リアの腰のポーチにかすっていた。

 慌てて周囲を見回すと、他にも数匹の小型魔物がうろついている。どれも動きが変に速く、止まり方を知らないように地面を蹴っては突っ込んでくる。


 リアが斧の柄で突っ込んできた一匹を叩き落とす。

 「走り回ってる。これは……毒花粉かもな」

 ルゴルは手早く布で口元を覆い、リアにも合図する。

「また!? あの時のやつ!?」

 吸うな、逃げるぞ!」


 ふたりは一気に駆け出す。

 だが、周囲にはすでに花粉が薄く漂っていた。

 細かく、色もほとんど見えないが、風の流れに乗って、肌や髪にふわりとまとわりつく。


 茂みを抜ける途中、ルゴルの肩を小型魔物がかすめる。毛が舞った。その毛に、うっすらと粉のようなものがついていた。


 リアが自分の前髪をつまんで見る。花粉のような粉が、ほんの少し指先に付いていた。

「これ……すでに……」

 そう言いかけたリアの視線が、少し泳ぐ。


 ルゴルも一瞬、額に手を当ててから、低く呟く

「吸ってるな……。体に付着した花粉からも入ってる……」

「えー……待って、ちょっと、またあの……おかしくなるやつ?」

 リアが、やや遠い目で自分のポーチを見つめる。わずかに、まぶたが重そうだ。


「念のため、いったん退こう」

 ルゴルが簡潔に言い、肩を貸そうと近寄った──瞬間。


「来るな!」

 リアが突然一歩下がった。


---


 草をかき分け、倒木を回り込むように進んだ先で、リアが立ち止まり、警戒したような構えを見せた。


「……来るな」

 振り返りざま、声が上ずる。けれど斧の構えは崩れていない。


 ルゴルがあと一歩進みかけて、足を止める。

 風がひとつ通り抜け、ふたりの間に濁った空気が揺れた。


「来ないで、ほんとに。今は……あんたまで近くに来たら、私、またおかしくなるかもだから」


 リアの額にはうっすら汗がにじんでいた。瞳は潤んで、けれどどこか据わっている。

「お前に被害が出たら、すっごい気にする……! 絶対あとで寝つけなくなる……!」


「……すでに影響が出てるな」


 ルゴルは目を細め、ゆっくりと頷いた。

「なるほど……そうか。最近、距離を取っていたのは、そういうことだったのか」

 その声は妙に穏やかだった。口元にうっすらと笑みを浮かべたまま、彼は続ける。

「近くにいれば、余計に気を遣わせる。だからこそ、そっとしておいてくれていたんだな。……優しいな」


「ちがうよ……そういうんじゃ、ないんだよ……っ」

 リアは膝に手をついて、うつむいた。

「優しいとかじゃない……ただ、ずっと……ずっと近すぎたから……何か、バグってきて……」


 小さな魔物がひとつ、斜面の上から転げ落ちてきた。

 錯乱したまま、低い唸りをあげてルゴルへ突っ込んでくる。


「……来るなって、言ったのに……!」

 リアが振り返りざま、斧を横薙ぎに振る。獣が弾かれ、横の木にぶつかって倒れ込む。

 ルゴルは弓を引き、飛び出してきた別の個体を眉間に一矢で沈めた。


 リアは斧を持ったまましゃがみ込み、手の甲で涙を拭っていた。けれど、止まらない。

「はー……もうやだ……全然だめだ、私……」


「そんなことはない」

 背後から、静かにルゴルの声。

 詩人モードは解除されておらず、声には慈しみがあった。

「お前は、ずっと俺のために無理をしてたんだろう。言葉にはしなかったが、俺には分かる」


「いや、それ、全然わかってないよ……!」

 リアが、顔を両手で隠したまま声を上げる。

 その脇を、ガサガサと音を立てて魔物が駆け抜け──ルゴルがすばやく弓を構えて、一矢で撃ち落とす。


 「来ないでって言ったのは、そういう意味じゃないし……いや、来てくれてありがたいけど、そういう意味でもなくて……ルゴルが、落ち着ける相手になりたくてさ。そういう相棒に、なれたらって……なりたいって……」


「君のその想いは、まるで火打石のようだ。静かな岩肌の中に、確かな熱を秘めている」

 静かに頷くルゴルの言葉に、リアの肩がぴくりと震える。


「ああ、やだ。来た。なんか、……ルゴルが、ポエムみたいなこと言い出すやつ……」


「安心するといい。今回はごく軽度のようだ。意識はある。会話も通じる。ただし、感情の制御が甘い」


「え、それってつまり……日頃は言わない本音だけ出るやつ……?」


「……その通りだ」


 リアが両手で顔を覆う。

 「だめだ!それが一番だめだ! 本音とか今言っちゃだめだ! こんな時に言ったら絶対、後悔するやつ!」


 ルゴルは穏やかな顔で頷き、落ち着いた声で言う。

「本音を言うことで初めて気づく感情もある」


「ルゴルが本音でポエム喋るのも、ちょっとだけ面白いんだけど、でも、でも……!」

 リアは項垂れ、その場にしゃがみ込んでしまった。肩が震えている。


 ルゴルは一歩近づき、少しだけ屈むと、腕を伸ばした。

「安心しろ。俺も、少し錯乱している」

「うそだ。ルゴルは結構、普段から真顔で詩人だろ……そういうとこある……!」

「……否定できないな」


 リアは両手で顔を覆ったまま、しゃくりあげながら言った。

「……泣いてる暇があったら、花粉の対策しなきゃいけないのに……!」


 ルゴルはそっとリアの肩に手を添え、抱き起こした。

「……さあ、行こう。近くに川がある」


---


 陽の差し方が変わったのか、森の色がわずかに明るくなる。

 それに気づいてふたりが顔を上げると、木々の隙間から白く光るものが見えた。


「……水場?」


 リアが呟くように言って、斜面をひとつ下る。

 小さな沢だった。川幅はないが、水は清らかで、浅瀬が光にきらめいていた。


 リアは無言でそのまま足を入れ、水をすくって顔を洗う。

 目を閉じたまま、額まで濡らして髪をかき上げた。

 ルゴルも傍らで、手や首を丁寧に拭いながら、淡々と花粉を洗い落とす。

 息を整えた頃には、花粉の作用も抜け始めていた。


「……またこれか」


「うん……やられた……」


 互いに視線を交わし、頭を抱えて座り込む。

 黙って服を脱ぎ、顔を洗い、髪を浸した。


 沢でよくすすぎ絞った服を木にかけ、ふたりはしばらく日向で待つことにした。

 幸いなことに、暑さの残る季節だった。風が通るぶん、乾きも早い。


 荷を整え、ふたりは再び歩き出す。

 ふとルゴルが口を開いた。

「……まさか、またこのパターンになるとはな」

「毛に付着した花粉でも効くとは思わなかった。……凄い効果だね」

 リアは小さく笑って、前を向き直った。


「ま、とりあえず――」

 と、リアが首をまわす。


「さっさと目的地に向かって、あの成金ダンジョンを開けに行こう」

「ああ、そうだな」


 ふたりの靴音が、乾いた土を踏んで進んでいく。

 花粉も錯乱も、川に全部流して。


 森の奥、わずかに開けた光の道が、ふたりを次の目的地へ導いていた。

最近空気がピリつくことが多いので、緩んだ回にしました。どさくさに紛れて「結構、普段から真顔で詩人」と評されるルゴル、それなとしか言いようがないですね。

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